第9話 旅立ち

「ニーグラム、プルクラに渡す物があるんじゃなかったかの?」


 レンダルの問い掛けに、回想から現実に引き戻されるニーグラム。


「そうだった。プルクラ、ちょっとこっちに来なさい」


 ニーグラムは、ソファでアウリの隣に座っているプルクラを呼んだ。


 初めて出会ってから二年近く経ち、プルクラもアウリに慣れた。いや、慣れたと言うより懐いたと言う方が正しい。今ではまるで姉のように気安く接している。

 アウリの方は最初から変わらずプルクラを貴族の子女のように扱っている。かと言って他人行儀なわけではなく、内心では妹のように可愛がっていた。


 ニーグラムはプルクラの手を引いて、普段は物置にしている部屋の扉を開けた。後ろからレンダルとアウリも付いて来る。

 扉を開けた途端、嫌でも目に飛び込んで来たそれは黒一色の全身鎧であった。


「ふぉぉおおお!! かっこいい!」


 普段あまり感情を露にしないプルクラが、目を煌めかせて興奮した。


「爪先から頭の天辺まで、全て俺の鱗で出来ている。お前の魔力をふんだんに流せば、大抵の攻撃は寄せ付けないだろう」


 黒竜の鱗で作られた鎧である。攻撃を寄せ付けないどころの話ではない。プルクラが全力で魔力を流し込めば“竜”以外の攻撃は通さないだろう。国宝級を超えて最早伝説級と言っても過言ではない装備だ。各国の王侯貴族にとって垂涎の的となるのは必至である。


(まったく、何と戦わせる気なんじゃ……)

(プルクラ様、それを着けたら目立ち過ぎますし……ちょっと怖いです)


 ニーグラムは万が一にも娘が命を落とさないようにとドワーフの職人に依頼して作らせた。鱗は捨てる程あるので、それを余分に渡すことで支払代わりとしたが、職人には大層喜ばれた。

 プルクラの価値観は父のニーグラムから多大な影響を受けている。つまり黒竜の価値観だ。芸術的な造形より如何に実戦で役立つかが重要である。その観点から、目の前の全身鎧はプルクラの琴線を大いに震わせたのだった。


「ニーグラムよ、旅に全身鎧はさすがに邪魔じゃないかの?」

「む? 見た目よりずっと軽いが?」

「そうではなくてだな……お主の鱗で出来た全身鎧なんぞ、金に目が眩んだ悪党どもがわんさか寄ってくるぞ?」

「「むぅ」」


 父と娘が同時の頬を膨らませて不満気な声を漏らした。


「あのぅ……手甲と脚甲、胸当てだけにすれば良いのではないでしょうか……?」

「まぁ、それくらいなら目立たんかのう。色も黒じゃし」

「「むぅ?」」


 父と娘は額を寄せ合ってひそひそと相談し始めた。


「ん。手甲と脚甲と胸当てだけ着ける」

「残念だが。非常に残念だが」

「ん。かっこいいのに」


 拡張袋もそれほど容量がないので、それ以外の部位は泣く泣く置いて行くことに決まった。レンダルとアウリはほっと胸を撫で下ろす。


「それとこれだ」


 気を取り直したニーグラムが、装飾のない黒い鞘に入った刀を掲げる。


「俺の爪から作られた刀だ。これも魔力を流せば大抵のものは斬れる」


 レンダルとアウリは片手で両目を覆って天を仰いだ。黒竜の爪で作られた刀。それに一体どれほどの価値があるだろう……。


(本当に、何と戦わせるつもりじゃ……)

(過保護にも程があるのではないでしょうか)


 手渡されたプルクラが、慎重な手つきで鞘から刀を抜いた。


「ふぉぉおおお!! かっこいい!」


 闇を凝縮したような漆黒の刀身。片刃で先端が僅かに湾曲している。色こそ異質だが、宝石や貴金属の飾りなどは一切ない。これも、余った爪は好きにして良いという条件で、生え変わった爪を代金代わりにしてドワーフの職人に作らせた逸品。鞘も同じ職人の手によるもので、樫の木の外側を艶消し黒で着色した無骨な造りだ。


「刀を納める時は魔力を流さないように。鞘が斬れるからな」

「ん! お父さん、ありがと!」


 鎧と刀は、言うまでもなく旅に出るプルクラへの餞別である。ニーグラムは娘が心配で仕方なかった。十五になったら森から出すと決めてから、父として出来るだけのことを教えたつもりである。それは強い敵と遭遇しても死なないための術。防具と武器はそれを補完するものだが、それでも心配は尽きない。


 プルクラも不安な気持ちを抱えている。全く知らない外の世界、初めて出会うであろう人々、そして残していく父。アウリが同行してくれなければ怖気づいていたかもしれない。このままひっそりと、死ぬまで父と一緒に森で暮らすことを選んだかもしれない。

 だが、それでは駄目だと父とレンダルから言われた。理由は分からないが、この二人が駄目だと言うのだから駄目なのだろう。


 もちろん楽しみな気持ちもある。見たことのない景色、食べたことのない料理。そしてアウリのように親しくなれる人と出会えるかもしれない。未知とは期待と不安を同時に喚起するものなのだ。


「ま、まぁ、護身用に武器は必要じゃもんな」

「良かったですね、プルクラ様!」

「ん!」


 プルクラが心の底から喜んでくれたので、ニーグラムも嬉しくなる。この“嬉しい”という感情は、プルクラと出会う前まで彼が抱いたことのないものだった。


 プルクラが旅立つまで残り一か月。刀を胸に抱いて煌くような笑顔を浮かべる娘を眺めながら、ニーグラムは決意を新たにする。この一か月で、必ず「転移魔術」を習得しようと。





*****





 遂にプルクラが旅立つ日が来た。


 この一か月、父と娘はこれまで以上に親密な時間を過ごした。十五年という歳月をずっと共にしてきたのだ。お互いが遠くに離れるのは初めてのことである。今生の別れではないものの、迫る旅立ちがお互いの大切さをより強く認識させた。

 日課の鍛錬や狩りはそのままに、それ以外の時間は可能な限り同じことをして過ごした。ニーグラムは普段よりずっとプルクラの頭を撫でたり抱きしめたりして、プルクラは何もない時でもぴったりと父に寄り添うことが多かった。


 二人とも口数は少ない。それでも、お互いを想う気持ちは十分に伝わった。


「プルクラ、忘れ物はないか?」

「ん」

「金が必要な時は遠慮なく鱗を売れ。腐る程あるからな」

「ん」

「何かあったらすぐに帰って来い。何もなくても帰って来い」

「ん…………お父さん?」

「うん?」

「離れても、私はお父さんの娘?」


 ニーグラムはプルクラの前でしゃがみ、目線をしっかり合わせた。


「無論だ。お前は世界でたった一人の、俺の娘だ」

「お父さん!」


 プルクラはニーグラムの首に腕を回して抱き着いた。父の首元に顔を埋め、嗅ぎ慣れた匂いを胸いっぱいに吸い込む。首元が温かい涙で濡れるのも頓着せず、父は娘を優しく抱いてその背中をぽんぽんと叩く。


 やがて泣き止んだプルクラが体を離し、濡れた目を服の袖で拭った。目元を赤く腫らしながら、にっ、と笑顔を向ける。


「お父さん、ありがと。行ってきます」

「プルクラ。行っておいで」


 プルクラはくるりと父に背を向けて走り出した。走りながら溢れ続ける涙を服の袖で拭う。今振り返ったら、父の顔が見えたら、私はあの小屋に戻ってしまう。そして二度と森の外へは行けなくなるだろう。


 だから振り返らない。森を出ることは父が望んだことなのだから。





 四分の一刻ほど、プルクラは身体強化を使って駆け抜けた。途中で何度も魔獣と遭遇したが、通り道を塞ぐもの以外は無視した。どの魔獣もプルクラが速過ぎて追って来なかった。そうやって無心で進んでいる間に気持ちが落ち着き、涙も乾いた。


 父娘が住んでいた小屋は、森の西端からおよそ百四十ケーメルの場所にあった。普通の森でも十日から二週間かかる距離である。

 森の中というのは非常に歩き難い。道らしい道はなく藪を払いながら進む必要があるし、木の根が這う足元は凸凹して不安定である。


 だがプルクラにとって森は日常だった。獣道を走り、木の枝から枝に飛び移る。身体強化三十倍を発動し、常に「サナーティオ癒し」を自分に掛けて断裂した筋肉や腱、皹が入ったり折れたりした骨を修復しながら森を進む。


 そして、小屋を出発して一刻半(三時間)。眼前が突如として開けた。森の切れ目を抜けて草原に出たのだ。そこでようやく足を止めた。

 振り返って森を見る。右から左、目の届く範囲にずっと、まるで人間の侵入を拒むかのように大きな木々が立ち並んでいる。プルクラは、初めて黒竜の森を外側から眺めたのだった。


(ここが私の故郷)


 故郷に背を向け、更に西へと歩き出す。草はプルクラの腰より高く伸びていて歩きづらい。こんな場所を歩くのも初めてなので、彼女はいつもより慎重になった。それでも身体強化十倍を発動して常人ならざる速度で進むと、半刻ほどで草が途切れ、土を踏み固めた場所に出た。一定の幅で左右にずっと続いているようだ。


(これが……道?)


 道である。しかしプルクラにとっては道を見るのも初めてなのだ。

 プルクラは服を叩いて土や草の切れ端を落とした。これが話に聞いた「道」であるなら、人間と出会う可能性がある。というか、既に気付いていたのだが、右――北からこちらへ近付く何かが目に入っていた。


 この道を左――南へ行けば、リーデンシア王国という国のファルサという村がある。そこでアウリと合流する手筈になっているのだ。


 拡張袋から黒竜の鱗で作られた手甲と脚甲、胸当て、それと黒い刀を取り出して手早く身に着けた。森では邪魔になると思って装備していなかったのである。だがここから先は何があるか分からない。

 レンダルが何度も繰り返し教えてくれたことだが、人間の中には悪意のある者がいるそうだ。だから油断してはならない。


 後ろから、プルクラが見たことのない獣と、それに惹かれて動いている車輪の付いた平たい板、その前端で獣に繋がった綱を握る男が近付いてきた。平たい板の上には木箱がいくつも置かれている。


 ガラガラ、ゴトゴトと音を立てるそれが、プルクラのすぐ後ろに迫った時、男から声を掛けられた。プルクラは反射的に腰の刀の柄に手を掛けた。


「よぉ、坊主。こんな所を一人で歩いてんのか?」

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