第14話 ジガンの受難
ベルサス村の門が見える場所まで来ると、ジガンの鼻に生臭い鉄錆の臭いが届いた。彼にとっては嗅ぎ慣れたものだが、その中に僅かな腐臭も混じっている。そして聞こえる怒声や獣の唸り声。村で何かが起こったのは間違いないようだ。
敵に悟られないよう道から外れて腰を屈め、草の陰を移動する。北門が良く見える場所まで来ると、そこが血の海と化しているのが分かった。恐らくベルサス村の人間だろう、何人かが地に伏しているのが見て取れる。
(こりゃ
頭が潰れたり、体が半ば千切れていたり、正視に堪えない有り様だ。ジガンの居場所から見えるのは、初めて見る程巨大な大剣を持つ、人間離れした大きさの何か――あの男が言っていた“鬼”だろう。それと、土気色をした肌が爛れてその下の肉や骨が見えている動く屍――“屍鬼”が五匹。
見える範囲に村人らしき者は居ない。恐らく南門から逃げたか、どこかの建物に避難しているか、それとも……既に皆殺しにされたか。
(生き残りがいるなら何とかしねぇと)
観察している間に息を整えたジガンは、再び身体強化十倍を発動。矢のような速さで北門を擦り抜けた。ついでに近くに居た屍鬼の首を一つ刎ねる。
(奥の建物に人の気配が固まっているが……)
その周りを三匹の屍鬼がうろついている。もしかしたら、建物の向こう側にも何匹かいるかもしれない。
屍鬼同士は離れているので、殲滅するのはそれ程難しくはない。しかし、あの鬼が厄介だ。現に、もうジガンを獲物と定めてこちらへ近付いている。
「はぁぁぁ……やっぱ相手しなきゃなんねぇのかよ」
腰回りに辛うじて布が残っている以外は何も身に付けていない。肌は赤黒く、全身から薄く靄が立ち昇っている。二の腕はジガンの腰ほどの太さがあり、太腿は大木のようだ。手と足の爪は黒く尖っている。
白目は充血して真っ赤に染まり、黒い瞳からは一切知性が感じられない。そして古い骨のような色をした一本の角。口の両端からは長い牙が覗いている。
「鬼人族……じゃねぇな。お前は何だ?」
「ゴグリュウノムズメ……ゴグリュウノムズメ、ゴロズ!」
十メトルはあった間合いが一気に詰められ、瞬く間に“鬼”が目の前にいた。ジガンは鞘から抜いた剣を構える。上段から大剣が振り下ろされた。
(つっ! なんてぇ馬鹿力だ)
最適な角度で受け流したにも関わらず、その一撃だけでジガンの両手が痺れる。体重差があり過ぎて、相手の体勢を崩すまで至らない。
“鬼”はジガンが一撃で死ななかったのが気に入らないのか、縦横無尽に連撃を加え始めた。それは大剣と言うより鉄の塊だが、“鬼”は易々と片手で振るっている。一発でも貰えば即死。受け方を間違えても即死。薄氷を踏むが如く、丁寧に素早く、しかも正確無比に大剣を受け流す。
(くっそ、攻撃に転じられねぇ)
相手が自分より少し力が強い程度ならば、相手が疲れ果てるまで攻撃を受け流すことも出来る。疲れれば隙が生まれ、そこに致命の一撃を叩きこむ余地も生まれる。
だが、この怪力はいただけない。このままではジガンの方が先に力尽きてしまう。今でも膝が折れそうなのだ。
(こんな時、あいつならどうする?)
ジガンの脳裏に小憎たらしい少女の顔が浮かんだ。
*****
プルクラは駆けた。身体強化百倍と「
プルクラとジガンにとって幸いなことに、ファルサ村は東の端なので、西へ行く道一本しかない。だから何の疑いもなく、プルクラはその道を駆けた。音さえ置き去りにするその速さによって、道の両脇に生えた草は全て同じ方向に倒れ、不幸にも道の近くに根を張っていた立木は無残に折れて吹き飛ばされた。
そうして僅か四呼吸半(約十八秒)という短時間で、プルクラはベルサス村に到着した。
まず目に入ったのは赤黒く巨大な背中。そして金属同士が激しくぶつかり合う音がうるさく響く。
少し回り込むと、激しく打ち下ろされる大剣を紙一重で捌くジガンの姿が見えた。彼の魔力は普段と違って目まぐるしく体内を動いている。
(きれい)
プルクラは、それを美しいと思った。倍近い大きな敵の攻撃を受け流すジガンの技。彼の体内の魔力。父のそれとは全く違うが、それでも美しく見えた。
一方で、大きな生き物の魔力は真っ黒に淀んでいた。有り体に言って汚らしかった。胸の中心辺りにある濃い紫の塊は、特に嫌悪を感じさせる。ジガンの綺麗な技と魔力がそれに穢されそうに思えて、プルクラはそれを排除すべきだと感じた。
「ていっ」
身体強化百倍のまま、プルクラが“鬼”の横腹に蹴りを入れた。“鬼”は何か大きな力に引っ張られたかのように、真横に吹っ飛んで家を二軒瓦礫に変える。
今まで必死の覚悟で“鬼”の大剣を受け流していたジガンは、目を真ん丸に、口をあんぐりと開けてプルクラを見る。
「……お前、ここで何してんの?」
プルクラが自分を助けに来たとは到底思えないジガン。百歩譲ってそうだとしても、ラレドはまだファルサ村に到着したばかりだろう。いくら何でも彼女の到着が早過ぎる。ベルサス村近辺で遊んでいたと言われた方がまだ納得がいく。
「ん? 通り掛かり?」
プルクラも、何故自分がここへ来たのかよく分かっていなかった。ベルサス村を襲った者の目的がもし「黒竜の娘」なら自分が行くべきだと思ったし、何故「黒竜の娘」を探しているのか聞きたかった――というのも理由ではある。
だがそれよりもジガンの身を案じたのが大きいのだが、プルクラの頭はそれを認めようとしない。だから何故来たのか分からないのである。その挙句に出た台詞が「通り掛かり」、しかも疑問形であった。
「そうか、通り掛かりか。そんな訳――危ねぇっ!」
吹っ飛んで行った“鬼”が瓦礫の山からプルクラ目掛けて飛び掛かってきた。大剣の切っ先が首を刎ねる寸前、プルクラは腰を落として“鬼”の足を引っ掛ける。“鬼”は勢いそのまま前につんのめり、地面に十メトルほど溝を掘って止まった。
両手両足を地に突いて立ち上がろうとする“鬼”の上からプルクラが降ってくる。背中の真ん中に膝を落とすと地面が陥没し、“鬼”が半分以上めり込んだ。
プルクラは角を鷲掴みにして“鬼”の上半身を無理矢理起こす。
「おい、もう死んでるんじゃ――」
「生きてる。すっごい丈夫」
角を手放すと同時に、プルクラは“紫の塊”目掛けて背中の中心に掌底を叩き込んだ。胸の真ん中に大穴が開き、“鬼”の心臓と血飛沫が前方に飛び散る。
“鬼”が事切れて前のめりに倒れた時、初めてプルクラは自分の左手が木剣を握っていることに気付いた。
「えい」
その木剣で息絶えた“鬼”の頭部をぺちりと叩く。
「お前……剣いらなくねぇ?」
「剣で止めを刺した」
「明らかにその前に死んでたよなぁ!?」
「…………」
ジガンの言葉に、プルクラはそっと目を逸らす。あくまでも剣で止めを刺したことにしたいようだ。木剣なのに。
「あー、プルクラ。悪いんだが残った奴を始末してくれねぇか? 俺の剣使っていいから」
「ん?」
村の中には“屍鬼”がまだ残っている。奴らの本能が強者を避けているのか、こちらには寄って来ない。
「……ばっちぃ」
「いや、気持ちは分かるんだが、片付けねぇと――」
「プルクラ様! お怪我はありませんか!?」
「アウリ。ん、だいじょぶ」
アウリが少し息を切らしながら到着した。プルクラの無事を確認したアウリが、地面に腰を下ろしたジガンを冷たい目で見る。
「ジガン様はご休憩ですか?」
「うぐっ」
「ジガン、がんばった。強敵だった」
「お前が素手でぶちのめしたけどなっ! まったくどうなってやがんだ……」
ジガンはプルクラがしたことに今更気付いたらしく頭痛を堪えるような顔になった。
ジガンの長剣は刃毀れだらけになり、何か所か罅も入っている。これでは剣としての役目を果たせないだろう。
「アウリ。ジガンを見てあげて」
「分かりました」
アウリはジガンの横に膝を突き、レンダル直伝の「異常探知」魔術を行使する。外傷のみならず体内の異常も探知する中難易度の魔術だ。
「異常なしですね。水虫以外は」
「ほっとけっ!」
「プルクラ様にうつされたら困るので、これをお使いください」
アウリは肩に下げた小さな鞄から手のひら大の壺に入った軟膏を取り出して渡した。
「……打ち身や筋肉痛にも効きますので」
「お、おぅ……感謝する」
その間にプルクラはジガンの剣を手に取り、“屍鬼”を殲滅すべく動いた。
「……ばっちぃ。くしゃい。気持ち悪い」
文句を言いながら淡々と“屍鬼”の首を刎ねていくプルクラ。そして、最後の十四匹目の首を落とした瞬間、ジガンの剣が真っ二つに折れた。折れた片割れを指先で摘まんで拾い上げ、ジガンとアウリの所に戻る。
「折れた。ごめんなさい」
「ああ、気にすんな。もう折れそうだったもんな。プルクラのせいじゃねぇよ」
折れそうだったのは確かだが、そう簡単に割り切れるだろうか。自分だったらきっと腹を立てると思ったので、ジガンから叱られる覚悟をしていたプルクラは拍子抜けした。
「全部殺した」
「すまねぇな、任せちまって」
ジガンらしからぬ殊勝な言葉に、プルクラは目を丸くしながらジガンの顔をぺたぺた触る。
「……本物?」
「本物だよっ! 俺に化けて何かいいことあるのかよ!?」
「…………なさそう」
「だろうな!」
「それだけお元気ならもう大丈夫でしょう。ファルサ村に帰りましょうか」
「ん」
「おう。そうだな」
ジガンが立ち上がり、尻に付いた砂や土を払う。プルクラは折れたジガンの剣を丁寧に鞘に納め、アウリの拡張袋にしまってもらった。自分の背嚢はファルサ村に置きっぱなしである。
「プルクラ様」
「ありがと、アウリ」
アウリが持って来てくれた“黒刀”を腰に佩き、何故か持って来てしまった木剣をアウリの拡張袋に入れてもらった。
「……このままでいい?」
プルクラが、北門から村を振り返ってジガンに尋ねる。「このまま」とは、“鬼”や“屍鬼”の死体を放置してよいか、という意味だ。
「村を救ったんだ。そこまでしてやる必要はねぇさ」
「ん」
何人殺されたか分からないが、生き残りも確実にいる。自分たちの村なのだから、敵の死骸を片付けるのはベルサス村の住人の仕事だとジガンは言っているのだ。
ただ、ファルサ村に戻ったら村長と話をして、食料など出来る範囲の支援を頼んでみるつもりである。
「んじゃ、戻るか」
――ぞくっ
ジガン、プルクラ、アウリが横に並んで東へ向かおうとした時。プルクラの背中に悪寒が走った。反射的に身体強化を発動し、ジガンとアウリを小脇に抱えて大きく飛び退る。
眼前には、ついさっきまで居なかった筈の、真っ黒な外套を着た何かが立っていた。
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