第19話 過去
オーデンセンの街は空から見ると扇状になっており、要に当たる南部が貴族街で、その中心よりやや南側に領主シュベルツ・ラガースタ侯爵の城がある。街の防壁に設けられた東西南北の門のうち、南門だけは貴族専用だ。
貴族街に近い場所は富裕な商人の自宅、高級な飲食店や宝飾店、服飾店などが軒を連ねる。プルクラたちが泊まる“銀鷺の止まり木亭”はそういった場所にあった。
貴族街とそれ以外は壁によって仕切られ、出入りする者は徹底的に検査される。実質、貴族からの招待状でもない限り貴族街に入るのは不可能に近い。
無用な危険は避けて貴族街以外を標的にすることで、今回の目的は十分達せられる筈だった。
ツベンデル帝国の貴族、リーガルド男爵はオーデンセンの東門近くにある獄舎の牢で寝台に腰掛け俯いていた。
ガレイ・リーガルドは、帝国が単に「養成所」と呼ぶ機関の叩き上げである。帝国東部に小さな領地を持つリーガルド子爵家。その四男であるガレイは、成人の十五歳になると同時に官吏として養成所に従事した。
六年間は書類仕事が主だったが、ある事を機に“管理官”に抜擢された。暗殺に失敗した工作員の有効な利用法を提案し、それを実際に運用して暗殺を成功させたのだ。それは、失敗した工作員を“囮”に使う手法だった。
管理官として多くの実績を出し、“間諜部部長”に昇進した際、帝国から男爵位を叙爵されたのが三十四歳の時。他国で活動する場合に“帝国貴族”の身分が役立つ可能性を考慮した叙爵である。
間諜部部長に昇進して二年目、初めて他国での大掛かりな任務に就いた。それが今回の“魔獣集団暴走の人為的発生、その検証と被害の測定”であった。
“魔獣集団暴走”とは原因不明の突発的な災害である。数千から数万の魔獣が狂乱状態で同じ方向に移動する現象を言う。移動線上に街があると、時に街丸ごと滅びる程の被害となる。これを人為的に発生させ、どの程度の被害を与えることが出来るか探るのが今回の任務だ。
小規模な実験は帝国内で既に行われている。今回は、魔獣の生息領域からある程度離れており、人口が十万人以上いる街ということでオーデンセンが標的に選ばれた。数万人規模が死傷する可能性のある実験を、さすがに帝国内で行う訳にはいかない。
任務に就いたガレイたち四人の他、二十八名がこの街に潜入した。だが、これらを統率する立場のガレイが些細な揉め事のせいで衛兵に拘束されてしまった。更に悪いことに、集団暴走を発生させるための“魔導誘引機”が押収されてしまったのだ。
オーデンセンの貴族街を除く八か所に“誘引機”を仕掛けることで、狂乱状態の魔獣を多数街中まで引き込むという目論見であった。
優秀な部下たちなら、七か所の仕掛けは既に完了しただろう。七か所でも目的は達成出来るだろうが、責任者である自分が仕掛けに失敗して、想定を下回る被害しか出なかったとしたら……。
帝国へ無事戻れたとしても責任を追及される。同僚や上司、或いは部下からも“無能”と蔑まれるだろう。
あそこでアウリに声を掛けたことを今更ながら悔やむ。他人の空似と考えて放っておけば良かったのだ。
管理官時代に自分が主導した中で、唯一暗殺対象者の生死不明という結果で終わった作戦の“囮”役だった少女。対象者と共に現場から消えた少女。それがアウリである。
対象者が死んだのか生きているのか、あの女なら知っているのではないか。経歴の中でこの一件だけ作戦の成否が分からないという気持ち悪さを、あの女を見た瞬間思い出してしまった。そして白黒つけたいと思ってしまったのだ。
馬鹿力の子供魔術師が姉と慕っていたこと、誘引機を仕掛ける予定の宿に王国貴族が宿泊していたこと。予測不能の事態が重なり、結果として自分は今牢にいる。
魔導誘引機については、王国の人間が見ても恐らく何に使う物か分かるまい。自分はもちろん、一緒に拘束された三人の部下も口を割ることはない。
外にいる部下の誰かが我々を救出してくれれば……押収された魔導誘引機も取り戻すことが出来れば、まだ任務成功の可能性はある。
だが、ガレイ・リーガルドは自分の命運を他人に委ねるような男ではなかった。いつだって道は自分で切り拓いてきたのだ。牢の巡回の間隔は掴んだ。次の巡回まで四分の一刻はある筈。
彼は左脚の義足を外した。健康だった脚を膝の下から切断し、非常に精巧な義足を装着しているのだ。義足の内部には緊急時に役立つ道具を仕込んでいる。そこから短刀と錠破りの道具を取り出し、義足を嵌め直した。
彼は早速牢の錠を開けるため、作業に取り掛かった。
*****
アウリは寝台の端に腰掛け、物思いに耽っていた。隣の寝台ではプルクラがすやすやと寝息を立てている。
宿の一階で偶然会ったのは、忘れもしないガレイ・リーガルド管理官だった。記憶にあるより老けていたが、あの鋭い眼光は忘れられる筈がない。
ツベンデル帝国で戦争孤児となり、“養成所”と呼ばれる機関に入れられたのはアウリが六歳の時だった。
戦争で両親を亡くした子供を養う場所。孤児院のような所だと聞かされていた。最初の三年間は孤児院だと信じて疑わなかった。読み書き計算、歴史、地理の勉強と運動の時間があり、指導は厳しかったものの食事は十分だったし、同じ境遇の仲間がいたので苦しくはなかった。
四年目になって同い年の仲間がいくつかの組に分けられた。
勉学に優れた者。運動能力が高い者。両方に秀でた者。容姿が優れた者、そうでない者。一度別れた仲間とはそれ以降二度と会えなかった。
アウリは高い知能と優れた身体能力、そして見目麗しい容姿を持っていた。彼女は特別厳しい訓練を行う組に配属された。それからの三年間は地獄の日々だった。専門知識を教え込まれ、体術を叩き込まれる。涙を出せば、死んだ方がましと思える罰を与えられる。仲間は次々と脱落し、最初は二十人いた組が三年後には四人しか残らなかった。途中で脱落した者がどうなったのかは今でも分からない。
訓練の仕上げとして、とある貴族家にメイド見習いとして潜入し、そこの当主を暗殺する任務が与えられた。
アウリは当主の間近まで迫り、あとは頸動脈に短刀で切りつけるだけだった。だが彼女には人殺しが出来なかった。その当主はアウリに優しかった。アウリを殴ったりしなかった。頭を撫でて褒めてくれさえした。そんな人を殺すことなど出来る筈がなかった。
任務に失敗したアウリは、再教育という名の洗脳を施された。しかし皮肉にも、洗脳に抵抗する術を彼女はこの三年間で叩き込まれていた。再び暗殺任務を与えられるも、やはり失敗。彼女には暗殺対象を殺す理由がなかった。
地獄の三年間、アウリに暗殺者教育をしていた中心人物がガレイ・リーガルド管理官である。そして、使い物にならないアウリをクレイリア王国の大魔導、レンダル・グリーガン暗殺の囮に使うことを決めたのもリーガルドであった。
レンダルと出会う以前のことは、プルクラに詳しく話したことがない。だが、さすがに話すべきだろう。リーガルドを見て過剰な恐怖を抱き、プルクラはそれを見てリーガルドに対して怒ってくれたのだから。
プルクラの寝顔を見ながら、アウリは思う。過去を打ち明けたら、彼女はどんな反応を示すだろう。嫌われたりしないだろうか。暗殺者として育てられた自分を恐れたり、軽蔑したりしないだろうか。
いや、プルクラはそんなことはしない。全てを打ち明けても、今までと変わらず接してくれる。それは確信だった。口数が少なく表情もあまり変わらないから、他の人が見れば何を考えているか分からない子だと思うかもしれない。でもアウリは知っている。プルクラは良くも悪くも純粋なのだ。嘘や誤魔化しを知らない。自分は彼女のそんな所に惹かれているのだ。
自分の過去よりもっと重大なことがある。アウリはプルクラの額に掛かった髪を優しく払いながら考える。
それはキウリ・ペンタス子爵の、『クレイリア王国の第三王子を連れて、当時の第二騎士団長とジガンがリーデンシア王国に亡命した』という言葉。
クレイリア王国の第三王子。それはつまり、プルクラの兄だ。ジガンはプルクラの兄を知っており、その居所も知っている可能性がある。プルクラの唯一の肉親がこの国で生きているかもしれないのだ。
この件については、アウリの独断でプルクラに伝えるのは早計と思われた。さすがにレンダルやニーグラムと相談する必要がある。出来るだけ早急にレンダルに会わなければ。
「お姉ちゃん、ですか……」
頭の整理が出来て、アウリはプルクラの言葉を思い浮かべた。プルクラが自分のために本気で怒ってくれたこと。そのおかげで冷静さを取り戻し、勇気を持てたこと。プルクラの寝顔を見ていると、目にじんわりと涙が浮かぶ。胸の中が温かくなる。
姉として、プルクラ様のお役に立たなければ。
アウリは自分の寝台ではなく、プルクラの隣にそっと体を横たえた。今夜は妹と一緒に眠りたい気分だった。
幕越しに差し込む朝日にアウリが目を覚ますと、プルクラが抱き着いていた。その腕を優しくはがし、プルクラより先に身なりを整えるために起き上がる。顔を洗って口を濯ぎ着替えを済ましてからプルクラの肩を揺する。
「プルクラ様、朝ですよ」
「……んー」
昨晩は寝台に入るのが少し遅かったからか、プルクラがむずかるような声を漏らす。もぞもぞと上掛けの中に潜ろうとするプルクラは小動物のようだ。本音を言えば好きなだけ寝かせてあげたいが、今日は武具屋と討採協会に行く予定がある。心を鬼にして上掛けを勢いよく捲り上げた。
横向きに体を縮こまらせたプルクラが、ぱちっと目を開いた。
「おはようございます、プルクラ様」
「……アウリ。おはよ」
アウリの手も借りて手早く身支度を整え、二人で宿の一階へ下りる。魔導昇降機とは受け付けを挟んで反対側に食堂の入り口があり、そこで朝食を食べられるのだ。
食堂は席が三分の一ほど埋まっており、ジガンの姿も見えた。灰色の髪には寝癖がついたままである。
「ジガン、おはよ」
「おはようございます、ジガン様」
「おぅ、おはよう」
「あ、間違えた。おはよ、剣聖」
「……態々言い直してくれてありがとよっ!」
ジガンはプルクラに“剣聖”と呼ばれて弄られることを諦めたらしい。放っておけばそのうち飽きるだろうと踏んでいる。
朝食で供される料理は決まっていて、プルクラとアウリの前にもパンとスープ、目玉焼きと小さめの腸詰め肉が運ばれてきた。
三人でこの後のことを話しながら朝食を食べていると、食堂の入り口に衛兵が二人現れた。中を見回し、プルクラとアウリを見付けて近づいてくる。
「食事中失礼する。プルクラ殿で間違いないか?」
「ん?」
ジガンとアウリが警戒して身を固くした。
「キウリ・ペンタス子爵様から書簡を預かって来た。悪いが今目を通してもらい、説明が必要なら言ってくれ」
「ん」
ジガンへの弟子入りを口添えしてくれとか、そういう内容だろうと思いながらプルクラは封を開けた。
『プルクラ殿
昨夜貴殿とひと悶着あったツベンデル帝国のガレイ・リーガルド男爵が、夜のうちに東獄舎から脱走した。仲間の三人と押収した荷物も一緒だ。
貴殿やアウリ殿に恨みを抱いているやもしれぬので気を付けられたし。
彼らがオーデンセンへ来た目的は不明。あの大きな荷物の中身は魔導具と思われるが、これの使い方も不明である。何か気付いたことや思い当たる節があれば衛兵に言付けて欲しい。
最後になるが、再び貴殿と剣を交える日を楽しみにしている。ジガン様にもよろしく伝えてくれたまえ。
キウリ・ペンタス』
「んー」
「どうなさいました?」
「リーガルド、逃げたって」
「……往生際の悪い男ですね」
ジガンには昨夜のうちに何があったのか軽く説明をしてある。ジガン本人はリーガルドたちや大荷物を目にしていない。
「ジガン、こんくらいの魔道具、心当たりない?」
プルクラが手で大きさを示しながら尋ねる。
「魔道具には詳しくねぇからなぁ」
「だと思った」
ジガンのこめかみに「ぴしっ」と青筋が浮かぶが、軽く流したプルクラは隣のアウリに体を向ける。
「アウリ、心当たりない?」
「…………あの魔道具の使い道は分かりませんが、あの男が来た目的はろくでもないものに決まっています。要人の暗殺や誘拐、この街へ攻め込むための調査や準備、何らかの破壊工作……」
アウリの言葉を聞いた二人の衛兵が虚を突かれた顔になる。それほど重大だとは思っていなかったのだろう。
プルクラは、アウリが痛みを堪えるような顔をしているのに気付いた。血の気が引いて青白い顔色になっているが、目には強い意志が浮かんでいる。
アウリとリーガルドにどんな過去があったか知らないし、アウリが話したくなければ聞くつもりもない。過去がどうあれ、プルクラにとってアウリが大切な人であることは変わらないからだ。
「アウリ、どうしたい?」
「……あの男たちがやろうとしていること、出来るなら潰してやりたいです」
「ん。やろう」
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