第21話 集団暴走

 ジガンの発言がプルクラとアウリに軽く受け流されていた頃、街の南部にある領主城は上を下への騒ぎとなっていた。

 領主シュベルツ・ラガースタ侯爵は五十代前半。黒竜の森に近い領地を守る領主として、若いときは自ら前線に立って魔獣と戦っていた偉丈夫である。


 最初の報せは、隣領ペンタスから齎された。


「申し上げます! ペンタス騎士団から火急の連絡で、魔獣凡そ一万の群れが黒竜の森からオーデンセン方面へ向かっているとのことです!」


 ペンタス伯爵領の騎士団が街道の巡回を行っている際、約一ケーメル離れた場所を魔獣の群れが移動しているのを目撃。しばらく様子を窺うと、魔獣たちは南西方向を目指していると確信した。速度特化の走竜に騎乗した騎士が駆けつけ、その状況を報告してくれたのだった。


 報せはそれだけではなかった。ラガースタ騎士団、近隣の町や村の住民、通りがかりの商人や討採者……複数の異なる情報源が齎す情報は全て、魔獣の群れがオーデンセンを目指しているというものだった。

 黒竜の森がある北東方面ほどではないが、北西、南西、東からも数十~数百の群れがオーデンセンに向かっていた。


「父上……」

「狼狽えるな」


 シュベルツ侯爵の執務を補佐している長男、クライツ・ラガースタは父の言葉に顔を引き締めた。領主一族の不安は文官や武官に伝わり、最後にはこの街の民に伝わってしまう。二十万人の民が恐慌に飲み込まれれば、魔獣に襲われる前に甚大な被害が出る。


「全騎士団員を緊急招集、騎士団長を会議室へ呼べ。攻撃用魔導具を各所へ配置。防壁上の魔導具は何時でも撃てるよう起動させよ」

「「「「はっ!」」」」


 執務室にいた文官たちが駆け出していく。シュベルツ侯爵はクライツを伴って会議室に移動した。

 大きな卓の上には、オーデンセンを中心に描かれた大判の地図が既に広げられていた。二人の文官がいそいそと会議の準備を行っている。


「そう言えば、キウリ・ペンタス子爵はまだ街に滞在中だったか?」


 侯爵が息子に問うた。キウリとクライツは貴族学院の同級生で、領が隣同士ということもあって仲が良い。


「はい、父上。平民街の宿に宿泊しております」

「彼は“魔獣の集団暴走”から王都近郊の街を救ったことがあったな?」

「はい。騎士団時代に」

「意見が聞きたい。彼をここに呼べるか?」

「探させます」


 クライツは会議室にいた文官の一人に、誰かを使ってキウリ・ペンタス子爵を探してここへ連れて来るよう命じた。

 城の中は慌ただしく、誰もが小走りになって自分がすべき事を成そうとしている。その時、会議室に一人の武官が駆け込んできた。


「ご報告いたします! 黒竜の森方面からの魔獣は森へ引き返す動きに変わりました!」

「何だと? それは真か」

「はっ! ペンタス騎士団の者によれば、城のように巨大な黒い竜が現れ、魔獣の行く手を阻み咆哮をあげたそうです。その途端、魔獣の群れは森へ方向転換したとか」


 武官の報告は、俄かには信じられないものだ。これが他領の騎士からの情報なら、自分を陥れるための攪乱だと思うところである。しかし、ペンタス伯爵領とは常日頃から懇意にしていて、自分を騙す理由が見当たらない。それに、オーデンセンを混乱させるのが目的なら態々魔獣の群れが引き返したなどと報告する必要はない筈だ。


「……北東方面の警戒を怠らず、戦力はそれ以外の方面に分散させよ」

「父上!? 万が一情報が間違っていたら――」

「いずれにせよ万の大群が押し寄せれば止めるのは不可能に近い。ペンタス伯爵が私を陥れる理由もない。分かったな?」

「……はい」


 それにしても、巨大な黒い竜……「黒竜様」が、我々をお助け下さったのだろうか?





*****





 その日、ニーグラムは朝からレンダルの訪問を受けていた。転移で森の小屋にやって来ると、すぐさま「こいつに魔力を込めてくれんかの?」と言って指先大の魔石を差し出された。


「これで何をするのだ?」

「プルクラに持たせる魔導具に使うんじゃ。魔力を覆い隠すんじゃが、お主がプルクラを見付けるのが容易いように工夫するんじゃ」


 説明を聞いたニーグラムは「そうか」と言い、張り切って魔力を込めた。魔石は粉々に砕けた。


「……すまん」

「まったく、父娘揃って加減というものを知らんのか……まぁ予想していたがの。ほれ、ほんのちょっぴりで良いからの」

「うむ」


 別の魔石を渡され、慎重に魔力を注ぐ。黒竜の辞書に“繊細”という文字はない。指先大の魔石は蓄えられる魔力量が僅かで、すぐに飽和して砕けてしまう。四回目でようやく成功した。


「その魔導具はいつ出来る?」

「新しい魔導具は、そんなほいほい出来るもんじゃない。そうじゃな……儂でもあと十日はかかる」

「そうか。手間をかけるな」

「気にせんでよい。儂にとっても大事な孫娘じゃからな。ところで」

「ん?」


 ことりと音をさせて、レンダルが二つの腕輪を卓の上に置く。指二本分程度の幅で、複雑な紋様が彫り込まれた精緻な腕輪だ。どちらも金属で、片方は明るい緑色、もう片方は青色の縁取りがされている。


「これは?」

「プルクラとアウリに次会ったら渡してくれ。“転移の腕輪”じゃ」

「転移だと!?」


 ニーグラムが転移魔術を習得したくてレンダルに教えを乞うていたのはつい最近の話だ。


「と言っても、決められた場所にしか転移出来ん。この小屋と儂の家の二か所じゃ」

「……ふむ」

「腕に嵌めて前に伸ばしてここかここを押すと足元に転移陣が現れる。その転移陣に魔力を流せば良い。こっちがこの小屋、こっちは儂の家じゃ」

「ほう」


 手首の内側に当たる部分に魔石が嵌め込まれ、側面に二つの釦がある。黒い釦が森の小屋、白い釦がレンダルの家へ繋がる転移陣を出現させる。


「こっちの緑がプルクラ、青がアウリ用じゃ。他の者には使えんよう、二人の魔力を登録してあるからの」

「うむ」

「これ、作るのに一年以上かかっとるから。旅立ちに間に合わせたかったんじゃが、少し遅れてしもうた」


 拡張袋を作る内職の傍ら、一年以上前からこつこつ作っていたらしい。世に出れば確実に重要軍需物資となる魔導具である。何せ超高度の転移魔術が誰にでも使えるようになるのだから。

 プルクラに家を訪れて欲しいという一念で作り上げた、大魔導が自重をかなぐり捨てた逸品である。レンダルの孫愛が重い。


「たしかに預かった。次に会ったら渡しておく」

「頼んだぞ」


 用事は済んだとばかりに、レンダルはそそくさと帰っていった。プルクラが旅立ってから、レンダルはあまり長居をしない。


 ところで、ニーグラムは小屋で起居する必要はないのだが、十五年の間に培われた習慣で何となく小屋で過ごしている。

 この小屋はプルクラにとっての“家”であり、娘がいつ帰って来ても良いように、父である自分の居場所もここのような気がしているのだ。


「……早速渡しに行くか」


 ファルサ村で別れてから三日しか経っていないのに、レンダルとプルクラの話をしたせいで顔が見たくなった。ヌォルの分体に目を付けられたという事実が、娘の無事を確かめるという大義名分を与えてくれる。転移の腕輪を渡すのも早いうちが良い。


 ……娘と会うのに理由が必要? ニーグラムは、自分の思考に少しばかり驚いた。


 プルクラと出会う前の自分なら、一瞬も考えることなく飛び立っていただろう。だが、プルクラに森から出るよう仕向けたのは自分で、旅立ちの朝に娘が流した涙と、父に心配を掛けまいと懸命に作った笑顔が忘れられない。あんな顔をさせた自分が、顔が見たいからと言って気軽に会いに行って良いものか。


 それは、プルクラと出会う前には感じることのなかった「罪悪感」、そしてここに娘がいない「寂寥感」。ニーグラムには、人間のような感情が芽生えていたのだった。


 少しばかり逡巡したのち、やはりプルクラに会いに行くことにした。転移の腕輪があれば、危険な時に黒竜の森へ逃げ込める。それはニーグラムの心配を少し減らしてくれる。


「……俺はあの子を“心配”しているのか。疾うに父親になっていたのだな、俺は」


 今更ながら自分の気持ちに気付いたニーグラムは苦笑いを浮かべた。思い返せば、赤子を森で見付けて“プルクラ”と名付けてからずっと、彼は彼女に目を配ってきた。心を奪われたと言っても良い。いや、むしろ人間のような情が芽生えたと言うべきか。それは間違いなく“父親”の情であった。


 懐に二つの腕輪を忍ばせて小屋を出るとすぐさま飛び立った。プルクラの魔力を探そうと西へ向かう途中で異変を感じた。

 それは非常に不快な音。今すぐ音の発生源へ向かい、それを叩き壊したくなる衝動が沸き起こる。


 今までは森の濃密な魔力に遮られていたのだろう。つまり、この音の発生には魔力が関わっている。

 音は南西の方角から生じているようだ。そちらへ転じると、黒竜の森浅層を生息領域とする比較的弱い魔獣が群れを成して南西に向かっているのが見えた。知能がそれ程高くない魔獣たちは本能のままに行動する。ニーグラムが感じた不快さは、それらの魔獣にとっては我慢ならないものだ。怒りを露わに南西へと暴走している。


 魔獣の群れが向かう先に、愛娘の魔力があることに気付いた。


 プルクラなら、あの程度の魔獣の群れと遭遇しても生き延びるのは容易い。だがアウリだとそうはいかない。娘はアウリを守ろうとする。冒さずともよい危険を冒すだろう。

 ならば、娘が無用な危険を冒さなくて済むようにするのが父親の務めというものだ。ニーグラムは上空で黒竜の姿に戻った。魔獣たちを正気に戻すには、力の制限がない本来の姿の方が良い。


 黒竜は自分の影を追い越す勢いで集団暴走の先へ回り込み、地上へ降り立った。そして、魔獣の群れに向かって咆哮を放つ。

 大気を震わせる咆哮に、万を超える魔獣は一瞬意識を失った。荒波のように南西へ進んでいた群れの勢いがぴたりと止まる。


 不快な音に誘き出された魔獣たちは、黒竜の森では弱い部類だ。ただ、それはあくまでも黒竜の森に限った話であって、森を出れば同種の魔獣より数段強い。そんな魔獣たちでも、序列の頂点に立つ黒竜の前では羽虫も同然。圧倒的強者を前に、不快な音への怒りよりも生存本能が勝る。魔獣たちは黒竜と対峙することより、自分たちの棲み処へ帰ることを選択した。くるりと反転し、来た時と変わらぬ勢いで黒竜の森を目指す。


 こうして、娘可愛さで起こした黒竜の行動が、期せずしてオーデンセンの街を救ったのであった。





*****





 目の前に並んだ八つの魔導具を前に、専門家らしき男たちがああでもない、こうでもないと議論を交わしていたが、彼らはプルクラによって「ぺぃっ」と脇に投げられた。


「な、何をする!?」

「さっさと処分すべき」

「プルクラ様のおっしゃる通りです。見ても分からないなら時間の無駄です」


 プルクラは、魔導具から激しく立ち昇る嫌な感じの魔力が気になって仕方ない。街の外へ持ち出したからと言って安心とは言えなかった。


「ペンタス子爵様!!」


 その時、東門の方から走竜に乗った騎士が近付いて来た。


「どうしたのですかな?」

「侯爵閣下が、至急ペンタス子爵様とお話したいそうです。全方位から魔獣の群れがオーデンセンを目指して暴走しています!」

「全方位……?」


 騎士の叫ぶような声を聞いて、その場にいる者の殆どが魔導具に目を遣った。


「特に、黒竜の森方面から一万前後の魔獣が迫っているとのことです」

「なんと」


 キウリの眉間に深い皺が刻まれる。オーデンセンの全戦力を集めても一万の大群に勝てるとは思えない。強固な防壁が壊されないことを祈り、籠城するしかないだろう。その間に周辺の領や王都に救援を要請する。彼らが到着するまで防壁を死守出来るかどうか、それが鍵だ。


「ペンタス子爵様!!」


 キウリが魔獣の集団暴走への対応策を考えていると、別の騎士がやって来た。


「侯爵閣下よりご伝言です! 黒竜の森方面の魔獣は森へ引き返したとのこと。それ以外の群れは数十から数百、ただし北西、南西、東の三方面から襲来が予測されます。対応について子爵様の意見を伺いたいとのことです!」


 一万の大群が森へ引き返した? 何故?

 ここで考えても答えは出ないだろう。それなら、至急侯爵と会うべきだ。キウリは即断した。


「ジガン様、私は城へ参ります」

「え? あ、うん」

「キウリ。これ、処分していい?」

「……はい。お任せしても?」

「任された」


 確証はないが、状況から考えてあの魔導具が魔獣の集団暴走を引き起こしている可能性が高い。ならば、起動したままにしておくのは悪手だ。止められるのなら、一刻も早く止めた方が良いだろう。


 キウリの背中が東門へ向かうのを見ながら、プルクラは魔導具をどう処分するか考えた。地中深くに埋める? 風で遠くに吹き飛ばす? どちらも魔導具の息の根を完全に止めるには弱い気がする。やはり溶かそう。プルクラがそう決めた時、これまで聞こえていた鳥の鳴き声や虫の声が止んで静寂が訪れた。突如として陽が遮られ影が差す。


 その巨体からは想像出来ないほど静かに、黒竜が地上へと舞い降りた。

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