第15話 ヌォルの分体

 ニーグラムは、人の姿で悠々と空を飛んでいた。


 二週間前、レンダルに「人化して飛べば良いのでは」と示唆されて目から竜の鱗が落ちたニーグラムは、それから訓練に明け暮れた。

 もっと正確に言えば、黒竜としての義務など知ったことかと言わんばかりに飛行訓練に没頭した。


 黒竜の姿で飛べるのだから人の姿でも飛べるのは道理。ただ体の大きさと各部の重量が異なるため、要領を掴むのに時間を要した。そして遂に、黒竜の時と遜色ない飛行を成し遂げたのだ。


 全ては愛する娘のため。そして、飛べるようになった父の姿を娘に見せたい。


 二週間ぶりに娘の顔でも見るかと黒竜の森から西へ飛び、さてプルクラは今頃リーデンシア王国の王都にでも行っているだろうかと娘の魔力を探知してみると、なんと森のすぐ近くから反応があった。


 二週間も経つのにこんなに近くに居るとは、もしや父と離れるのが嫌なのではないか?

 十五と言ってもまだ子供だ。何なら森へ連れ帰って数日たっぷりと甘やかしてもいい。


 口の端が持ち上がるのを堪えながら速度を落とし、プリクラの魔力を感じる場所へ向かうニーグラム。娘と二週間ぶりに会うのだから威厳のある顔を取り繕わねばならない。

 さて、会ったら何と声を掛けよう。娘は俺を見てどんな顔をするだろう。気分が高揚するのを抑えられない。


 自分の気配が漏れぬよう慎重に障壁を張りつつ、ニーグラムは地上にいる筈の娘を探すのだった。





*****





「プルクラ、急に何――おうっ!?」


 小脇に抱えたジガンとアウリから手を離すと、ジガンはべしゃりと地面に落ち、アウリはしなやかに着地した。


「『オービチェ障壁』!」


 プルクラが前方に向かって障壁を張った直後、巨大な火球がそれに当たって弾けた。


「プルクラ様……?」

「アウリ、ジガンを連れて逃げて」

「しかし……」

「俺はまだやれるぞ?」


 黒竜の森で多くの“格上”と戦った経験を持つプルクラ。命の危険は度々あったが、父が傍に居てくれたから大事には至らなかった。

 目の前に居る黒い外套の何者かは、これまで遭遇したことのない強者だ。魔力が業火の如く燃え盛っている。これほど膨大な魔力が怒涛の勢いで動くのは見たことがない。初めて味わう“真の” 命の危険に冷や汗が止まらなかった。二人を守りながら太刀打ち出来るとは思えない。


「おねがい」

「っ! 分かりました。プルクラ様、どうかご無事で」

「ん」

「おい待て、あいつ一人残すなんてのわぁぁあああ!」


 身体強化を発動したアウリが、ジガンを横抱きにして全速力で走り出した。再度北門からベルサス村の中を通り南門へ向かう心算だ。敵が二人を追う素振りも見せないことにプルクラは安堵した。


 鞘から黒刀を抜き構える。


「無駄口を叩かないところは良いな。お前には私がどう見える? 黒竜の娘よ」


 謎の人物が頭巾を後ろへ払うと、そこに現れたのは歪な蛇の頭部だった。


「蛇」

「なるほど。お前は私を狡猾で邪悪な者だと思っているのだな」

「違うの?」


 蛇の口がまるで笑うように吊り上がり、赤い三本の舌がちろちろと出入りした。


「概ね合っている。概ね、な」


 そう言いながら蛇頭は近付いて来た。動きは緩慢に見えるのに気付けばすぐ目の前にいる。外套の袖から覗く手は人間の手に見えた。それが拳を作り、プルクラの障壁を殴る。

 火翼竜の尾の一撃さえ防ぐ障壁が、拳の一撃で粉砕された。


「『カタラクタ瀑布』」


 障壁が失われる寸前に「竜の聲」を紡ぐ。プルクラと蛇頭の間に分厚い水の幕が生じた。プルクラは腰を落として刀を構え、感覚を研ぎ澄ます。身体強化百二十倍。「サナーティオ癒し」を同時発動するが追い付かず、全身の毛細血管から血が滲む。


「たかが水で私を止められるとでも?」


 瀑布を軽々と割って蛇頭が現れる。


「『フリゴレ凍てつけ』」

「お前の『竜の聲』など――?」


 「竜の聲」は“格上”には通用しない。それは七歳の時に父から教えられたこの世の真理である。だからプルクラは剣に憧れた。物語の中で竜さえ倒す勇者の剣に。

 素手で通じない相手なら鋼を。一度で通じない相手なら何度でも。“格上”だからと諦めるようでは、父の隣には並べない。

 だからプルクラは剣を振ってきた。もっと剣術を習いたいと思った。

 だからプルクラは「竜の聲」の使い方に知恵を絞った。一つの「聲」で駄目なら重ねて紡げばいい。


 瀑布で大量の水を浴びた蛇頭は濡れていた。蛇頭自体は凍らなくても、その濡れた外套は凍り付く。固く凍った外套が蛇頭の動きを一瞬阻害した。それで十分だった。


 プルクラは全身全霊を賭けて黒刀を振り抜く。今彼女が出来る最高の一閃。


 血が霧のように辺りに舞った。それはプルクラのものか、それとも蛇頭のものか。


「くっ」


 ぼとり、と蛇頭の左腕が地面に落ちる。胸の中心からくっきりと刃の走った跡があり、それは普通なら致命傷であった。

 左腕の切断面から巨大な蛇の頭が生えてプルクラに襲い掛かる。残心を取っていたプルクラはそれも斬り捨てるが、次は二匹、その次は四匹と飛び掛かる蛇が増えていく。

 常人の目では追えない速度の連撃でそれを次々に斬り払うプルクラを、蛇頭の感情のない目が見つめていた。その口は次第に横へ広がり、醜悪な笑みとなる。


 左腕から生える蛇の数が千を超えて、遂にプルクラの刀では全ての攻撃を捌けなくなった。素早く後ろへ跳び退るが、咢を開いた無数の蛇が追い縋る。


「『ソルビアテム切り裂け』!」


 風の刃が迫る蛇を切り裂く。しかし数が多過ぎた。プルクラの全身に蛇が絡みつき、地面に叩き付けられる。


「あぐっ!」

「フッ。人間にしては良くやったと褒めておこう。お前の首を刎ねて、あの忌々しい黒竜に見せつけてやれば――」


――ズンッ!


 蛇頭は最後まで言えず地面に倒れ伏した。その背中を踏みつけているのは、ここに居る筈のない――


「お父さん?」

「プルクラ、少しだけ我慢してくれ。今この虫を潰すからな」

「ぐっ……何故お前がここに」

「喋るな。動くな。息をするな。『イテ・イマジネム潰れろ』」


――ゴゴゴォォォオオオオ……


 地揺れが起き、蛇頭が倒れていた場所が陥没する。めきっ、ばきっ、ぶちゅっと何かが折れたり潰れたりする音が穴の底から聞こえた。

 原型を留めない程完膚なきまで磨り潰された蛇頭――ヌォルの分体から完全に生気が消えた。プルクラを身震いさせていた強者の気配も、体に絡み付いていた蛇の残骸と共に消え失せた。


「『サナーティオ癒し』」


 ニーグラムがプルクラの傍に膝を突き、その額に優しく手を当てる。父の癒しは木漏れ日を通した陽の光のように優しく心地良い。疲れた体に癒しが染み渡る。


「プルクラ、良く頑張ったな」

「……勝てなかった」

「人の身であれには勝てん。片腕を斬り飛ばしただけで驚異だ」

「お父さんの刀のおかげ。お父さんが来てくれなかったら死んでた」

「遅くなってすまなかった」

「んーん。ありがと、お父さん」


 プルクラは半身を起こし、父に縋り付いた。その胸に顔を埋めて擦り付ける。ニーグラムは蜂蜜色の髪を優しく撫でた。匂いを一頻り堪能してから、プルクラが父の顔を見上げる。


「あれは何?」

「ヌォルの分体だ」


 ヌォル? 分体? 父は時々知らない言葉を使うが、プルクラは慣れている。


「ヌォルって?」

「ヌォルは……招かれざる客だ。この世界を創ったノウェル神に恨みを抱き、ちょっかいをかけてくる厄介な奴だな」

「厄介な奴……分体って?」

「ヌォルはこの次元には存在できない。だから分体を作り出して干渉してくる」

「……本体はどこにいるの?」

「別次元を移動し続けている、らしい」


 “次元”というのはよく分からないが、兎に角父でも本体を潰すことが出来ないのだな、とプルクラは思った。


「あいつ、私のことを“黒竜の娘”って呼んだ」

「ふむ…………プルクラ、やはり“全身鎧”を着けて――」

「ニーグラム様、それは駄目です」

「「アウリ」」


 いつの間にかアウリが戻って来ていた。その後ろにはジガンもいる。


「レンダルに頼んで大きな拡張袋を――」

「駄目なんです! プルクラ様の可愛さが損なわれてしまいますっ!!」


 アウリが目に涙を浮かべながら必死に説得する。小柄で華奢なプルクラが、黒竜の鱗で作られた真っ黒な全身鎧を着用する……可愛らしいプルクラが大好きなアウリにとって、それは耐え難いことだった。


「……分体はしばらく現れんだろうし、その間に何か手を考えてみよう」

「ん。私もあれに勝てるくらい強くなる」


 ふんす、と鼻息荒く胸を反らすプルクラの頭を、ニーグラムが優しく撫でる。アウリはプルクラの全身鎧を阻止出来て胸を撫で下ろした。


「ところで後ろの男は誰だ?」


 ニーグラムの言葉に、プルクラとアウリが振り返ってジガンを見る。ジガンは珍しく口を閉じて神妙な顔をしていた。


 ジガンの耳に聞こえたのは、アウリが何かを「駄目」と言っている辺りからで、殆ど話の流れは分からなかったが、年齢とプルクラの態度を見れば、この黒髪の男が彼女の父親なのだろうと察した。そして、プルクラがさっきの外套男に勝てず、恐らくこの父親が倒したのだろうということも。

 ただ、ジガンはプルクラの父を高名な剣士だろうと思っていたのだが、この男は剣を佩いていない。道の向こう側に、さっきまで開いてなかった大穴があるのも解せない。

 雰囲気は“武人”なのだが、魔術師なのだろうか?


「この人はジガン。剣のししょー」

「ほぅ。娘が世話になっているようで礼を言う」


 ニーグラムの目が、ジガンを品定めするように細められた。


「ジガン、私のお父さん」

「ジガンだ。あんたの娘さんにはさっきも助けられた。俺の方こそ礼を言うよ。凄い娘さんだな」

「フッ。うちの娘は世界一だからな」


 ジガンが差し出した右手を、ニーグラムがしっかりと握った。プルクラはジガンの素直な感謝の言葉と、父の「世界一」発言を立て続けに受けてあわあわしながら顔を真っ赤に染める。そんなプルクラの様子を見てアウリが自分の胸を押さえながら悶えた。


 ジガンは握手のついでに握力勝負を挑んでいた。プルクラが恥ずかしさで真っ赤になっているのと時を同じくして、ジガンは全力でニーグラムの右手を握って顔を赤黒く染めていた。手の甲から二の腕に掛けて太い血管がくっきりと浮き出ている。一方のニーグラムはどこ吹く風、顔色は一切変わらない。


(くっ! 握力には自信あったのによぉ!)


 三十三年間剣を振り続けてきたジガンの握力は常人のそれを遥かに凌ぐ。しかし、今日は“鬼”の攻撃で手が痺れたり、プルクラの父に痛痒を与えられなかったりで自信がどこかへ出奔してしまいそうだ。


「ふぅ~。さすがプルクラの父親だな」

「「ん?」」


 何が「さすが」なのか分からず首を傾げる父娘。


「お父さん。そう言えば、何でここが分かった?」

「フッフッフ。お前の父は、遂に飛べるようになった」

「「「え」」」


 プルクラとアウリは黒竜の飛ぶ姿を知っているので「何を当たり前のことを」と思い、ジガンは「やっぱり魔術師か!?」と思った。


 ニーグラムがプルクラだけにそっと耳打ちする。


『人化したまま飛べるようになったのだ』

「すごい! さすがお父さん!」


 娘が大きな緑色の瞳を煌めかせて褒めるので、調子づいたニーグラムはその場で飛翔した。アウリは「なるほど」と納得し、ジガンは「魔術師すげぇ」と嘆息した。


 ヌォルの分体を磨り潰した大穴は、プルクラがせがんだ結果ニーグラムが元に戻した。久しぶり、と言っても二週間ぶりではあるが、父と娘は連れ立ってファルサ村へとゆっくり歩く。アウリが父娘の様子を微笑ましく眺めつつ後ろからついて行く。ジガンは「武人で魔術師って反則じゃねぇか?」と謂れのない不満を抱きながらそれを追い掛けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る