第18話 帝国貴族と王国貴族
ジガンの出身地を聞いたアウリは、思わずプルクラを見る。彼女は品書きに夢中だった。
「クレイリア王国から……ご苦労されたんですね」
「ああ……まぁ、そうかもな。やんごとなき方を連れてこっちへ逃げてきたって感じだ」
「そうなのですか」
アウリはレンダルからプルクラの出自について聞かされている。ただ、プルクラ本人が自分の出自を知っているのか判然としない。「あなたは自分が元王女様だと知っていますか?」と本人に聞くわけにもいかない。祖国が滅び、親を殺されているのだ。迂闊に触れられない繊細な問題である。これ以上ジガンに深く尋ねると藪蛇かもしれないので、アウリは話題を逸らした。
「プルクラ様、ご注文はお決まりですか?」
「……多過ぎて決められない」
「煮込みは絶対外せねぇ。後はお勧めを頼めばいいんじゃねぇか?」
「ん、任せる」
ジガンに任せた結果、卓の上が料理で埋まった。
「ふぉぉおおおー!」
見たことのない料理がずらりと並び、プルクラが目を輝かせる。
「これが六角青牛のすじ煮込み、こっちが肩肉の煮込みだ」
焼き野菜の乾酪掛け、厚切り肉の炙り、腸詰肉、衣をつけて油で揚げた肉と野菜の料理。アウリが小皿に取り分けて渡すと、プルクラは黙々と食べ始めた。ジガンは煮込み料理を肴に穀物酒をちびちび飲んでいる。
「アウリの料理も美味しいけど、これも美味しい」
「味を覚えて作ってみますね」
「ん!」
料理に満足したので、プルクラとアウリは宿“銀鷺の止まり木亭”に戻った。ジガンは酒が飲み足りないらしく、どこかへふらふらと消えて行った。
宿の受け付け前には身なりの良い男たちが四人いて、従業員と何やら話しているようだった。
「一部屋くらい空いているのではないか?」
「誠に申し訳ございません」
「仕方ない。近くの宿を探そう」
満室のため宿泊を断られたようだ。四人の男たちが踵を返したとき、アウリがひゅっと息を吞む小さな音がプルクラの耳に届いた。
アウリは男たちから顔を逸らし、プルクラの袖を引っ張って魔導昇降機に向かう。男の一人がアウリに鋭い視線を送っていた。
「おい、そこの女と子供」
男の声が聞こえないふりをして、アウリが昇降機を呼ぶ釦を押した。何が起こっているのか尋ねたいプルクラだが、アウリは何かを恐れているように視線が定まっていない。プルクラの袖を掴む手も小さく震えている。尋常ではない様子に、プルクラも口を閉ざしている。
「呼んだのが聞こえないのか?」
男が近付いて来て、アウリの肩に手を伸ばした。アウリは背を向けているが、青い顔で今にも泣き出しそうだ。プルクラは伸ばされた男の手首を掴んだ。
プルクラは素早く男の魔力を視る。くすんだ赤色の魔力はジガンより少し多い程度。左脚の膝から下に魔力が巡っていないこと以外、特に怪しい点はない。
「何の用?」
「お前に用はない……くっ、離さんか!」
男は手を振り解こうとして、岩のように動かないプルクラに怒鳴った。徐々に身体強化を強くし、男の手首を握る手に力を込める。
「は、離せ! 俺が誰だか分かってるのか!?」
「知らないし興味ない。何の用か早く言った方がいい」
額に脂汗を浮かべた男が、他の三人に目で「助けろ」と合図を送る。三人は持っていた大きな荷物を床に置くと、懐から小型の魔導銃を取り出し、銃口をプルクラに向けた。
「『
「「「うぁ!?」」」
三人は、まるで何かに押さえつけられたかのように、両手と両膝を床について立ち上がれなくなった。魔導銃が床に転がる。
「ま、魔術師か」
「早く言わないと骨が砕ける」
「き、貴様! 俺は帝国貴族だぞ!? 他国の貴族にこんな真似をして、ただで済むと思ってるのか!?」
プルクラの目が細められ、顔から表情が抜け落ちた。
アウリがあんなに怖がっているのを初めて見た。この男の顔を見た瞬間からアウリがおかしくなった。きっとアウリに酷いことをしたに違いない。
アウリとの付き合いは二年程。それでも、森で暮らしていたプルクラにとっては唯一歳の近い同性だった。父やレンダルに言えないこともアウリになら話せる。かけがえのない家族なのだ。
「私の
「プルクラ様っ!」
男の手首を粉砕する寸前、アウリから声を掛けられた。顔色はまだ青いが、視線は定まり震えも治まっている。
「プルクラ様、私なら大丈夫です」
「ほんと?」
「はい。リーガルド様、お久しぶりです」
プルクラが手首を離すと、男は膝から崩れ落ちて無事な方の手で手首を覆う。
「……お前、やはりアウリか。お前に妹はいない筈だが」
「あなたには関係ありません」
「いや、関係あるとも! お前は帝国が金を注ぎ込んで作り上げた“道具”だ! そして、この子供は私に狼藉を働いた! お前たちを帝国に連行し、手足を切り刻んで家畜の餌にしてやる!」
その時、宿の入口からぞろぞろと街の衛兵が入ってきた。受付の従業員が呼んできたのだ。
「私はツベンデル帝国のリーガルド男爵だ! そこの女と子供を捕えよ!」
衛兵たちは帝国貴族の命令を聞くべきか否か逡巡した。彼らはオーデンセンの衛兵であり、雇い主は領主のシュベルツ・ラガースタ侯爵である。リーデンシア王国貴族ならまだしも、他国の貴族から命令されて従う義務があるのか判断がつかない。
「何をやっている!?」
リーガルド男爵が激昂して立ち上がった時、“チーン”と軽やかな鈴の音がして、魔導昇降機の籠が一階に到着した。
「おや? 何の騒ぎ――おお、プルクラ殿ではありませんか!」
「……キウリ?」
昇降機から降りてきたのは、ファルサ村でプルクラが立ち合ったキウリ・ペンタスだった。相変わらずの大きな体と大きな声。室内だと余計に声が響く。
彼の顔を見た衛兵たちが一斉に跪き顔を伏せた。衛兵の中で目立つ帽子を被った者が口を開く。
「ペンタス子爵様、お騒がせして誠に申し訳ございません」
「…………子爵?」
ファルサ村に押し掛け、ジガンに弟子入りしたいと宣い、プルクラにあしらわれたキウリ・ペンタスは、ここラガースタ領の東に隣接するペンタス領の三男である。王国第三騎士団で挙げた功績により叙爵され、領地なしの子爵位を賜った。
「いやぁ、お恥ずかしい。子爵と言っても剣を振るしか能がないのです」
子供にしか見えないプルクラに丁寧な言葉遣いで接するキウリを見て、衛兵たちは帝国貴族に従わなくて良かったと安堵する。
「して、何があったのですかな?」
「……ペンタス子爵殿、私は帝国のリーガルド男爵と申します。その子供が私に暴力を振るったのです!」
「ほぅ、暴力? それで、あなたは何故生きているのですかな?」
「は?」
「いや、プルクラ殿がその気になれば、あなたとそこのお三方は一瞬で首が飛びますぞ?」
「な……そんなこと、許されるわけが――」
キウリの柔和な目が、一瞬にして冷酷な光を湛えた。
「この御仁は、かの“剣聖ジガン”様の一番弟子。あなたも知っているでしょう。帝国が不条理にもクレイリア王国に攻め込んだ際、当時の第二騎士団長とジガン様のお二人で千人以上の帝国兵を屠ったことを。そして第三王子を連れてこのリーデンシア王国に亡命した。ジガン様は我がリーデンシア王国民であり、我々武人にとっては尊敬と憧れの存在。そのジガン様がお認めになったのが、こちらにおわすプルクラ殿ですぞ?」
どちらかと言えば無口な方だと思い込んでいたキウリが畳み掛けるように、だが一言ずつ明瞭に、リーガルド男爵に向かって言葉にした。
最初に出て来た言葉の衝撃が強過ぎて、プルクラはその後の言葉が耳に入って来なかった。
剣聖? あのジガンが? 後で思い切り弄ってやろう。その他の情報は後でアウリに分かりやすく教えてもらおう。
「だ、だから何だと言うのだ!?」
「ジガン様の弟子であるプルクラ殿が、帝国貴族のあなたに怒りを覚えても不思議ではない」
プルクラが怒ったのはリーガルド男爵がアウリを怖がらせたからであり、ジガンは一切関係ない。リーガルドが帝国貴族であることも途中で知った。
「それにプルクラ殿は簡単に暴力を振るう御仁ではない。あなたが何かしたのでは?」
「わ、私を疑うと言うのか!?」
「それを今尋ねているのですよ」
キウリ・ペンタス子爵は本人の言う通り“武人”である。相手の為人を知るには剣を交えるのが一番と言って憚らない。
彼がプルクラと立ち合って驚いたのは、見た目から想像出来ない実力だった。そして、怪我を負ったキウリを気遣い、あまつさえ治療までして見せた。つまりプルクラは魔術の心得が有り、剣の立ち合いでは身体強化以外は使わなかったということ。
魔術云々は誤解だが、キウリの中でプルクラの評価は高い。少なくとも、帝国貴族を自称する輩より信用に値する、と彼は考えている。
そのプルクラ本人は既にリーガルド男爵から興味を失っていた。それよりも「竜の聲」でひれ伏せさせた三人が床に置いた大荷物が気になった。意識して視てみると、その荷物から僅かに魔力が漏れているのが分かったからだ。あの、ベルサス村で倒した“鬼”の胸に視えた魔力と似ている気がする。黒と紫が混じった魔力だ。
「キウリ。あの荷物、怪しい」
「「「「!?」」」」
リーガルド男爵と三人の男がプルクラの言葉を聞いて絶句した。それを見逃すキウリではない。
「ふむ。リーガルド殿、あの荷物は何ですかな?」
「そんなことに答える義務はない!」
「おっしゃる通り答える義務はありませんな。しかし、この街の衛兵にはあの荷物を調べる権限がありますな」
「っ!? わ、私は帝国貴族だぞ!」
「……そして、私はこのリーデンシア王国の貴族です。ここにいらっしゃる以上、我が国の法に従っていただかねばなりませんな」
「くっ……」
リーガルド男爵と三人の男は衛兵に拘束され、どこかへ連行された。もちろん怪しい大荷物も衛兵が運んで行った。キウリは衛兵の上官に、彼らの来訪目的とあの荷物について調べるよう指示した。
「プルクラ殿。妙な騒ぎに巻き込まれましたな」
「ん。キウリ、ありがと」
「ペンタス子爵様。ありがとうございました」
プルクラの感謝に続き、アウリが頭を下げた。キウリが偶々この場にいたから良かったものの、あのままプルクラが怒りに身を任せれば、リーガルド男爵たちが“銀鷺の止まり木亭”ごと跡形も無く消えていたかもしれない。
「
キウリが柔和な笑顔で答えたその時、ジガンが帰って来た。
「ん~? 何かあったのか?」
「おおっ! ジガン様!」
「あー、えーと……」
「キウリ・ペンタスでございます!」
「ああ! プルクラと村でやり合った」
「覚えていて下さったのですね!」
負けっぷりがあまりにも鮮やかだったから覚えている、とは本人に言えない。プルクラがくいくいとジガンの袖を引っ張る。
「ジガンジガン」
「ん?」
「キウリ、子爵だって」
「シシャク……子爵? お貴族様かっ!?」
「先程プルクラ殿にも申しましたが、剣を振るしか能のない名ばかり子爵です」
ジガンが驚くと、キウリは申し訳なさそうに弁解した。
「キウリのお陰で助かった。キウリを弟子にしてあげて? 剣聖ジガン」
「いや、弟子って言っても……今なんつった?」
「弟子にしてあげて?」
「いや、そのあと」
「剣聖ジガン」
すぅっとジガンの目が細められる。周囲の温度が下がったように感じるほど冷たい殺気が放たれた。
「何で知ってる」
「風の噂で聞いた」
刹那、空気が弛緩した。
「くっそぉ! 言っておくけどなぁ、自分で言ったんじゃねぇからなっ? 周りが勝手に言い出したんだからなっ!?」
「………………ん」
「何だよその間は!? 信じてねぇな、おい!」
ジガンが頬を抓ろうと手を伸ばし、プルクラはその手をするりと躱した。
「ぐぬぬぬ……」
「師匠が“剣聖”で鼻が高い」
「やかましいわっ!」
意地になって両手を繰り出しプルクラの頬を抓ろうとするジガンと、上体の動きだけでそれを躱すプルクラ。非常に高度で大変に無駄な攻防が繰り広げられる。そんな二人をアウリが生温い目で眺め、キウリは“剣聖”と呼んだのが自分だと気付いて冷や汗を流していた。
“銀鷺の止まり木亭”の従業員は、この人たち早くどこかへ行ってくれないかな、と顔を引き攣らせていたのだった。
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