第17話 領都オーデンセン
領都オーデンセンの北門には、ファルサ村を朝方出発して夕刻に到着した。ジガンは身体強化二倍のつもりだったが、プルクラとアウリが四倍で走った。置いて行かれないよう無理をした結果、オーデンセンに到着した時はジガンがひと回りほっそりして見えた。
「……痩せた?」
「そうだとしたら、お前らのせいだよっ!」
「何度も休憩した」
ジガンが長時間身体強化を発動し続けることが出来ないため、何度も足を止めたのは事実であった。
「……息を整える間だけ足を止めるのは休憩って言わねぇんだよなぁ……」
食事中すら走り続けたのである。ジガンの知っている“休憩”は一度もなかった。
プルクラが体力お化けなのは薄々分かっていたが、アウリも同類だとは。若い二人の持久力に慄くジガンであった。
「プルクラ様、先に宿を取って汗を流しませんか?」
「ん」
「……いいな。少しばかり休みてぇ」
愚痴を零すジガンを無視して宿を取ることにした。ジガンもそれには賛成である。
オーデンセンは建物三階分くらいの防壁で覆われた街だった。木の柵で囲まれたファルサ村とは大違いだ。北門には入街する人が十人ほど列を作っていた。その先には金属の鎧を身に着けて槍を持った兵士が待ち構え、人々は何かを提示して中に入っている。
それを見た瞬間、プルクラがその場で固まった。
「プルクラ様?」
「……身分証、ない」
「あー、取り敢えず俺の“娘”ってことにしときゃいいんじゃねぇの?」
「駄目です。私の“妹”にします」
「……どっちでもいいけどよぉ」
ここまで意気揚々と先頭にいたプルクラだったが、アウリの陰にこそこそ隠れるようにして列に並んだ。まるで悪い事をしている気分。実際、アウリの妹と嘘をついて街に入るのだから悪い事をしているのだが。
「次の者!」
兵士の厳つい声にびくっと体を震わせるプルクラ。あの“鬼”を素手で殺したのと同一人物とは思えない小心さだ。初めての罪悪感と、自覚のない人見知りが同時発動した結果である。
ジガンが銀色の金属片を提示し、名前と街に来た目的を告げて兵士の前を通る。アウリは銅色の金属片を兵士の前に掲げた。
「アウリと申します。こちらは妹のプルクラ。まだ身分証がありません」
プルクラは十五歳にしては小柄なため、十二~十三歳に見える。身分証を所持していなくても不思議のない年齢だ。アウリの背中に隠れて兵士を直視出来ないプルクラは更に幼く見えた。
「うむ。オーデンセンに来た目的は?」
「観光とお買い物です」
兵士は紙に何かを書きつけて「通って良し」と告げる。一見無害そうな少女二人を留め置く理由はない。槍を持った方の兵士が「次の者!」と声を上げ、プルクラとアウリはそそくさと街に踏み入った。
先に入ったジガンに近付こうとして、またプルクラが固まる。
「プルクラ様?」
「ひっ」
「ひ?」
「人が多い……」
まだオーデンセンの入口だが、門前の広場には市が立ち、ここだけでファルサ村の全人口を軽々と超える人が行き交っていた。あまりの人の多さに、プルクラの目がぐるぐると回る。それを見て、アウリの庇護欲が燃え盛った。
「大丈夫です! 全てこのアウリにお任せ下さい!」
アウリがプルクラの背に手を添える。
アウリはプルクラより二つ年上の十七歳。彼女は年齢相応の見た目なので、傍から見ると姉妹に見えなくもない。髪色や顔立ちが全く違うので少し無理はあるが。
「さあジガン様! お勧めの宿に案内を!」
「あ、俺が案内するのね……」
プルクラと手を繋ぎ、にこにこと上機嫌なアウリ。人の多さに酔って青褪めた顔のプルクラ。やつれたジガン。三人は連れ立ってオーデンセンの街中へと繰り出した。
木造平屋しかないファルサ村と違い、ここは背の高い石造りの建物が多い。人の多さもさることながら、様々な獣や魔獣が曳く荷車や客車も行き交う。平らな石畳を敷き詰めた道は幅が広い。プルクラにとっては見るもの全てが初めてなのだが、人酔いでそれどころではなかった。
歩くこと半刻、陽も落ちかけてきた頃、五軒目でようやくアウリのお眼鏡に適う宿が見つかった。
「ここは下級貴族や金持ちの商人が泊まる所だぞ?」
「仕方ありません。ここで妥協します」
「どこのお姫様だよ……」
風呂とトイレが客室全てに備え付けられた高級宿。一人部屋は一泊大銀貨一枚(約十万円)、二人部屋は大銀貨一枚と銀貨五枚(約十五万円)である。アウリが袈裟懸けにしている小さな鞄から大銀貨三枚を取り出して支払い、銀貨五枚の釣りを受け取った。
「なぁ、今更だけど金は……」
「問題ありません。プルクラ様のお父上から十分な額を預かっていますので」
娘の旅立ちに当たり、ニーグラムは鱗三枚の換金をレンダルに依頼した。その価格、実に白金貨三枚(約三億円)。それを使いやすい金貨や銀貨に両替してアウリに持たせた。プルクラは金の使い方を知らないので、覚えるまではアウリが全て管理することになっている。
余談だが、周辺各国は協定で硬貨に含む貴金属の割合を定めている。国によって硬貨の意匠は異なるが、基本的にどの国でも同じ価値で使える。
「……借りは返す」
「プルクラ様が望むだけ剣術をご指導ください」
「俺が教える必要ってある?」
「ご謙遜を」
そもそもあいつ、剣が必要だろうか……あの“鬼”を素手でぶっ飛ばしたのに。
そんな風に思うジガンだが、彼は黒竜の森でプルクラが相手をしていた魔獣のことを知らない。素手の攻撃では損傷を与えられない敵が実際にいるのだ。火翼竜、鎧蟻、鉄蜥蜴、岩大熊……他にも剣があれば倒しやすい魔獣は多く存在する。それらの魔獣は人間が生活する領域では滅多に遭遇しないだけで、確実に生息しているのだ。
「部屋は七階ですよ、プルクラ様」
「ん。ありがと、アウリ」
宿の建物に入ってようやく顔色が良くなってきたプルクラに、アウリが告げる。
「うへぇ……七階かよ」
走りっ放しで脚がぷるぷる震えているジガンが溜息をつく。
「大丈夫ですよ、ジガン様。魔導昇降機があります」
「そりゃあ助かる。さすが高級宿だな」
宿の受付から少し離れた左手に巨大な鳥籠のような箱がある。箱の上部四隅から天井に開いた穴へ向かって黒い鎖が伸びていた。屋上に魔導機関による巻き上げ機があり、魔石を原動力にしてこの箱を上げ下げするのだ。
アウリが箱の入口を開けると、プルクラが物珍しそうに中へ入った。ジガンは慣れているらしく特に反応はない。
箱内部に金属製の板があり、一~八の数字が刻まれている。アウリが“七”に触れるとその数字が青白く光った。
「ほぉーっ!」
プルクラが目を輝かせた直後に少しの衝撃があり、箱が上昇し始める。途端にプルクラが少し腰を落として身構えた。
「プルクラ、昇降機は初めてか?」
「ん。不思議な感覚」
「そうか……警戒した猫みたいになってんぞ?」
馬鹿にされたような気がしたので、プルクラはジガンの脛を蹴った。
「
「ただのじゃれ合い」
プルクラが本気で蹴れば膝から下が千切れ飛びかねないので、ジガンもこれが本気ではないと分かっている。お返しとばかりにプルクラの頬を摘まんで引っ張る。
そうやって師弟がじゃれ合っているうちに七階へ着いた。
「一刻後に夕飯を食べに行くということで」
「分かった」
部屋の前で別れ、プルクラとアウリは二人部屋へと入った。
「プルクラ様、先にお風呂どうぞ」
「ん」
プルクラは素早く服を脱ぎ捨てて風呂へ向かった。思ったよりも広い。
「アウリ。広いから一緒に入ろ?」
裸のまま部屋に戻りアウリを誘う。アウリは「はい!」と笑顔で頷き、手早く服を脱いだ。すらっとして比較的長身のアウリは、細いのに胸が大きい。物語に出て来る男の人は、だいたいアウリのような胸の大きな女性を好むことをプルクラは知っている。
実はプルクラも、普段は晒で潰しているが華奢な割に胸はある方だ。だが本人は走る時や戦う時に邪魔だと思っている。プルクラとしては胸やお尻の肉より筋肉が欲しいのだ。
木桶に汲んだお湯を頭から被り、洗髪用の液体石鹸で髪を洗う。さすがは高級宿と言うべきか、普段使っている物より良い香りがする。アウリより先に洗い終えたプルクラは、洗い布に固形石鹸を擦り付けて泡立て、体を洗い始める。こちらも良い香りだ。
「プルクラ様、お背中流しますね」
髪を洗い終えたアウリが背中を洗い布で擦ってくれる。絶妙な力加減。
「アウリの背中、洗う」
お返しにプルクラがアウリの背中を擦る。二人でとても良い香りの泡に包まれた。お湯で体に付いた泡を流して浴槽へ。浴槽には白と黄色の花弁が浮いていた。
「ふぃ~」
「ふぅ」
肩までお湯に浸かると、今日の疲れが溶けていくようだ。頬がほんのり桜色になるまで温まり浴槽から出る。
「プルクラ様、香油を御髪に塗りましょうね」
「ん、ありがと」
がしがしと短い髪の毛を拭うと、アウリが優しい手付きで髪に香油を擦り込んでくれた。爽やかな柑橘系の香りがする。
「いい匂い」
「そうですね。石鹸も良い香りでしたね」
「ん」
「買えるようでしたら買って帰りましょう」
「ん」
新しい下着と部屋着に着替え、時間まで寝台で横になる。アウリはそれまで来ていた服や下着をレンダル直伝の“洗濯魔術”を使い風呂で洗っている。プルクラのおしめを効率的に洗うために編み出された洗濯魔術だが、“乾燥”まで出来るように改良したのはアウリである。
魔導洗濯機なるものも存在するが、非常に高価な上大きい。現在でも洗濯は手洗いが主流なので、アウリ(とレンダル)が使う洗濯魔術は画期的なのだ。二人分の洗濯物なら八分の一刻(十五分)で乾燥まで終えてしまうのだから。魔術師でなければ使えないけれど。
「プルクラ様、そろそろお時間です」
「んん……」
アウリに揺り起こされて目を覚ます。いつの間にか眠っていたようだ。ジガンと三人で夕食に行く約束である。
旅をする目的の一つに、“食べたことのない料理を食べる”というものがある。森を出てからアウリの手料理しか食べていない。彼女の料理は非常に美味しいので不満はないのだが、手に入る食材が限られているので種類豊富とは言えなかった。ここオーデンセンで料理を食べるのを楽しみにしていたのだ。
魔導昇降機で一階に下りると既にジガンが待っていた。無駄に良い香りを漂わせている。
「……お風呂、入った?」
「入ったぞ」
「ふぅ~ん」
「何なの!? 俺、風呂入っちゃ駄目なの!?」
「プルクラ様は、ジガン様から良い香りがするのが納得いかないのです。そうですよね、プルクラ様?」
「ん。なんかむかつく」
「仕方ねぇだろ、石鹸があれしかなかったんだから!」
謂れのない文句をつけられて憤慨気味のジガンだが、香りが気に入って二回風呂に入ったのは内緒である。
ジガンを弄りつつ、宿の受付で聞いたお勧めの食事処に入った。夕食の時間にしては遅いせいか客入りは半分程度だ。最初はびくびくしながら店に入ったプルクラだが、意外と客が少なく、こちらに注目する者もいないので安心した。
「オーデンセンは煮込みが
「ジガン、詳しい」
そう言えば宿の案内もしてくれた。初めて訪れるわけではないようだ。
「五~六年住んでたからな」
「そうなんだ」
ジガンの過去については何も聞いていない。ファルサ村に馴染んでいるから、生まれた時から住んでいるものだと思っていた。
「ジガン様、ご出身はどちらですか?」
「お前らに言っても知らねぇかも。今は無くなっちまった“クレイリア王国”ってとこだ」
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