第10話 ジガン
「よぉ、坊主。こんな所を一人で歩いてんのか?」
この道は黒竜の森に一番近く、魔獣が出ることも多い。そんな道を子供が一人で歩くのは危険だ。だから、荷車の男――ジガンは子供に声を掛けた。
蜂蜜色の髪を短く刈った華奢な……たぶん男の子。上質そうな白い上着を羽織り、黒っぽい半ズボンから伸びる脚は陽に当たったことがないのかと疑う程白く細い。足元は、これまた上質そうな足首まで覆う焦げ茶色のブーツ。
服装だけで判断すると金を持った商人の子供という風情だが、普通商人の子供は腰に剣を佩いたりしない。
それに商人の子供なら、警戒心も露な……と言うよりも、弱い魔獣なら視線だけで殺せそうな目を初対面の人間に向けないだろう、多分。
「なぁ、そんなに警戒すんなって。俺はこの先のファルサって村に住んでるんだ。今は北にあるベルチって村から帰る所だ。お前、どこに向かってるんだ?」
話し掛けても止まらないものだから、仕方なく六つ脚驢馬の手綱を少し引いて子供の歩く速度と合わせるジガン。
「…………ファルサ村」
前に視線を固定したまま答える子供。村の子供たちからは割と好かれているジガンは少なからず精神的打撃を受ける。俺、何かやったんだろうかと首を捻るも思い当たる節がない。
「な、なあ。良かったら乗っけていくぞ?」
少しの時間考えた挙句、子供は小さく頷いて荷台の後端――ジガンから一番遠い所にちょこんと腰掛けた。
「……まぁいいか。落ちねぇように気ぃ付けろよ」
六つ脚驢馬が引く荷車は、踏み固められた土の道をゆっくりと南へ向かう。荷車前端で手綱を握るジガンは、荷台に乗せた得体の知れない子供の気配をこっそりと探った。
自らが優れた剣士であるジガンは、一般人に比べて遥かに気配というものに敏感である。その彼が子供に違和感を覚えていた。
見た目は十二~十三歳の華奢な子供で、目の動きや動作も年齢相応。いや、いっそその年代の子と比べて覇気がないくらいである。最初に向けられた視線は恐ろしかったが、今は目を閉じて舟を漕いでいた。居眠りしている筈なのに強者の気配がひしひしと漂ってくるのが解せない。
俺の勘も鈍ったかなぁ。ジガンは胸の内で呟きながら灰色の頭を掻いた。
春の日差しと時折吹く風が心地よく頬を撫でる。左手は背の高い草が生い茂る草原が五ケーメル(キロメートル)ほど続き、その先は黒竜の森だが、ここから見えるのは遥か先に聳える黒尖峰の頂くらいだ。
薄い雲が高い所にかかっているものの天気は良好。道を進むのは自分たちと荷車だけ。こんなに長閑だと自分の勘が鈍るのも仕方ない、とジガンが自嘲したその時。目にも止まらぬ速さで何かが荷車を追い越した。
「え?」
荷車に三十メトル(メートル)ほど先行した何かが、先程乗せた子供であると気付く。そしてその更に二十メトル先に知っている気配。
「ちぃっ!」
ジガンは傍らに置いていた長剣を握って荷車から飛び出した。あの気配は尾黒狼の群れ十匹以上。抜きん出た強い気配が一つ混じっているから統率個体もいる。
(今日会ったばかりとは言え、ガキが目の前で死んだら寝覚めが
自分から魔獣に向かっていくとか頭おかしいだろ!
俺より早く気配に気付くのもおかしいし、何よりあの速度がおかしい!
何なんだよ、あのガキはっ!
ぶつぶつと頭の中で愚痴を零していると、先を行っていた子供が左手の草叢に飛び込んだ。
くっ、馬鹿か! 死にてぇのかよ!?
身体強化を限界の十倍まで発動したジガンが子供の後を追う。可能な限りの速さで子供が草叢に飛び込んだ場所まで来ると、その子が何食わぬ顔で草をかき分けて出て来た。
「お、お前っ! 何してんだよ!?」
「ん?」
子供は荷台にいた時と同じ覇気のない表情でジガンを見上げた。
「『ん?』じゃねぇよ、何したんだって聞いてんだよ!」
「ん……お花摘み?」
「バッ……どこの世界に猿も真っ青の速さで小便しに行く奴がいるんだよっ!?」
しかも態々尾黒狼の群れがいる場所に。そんな奴は絶対にいない。
「おい、デカい狼の群れがいただろ……ん? 花摘み? 雉撃ちじゃなく?」
明るい緑色の瞳を半分閉じ、子供がじっとりした目をジガンに向けた。
「お前……女の子か?」
「気配りや気遣いの出来ない男は嫌われる」
「ほっとけ!!」
髪が短いからてっきり男だと思っていたが、女の子だったか……。そう言われれば可愛らしい顔をしている……。
いやそうじゃない。尾黒狼はどうなった? さっきから気配を感じねぇんだが。
手綱を離した荷車のことは頭から綺麗さっぱり消えていたジガンは、子供――少女が出て来た草叢に分け入る。女性がお花摘みをした現場を確認しようとするとは人としての品位を疑うが、彼は少女の言葉を全く信じていない。むしろ、統率個体もいる尾黒狼の群れを放置する方が問題だと考えている。
少女――プルクラは荷車の方にゆったりと歩いて戻り、六つ脚驢馬を労うようにひと撫ですると、先程までジガンが乗っていた場所に座った。
一方で尾黒狼がいたと思われる辺りを確認したジガンは明らかに奇異な光景を目の当たりにしていた。
(なんだこりゃ…………ここらだけ草が生えてねぇ。今耕したみてぇに土が黒々としてやがる)
触れてみると土は柔らかい。力を入れて突っ込むと手首まで土に埋もれた。それ以外に不審な点を見付けられず、ジガンは首を傾げながら道へ戻った。ちょうど荷車が目の前を通り過ぎるところだ。
荷車の前端に座る少女が手綱を握り、ジガンを一瞥もせず通り過ぎようとする。
「待て待て待て! お前の荷車じゃねぇだろうが!」
それを言ったらジガンの荷車でもない。これは村が所有する荷車である。プルクラが小首を傾げてジガンを見るが止まる気配はなかった。ジガンが舌打ちしながら追いかけて荷車に飛び乗り、プルクラの隣に腰掛ける。
「何で止まらねーの?」
「止め方知らない」
「だと思った」
じゃあ何でお前手綱握ってんの? と思うジガンだが、それ以上尋ねるのは止めた。自分が理解出来る答えが返って来るとは思えなかったからだ。
「……純粋な好奇心から聞くんだが、狼はどうした?」
「斬って埋めた」
「あの短時間で?」
「ん」
こいつが草叢に消えて出てくるまで二~三呼吸(八~十二秒)くらいの間だったぞ?
「……お前、魔術師か?」
「プルクラ」
「あ?」
「名前。“お前”じゃない。プルクラ」
「そ、そうか。俺はジガンだ」
「よろしく、ジガンダ」
「
プルクラがジガンの方を向いてこてん、と首を傾げた。
「ジガン。よろしく」
「ああ。よろしくな、プルクラ。で、いつまで手綱握ってるんだ?」
「…………」
プルクラは自分の手が手綱を握っていることに今気付いたような顔になり、無言で手綱をジガンに返した。
「で、プルクラは魔術師なのか?」
「…………んー、違う」
自分が使うのは魔術ではないから、魔術師とは違うだろう。プルクラはそう判断した。
「じゃあどうやって――」
「「「おーい、ジガーン!」」」
追及しようとしたジガンだが、遠くから呼ぶ声に遮られた。ファルサ村でジガンが剣術を教えている三人の子供たちだ。こちらへ向かって手を振りながら走ってくる。
「おぅ、レノ、ダレン、ギータ。どうした?」
三人――九歳から十一歳の男の子たちは、ジガンの隣に座るプルクラをじぃっと見つめる。プルクラは耳を赤くしてそっぽを向いていた。
「ジガン、そいつ誰?」
「どこで拾ったの?」
「攫った?」
「おいっ!? 拾っても攫ってもいねぇ。こいつはプルクラ。言っておくが女の子だからな」
女の子と聞いて、興味津々の目をプルクラに向ける三人。彼女は後ろ向きになって膝を抱えて小さくなってしまった。
「おい、あんまりじろじろ見るな。何か用があったんじゃねぇのか?」
「そうだった! また弟子入りしたいって奴が来たよ。今度は領都からだって!」
「ちっ、面倒臭ぇ……おい、お前らも乗れ」
「「「おう!」」」
三人の男の子たちが荷台の後ろから乗り込んできたので、プルクラは彼らと目が合わないように再び前を向いた。ジガンが横顔を覗き込むと、彼女は火照った顔を両手で覆い縮こまってしまう。
(極度の人見知り、それか恥ずかしがり屋? 俺に対しては普通……とは言い難いがこんな風じゃなかった。歳の近い子に対してだけなのか?)
いずれにせよ、今のプルクラを揶揄う程ジガンも無神経ではない。ファルサ村では、口は悪いが面倒見がいい男だと言われているのだ、一応。
「プルクラ、済まんな。村では子供が少ないから、知らない子がいると珍しいんだ。こいつらも悪気はないから許してやってくれ」
ジガンがそう声を掛けると、プルクラが少し顔を上げて返事をした。男の子たちも空気を読んで大人しくしている。
「ん……別に怒ってない」
「なら良かった。あと少しでファルサ村だからな」
「ん」
この少女の言葉を信じるなら、ほんの僅かな間に尾黒狼十匹以上の群れを殲滅した強者ということになる。だがそんな強者と、顔を赤くして小さくなっている今の少女は何とも相容れない。
色々と聞きたいことはあるが、この状態ではまともな答えは聞けそうもない。だから当たり障りのないことを尋ねた。
「プルクラはどこから来たんだ?」
「……森」
森かぁ。ここから北で森に近い所と言えば……ランレイド王国のブルンクスという街の近くに森があった記憶がある。その街の裕福な商人の娘なのかもしれない。しかしブルンクスだとすれば百五十ケーメルは離れていると思うのだが。
「どうしてこの道を歩いてたんだ?」
「ファルサ村で待ち合わせしてる」
「そうか」
なんだ、ちゃんと保護者がいるんじゃないか。安堵すると同時に、出会って幾ばくも無いこの少女のことを心配している自分に少し驚いた。
「何か目的があるのか?」
「ん。まず剣術を習いたい」
「そうなのか? これでも一応、村で剣術を教えてんだ。後で見てやるよ」
「…………」
「何だその疑いしかない目は。何なら勝負するか?」
「……いいの?」
「ああ。もし俺から一本取れたら弟子にしてやってもいいぞ」
「それはいい」
「何でだよ!?」
プルクラは人と戦った経験がないので、勝負と聞いて素直に喜んだ。ジガンは、プルクラの調子が戻ってきたのが嬉しい。少々憎たらしかろうが、子供は元気な方がいい。
「お、見えてきた。あれがファルサ村の北門だ」
ジガンの言葉に顔を上げたプルクラは、その門の前に立っている人物を見て荷車から飛び出した。
「おい、危ねぇぞ!」
「アウリ!」
プルクラは矢のような勢いで青髪の少女の元へ走った。
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