第16話 師匠の剣を買いたい

 ファルサ村の北門に戻る頃には、空が茜色に染まっていた。プルクラは、彼女にしては饒舌と言っても良いほど、この二週間にあった出来事を父に語って聞かせた。


「ファルサ村に行く途中でジガンと会った」

「ほう」

「村でキウリと立ち合いした」

「初めて人と立ち合ったのだな」

「ん!」


 ジガンから剣術を教わっていること、レノ、ダレン、ギータの男の子三人の相手をしていること、村の人数人と偶に話すようになったこと。

 目を輝かせ、頬を紅潮させて話す娘を、ニーグラムは愛おしそうに見つめる。たった二週間で娘が成長したような気がして、胸に湧き上がるもやもやしたものに戸惑う。

 それは、娘が誇らしいのと同時に遠くへ行ってしまったような寂しい気持ち。黒竜が初めて味わう感覚であった。


「お父さん、泊まっていく?」

「いや。これからレンダルの所へ行って、森へ帰らねばならん」

「そう」


 黒竜があまり森を離れられないのはプルクラも良く分かっている。我儘で父を困らせるつもりはない。寂しさを押し隠しながら、プルクラは笑顔で父に伝えた。


「レンダルによろしく」

「うむ。また会いに来る」

「ん!」


 ニーグラムはプルクラの頭を優しくひと撫でし、茜色の空へ飛び立った。その姿が黒い豆粒になり、やがて見えなくなるまで、プルクラはその場に立って見送っていた。





 その頃レンダルは、プルクラとアウリのために特大容量の拡張袋作成に勤しんでいた。特大容量は軍需物資である。レンダルが内職で作り販売しているのは、プルクラに渡した物より容量が少ない拡張袋。これも悪用しようと思えば出来るのだが、既に他の製作者による袋が市井に出回っているので、多少増えたところで影響は少ない。

 だが特大容量となれば話が別である。軍事行動における輜重の運用が大きく変わる。レンダルも、これまでクレイリア王国軍や騎士団に納品した四つしか作成したことがない。


 制作にかかる手間と時間も桁違いで、価格を付けるとしたら小国の国家予算レベル。そんなものをおいそれと出回らせて良い筈がないのだが、老い先短い人生、最愛の孫たちに贈って何が悪い、とレンダルは開き直ったのである。


 実は、特大容量の拡張袋以外にも軍需物資相当の贈り物を作成している。頭のねじが緩み気味なのかもしれない。


「よし。これで二人分出来上がったのぉおお!?」


 その時、借家に張られた結界が破られた。アウリと出会った一件以降、帝国の暗殺者に狙われたことはないが、招かざる客の侵入に備えた結界がいとも簡単に破られた。すわ敵襲か、とレンダルが身構えると、来客を告げる呼び鈴が鳴った。


(アウリの時もこんなじゃったなぁ……)


 あの時結界は張っていなかったが、だからこそアウリと出会えたのである。懐かしい思いを振り払い、レンダルは魔術師の外套に袖を通し、障壁魔術の術式を構築してから玄関扉を開けた。


「なんじゃ、ニーグラムか……って、何で儂の家知っとるの?」

「空からお主の魔力を探知した」

「あ、そう。言ってくれれば結界を解除したのに。これ張るの結構大変なんじゃよ……」


 脱力したレンダルがニーグラムを家の中に招き入れる。ダイニングの椅子に誘い紅茶を淹れた。


「で、急にどうしたんじゃ?」

「ヌォルの分体がプルクラに目を付けた」

「ヌォルが…………随分早いの」


 ニーグラムはヌォルが自分を目の敵にしていることを知っている。プルクラを森の外に出すのを渋っていた最大の理由がこれだ。黒竜の森は魔力濃度が高過ぎて、外から中の様子を伺うことが非常に困難である。ヌォルにも見通すことが出来ない。だから黒竜の森の中にいる間、プルクラの存在はヌォルに知られなかったのだ。


 しかし、森から出た途端にプルクラはヌォルに探知された。しかも黒竜と縁深いことも見抜かれた。


「プルクラは強過ぎるからのう。目立つんじゃろうな」

「そうだな。あの子の魔力は遠くからでもその輝きを見て取れる」


 ニーグラムの目には、プルクラの魔力が煌めく宝石のように見える。プルクラの視え方とはまた異なるのだ。


「分体は潰したんじゃろ?」

「ああ。数か月か、もしかしたら数年は問題ないかもしれない。だが他にも分体がいる可能性はある」

「対策が必要という訳じゃな?」

「うむ」


 ニーグラムの思い付く対策は、プルクラを黒竜の森へ連れ帰るか全身鎧の鱗を二重にして常時身に着けさせるくらいである。

 プルクラを森から出したのは、彼女に“人間”としての幸せを見付けて欲しいからだ。森に戻ったらそれが叶わなくなる。

 全身鎧はプルクラなら喜んで着用しそうであるが、防御力は最強でも悪目立ちが過ぎるだろう。それはニーグラムにも分かっていた。


「あの子の魔力を探知されないようにすれば良いと思うのじゃが……」

「それでは俺も探せない」

「じゃよな」

「レンダルなら何とか出来るだろう?」


 この世界の頂点に君臨する黒竜から“何とか出来る”と信頼されるとは、魔術師冥利に尽きるというもの。レンダルはむずむずと上がりそうになる口端を隠しながら答える。


「全く、魔術で何でも出来るわけではないんじゃぞ? まぁやってみるがの」

「うむ。頼りにしている」


 ニーグラムとヌォルの確執を聞かされた時から、レンダルにはある構想があった。構想だけで実現には程遠いが、他ならぬ可愛い孫のためだ。出来ないなどと言える筈がない。

 それに、黒竜から“頼られる”人間がこの世界に何人いるだろう? にやけ顔を見られぬよう、レンダルはニーグラムから顔を逸らした。





*****





 ベルサス村の襲撃から二日経った。


「ジガン。剣買いに行こ」

「あ? ああ、折れちまったからか。予備があるから大丈夫だぞ?」

「駄目。ちゃんとした剣が必要」

「う~ん……実はあんまり金が無くてな」


 プルクラは、折れてしまったジガンの剣に自分の黒刀を重ねていた。もし父から貰った大切な刀が折れてしまったら、自分なら悲しくて胸が張り裂けるに違いない。

 愛用していた剣の代替品は簡単に見付からないかもしれないが、ジガンの言う“予備の剣”とは量産品で、折れた剣とは比べるべくもなかった。剣の良し悪しに関しては素人のプルクラが見ても分かる程である。師匠であるジガンには出来の良い剣を持って欲しい。それが結果的に命を守ることに繋がる。


「だいじょぶ。私が買う」

「いや、さすがにそれは……」

「色々教えてくれた感謝の印。あと、これから教えてもらう分の先払い」

「剣ってそれなりにするんだぞ?」

「任せて」


 プルクラの「剣買ってあげる」発言に、アウリは少し苦い顔を見せたが反対はしなかった。アウリから見ても、ジガンに会ってからプルクラの剣の腕は明らかに上達している。大きな街にある道場に飛び込みで通うよりも、「剣術を習いたい」というプルクラの望みはジガンが叶えていると言えた。これまでと今後の「指導代」と思えば許容できる必要経費である。


「……まぁ、そこまで言われて断るのも悪いな」

「ん」

「質のいい剣がある武具屋はオーデンセンまで行かなきゃぇんだが」

「ん。行こ。今すぐ」


 オーデンセンとは、ここファルサ村を含むラガースタ領の領都であるが、プルクラはそんなことは知らない。オーデンセンがどこにあるかも知らないが、ジガンの袖を引っ張ってすぐにでも出発する勢いだ。


「ちょ、待て! オーデンセンに行くなら準備しなきゃいけねぇだろうが」

「準備?」

「身体強化して走っても二日はかかるんだぞ?」


 ジガンが言う「二日」は、身体強化二倍程度で一日四刻(八時間)走った場合の話。オーデンセンはファルサ村から南東に約三百ケーメルの場所にある。プルクラなら、身体強化十倍で四刻程度走るのは問題ないので、彼女一人なら一刻半で軽々到着する距離だ。

 因みに身体強化百倍で走ると九十呼吸(約六分)で着くが、街道が穴だらけになり、道沿いの諸々が吹き飛んでしまうので止めた方が良いだろう。


「……おんぶ、する?」

「しねぇよっ!」


 四十一のおっさんが十五の小娘におんぶされて運ばれたら社会的に死ぬ。例えその方が断然早いとしても、断固拒否である。


 それからジガンは、村の方々にオーデンセンに出掛ける旨を伝えた。レノ、ダレン、ギータの三人は一緒に行きたそうだったが、「走りっ放しだぞ?」と言われて「お土産よろしく」と手の平を返した。


 その間、優秀な従者であるアウリは道中で食べる物を拵えた。拡張袋に入れておけば時間経過が非常に遅いので、傷む心配もほとんどない。水に関してはプルクラの「竜の聲」で出せるし、アウリも魔術で出すことが出来る。

 準備をしている間に陽が傾いたので、出発は明日の朝という運びになった。


「プルクラ様、せっかくオーデンセンに行くのでしたら“討採とうさい組合”への登録も済ませたらいかがでしょう?」

「ん、いい考え。そうする」


 “討採組合”は、正式名称を“魔獣および罪人討伐者、ならびに薬草・鉱石その他素材採集者組合”と言う。恐ろしく長ったらしいので誰も正式名称で呼ばない。ちゃんと覚えている者がいるかも怪しいくらいだ。


 プルクラが討採組合に登録する目的は身分証を手に入れることである。レンダルが住むブルンクスの街は北のランレイド王国で、当然ながら入国審査がある。距離的には領都オーデンセンよりブルンクスの方が近いくらいだが、身分証がないと入出国が非常に面倒なことになる。だからレンダルに会いに行くのは、身分証を手に入れてからと決めていた。


 ちなみにアウリは既に討採組合に登録して身分証を得ている。


 それなら最初からランレイド王国側に行けば良かったのではと考えるかも知れないが、実は黒竜の森に最も近い村がファルサ村であった。初めて森の外に出るプルクラが、迷子になったり魔獣や獣、盗賊に襲われたりしないように、ニーグラムとレンダルが最初の目的地をファルサ村に決めたという裏事情がある。


 閑話休題。

 かくして、二週間以上経過したが、プルクラが初めてファルサ村以外へ行くことが決まったのだった。

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