第8話 プルクラの弱点
十歳を過ぎたプルクラは、レンダルが持参したある書物に固執するようになった。それは「勇者が悪い竜を倒す英雄譚」である。
人間の勇者が“至竜石”という秘宝を探し出し、それを自身に取り込んで強大な力を得る。その上で、神から授けられた“聖剣”で悪竜を討伐し、世界を平和に導くのだ。
その物語を読み、「人間でも竜を倒せるのか」と純粋に驚いた。そして、自分も“至竜石”を見付けたいと思った。更に勇者が使う“剣”にも憧れを抱いた。自分も剣を使えるようになれば、今より強くなって父を手伝えるのではないかと考えた。
「お父さん。剣欲しい」
「うん? 今度レンダルに買って来てもらおう」
「ん!」
何かを強請ったことがない娘が初めて欲しいと言った物。それが何であろうと、ニーグラムは嬉々として与えただろう。剣が欲しいなんて可愛いもの…………可愛い?
「因みに、どうして剣が欲しいのか聞いても良いか?」
「ん。“至竜石”を見つけて剣を使えば悪い竜も倒せる。強くなってお父さんの手伝いが出来る」
『お父さんの手伝いが出来る……お父さんの手伝いが出来る……』
プルクラの無垢な言葉がニーグラムの胸に沁み入る。ぶるぶると胸の奥から歓喜の震えが込み上げるが、それを顔に出さないよう懸命に抑えた。
「コホン、“至竜石”か……。あれは滅多なことでは見付からない。八千年間で俺が見つけたのは一個だけだしな」
「お父さん、見つけたの!?」
「うむ。もう七千年ほど前だろうか……確かに驚異的に“格”が上がったのを覚えている」
ニーグラムは“至竜石”のことを娘に語って聞かせた。水晶のように透き通っているのに、魔力を通すと虹色に光る不思議な石。それは真の竜に至るため、神がこの世界に齎した石である。
ニーグラムが見つけたのは、黒尖峰の麓にあるシドル湖の湖底だった。そこには古代の遺跡があり、祭壇跡のような場所に“至竜石”があったそうだ。自分でも、何故そんな所にある小さな石を見つけられたのか、今でも不思議だとニーグラムは語った。まるで“至竜石”に導かれたかのようだった、と。
プルクラは、目を輝かせながら父の話に耳を傾けた。“至竜石”のことを考えると心が躍るのを感じた。
「“至竜石”については、今もどこかにあるのか、あったとしても手に入れることが出来るのか、全く分からん」
「ん。でも何だかわくわくする」
「そうだな」
ニーグラムは娘の髪をするりと撫でた。
「剣は別に構わんが、俺は教えることは出来ないぞ? レンダルも無理だろう」
「剣術の本があれば勉強する」
「分かった、剣と教本だな。レンダルに見繕ってもらおう」
「んっ!」
弾けるような笑顔を見せて父に抱き着くプルクラ。感情を表に出さないニーグラムだが、娘は僅かな表情の変化や空気感で父の気持ちが分かる。大好きな父に喜んでもらえたのと、剣と教本が手に入る見込みが出来て、プルクラの胸は嬉しさで爆発しそうだった。
二週間後、レンダルが数本の短剣と剣術の教本を携えて森の小屋を訪れた。プルクラが一週間前に聞いたところによると、拠点の場所をこれまでのランレイド王国の王都トライドンから南西のブルンクスという街に移したらしい。その街には質の良い武具店や本屋がなかったため、態々王都まで行って剣と教本を手に入れてくれたそうだ。
「レンダル、ありがと!」
「可愛い孫のためじゃ、どうということもないわい」
プルクラはレンダルの腕に自分の腕を絡めながら、花のような笑顔で礼を述べた。
二年程前までは「孫のよう」と言っていたのが、ここ最近は「孫」と言い切るレンダルを見て、年齢のせいで呆けてきたのかと少し心配なプルクラである。一方レンダルは「言い切った者勝ち」と確信犯的に“孫”と言っているだけであった。
レンダルはトライドンで襲撃されたこと、その際にアウリという少女を保護して一緒に暮らし始めたことをニーグラムにだけ伝えていた。いずれはプルクラにアウリを会わせたいが今はその時ではないと考えている。アウリの傷付いた心を癒す時間と、黒竜の森という“魔境”を訪れる心の準備をさせる時間が必要だと思っていた。
同じ年頃の子供はおろか、レンダルとニーグラム以外と接したことのないプルクラが、アウリと対面してどんな反応を示すのかも少々不安である。少しずつ、それとなくアウリのことを伝えていこうと画策している。
短剣と教本を手に入れたプルクラは、次の日から素振りを始めた。教本をじっくり読み、小屋の前で剣を振る。ニーグラムの手が空いていれば、教本の通りに剣が振れているか見てもらう。
父と共に狩りへ出掛ける時も、鞘に納めた短剣を腰に佩いて行く。そして獣や弱い魔獣を倒す際に剣を使ってみる。理論を知り、基礎を体に叩き込み、即実践。プルクラはそれを毎日繰り返した。
「う~む……とても剣を持って数か月とは思えんのう」
「やはりそうか?」
「儂も剣は素人じゃから詳しくは分からんが、下っ端の騎士より余程しっかりしているように見える」
「俺も剣のことはさっぱりだが……最近はそこそこの魔獣も剣で狩っている。プルクラには剣の才能があるのではないか?」
レンダルが短剣と教本を渡してから四か月。小屋の前で日課となった素振りを行うプルクラを見て、親馬鹿と爺馬鹿が雁首揃えて彼女を称賛していた。
「才能あるかもしれんのう……ニーグラム、それよりも気になることがあるんじゃが。プルクラの魔力量、めちゃくちゃ増えとらん?」
「お前もそう思うか、レンダル。人間にしてはちと多いとは思っていたのだが」
「“ちと”どころじゃないぞ、これ。ほとんど人外じゃぞ?」
「むっ」
元々プルクラの魔力量は多かったのだが、簡易鑑定魔術で視たところ、レンダルが驚き過ぎて引っ繰り返りそうな程の魔力量になっていた。
「のう、ニーグラム。このまま魔力量が増え続けるとまずいんじゃないかの?」
「う~む……今のところ体調に問題はない。寧ろ日に日に動きの鋭さが増している」
「あの子を森の外に出すことも考えてみんか? 剣術の指南も受けられるし」
「う~む……」
レンダルは知らないことだが、「魔王格」として覚醒する条件の一つが「高濃度の魔力に長期間晒されること」である。
だがニーグラムの知る限り、ここで言う“長期間”とは少なくとも百年単位。だからプルクラが魔王格になる可能性は殆どないと考えている。
殆どないが、絶対ないとは言い切れないのがもどかしいところであるし、魔王格云々よりもプルクラの体に異変が起きないか、そちらの心配の方が現実的だ。
ニーグラムは黒竜の森からあまり離れることが出来ない。何故なら、魔王格や巨獣の出現は龍穴の近くで起きる可能性が高いからだ。それらの討伐は黒竜の存在意義そのものである。さすがにその使命を放り出して、プルクラと共に森から出ることは許されない。
つまり、プルクラが森を出るということは、ニーグラムの傍から居なくなることを意味する。この愛らしい娘が居なくなると考えただけで、彼は耐え難い胸の苦しさを覚えた。
「分かっているとは思うが、あの子は“人間”じゃ。他者との繋がりが不可欠じゃよ」
「お主が居るではないか」
「先のない爺では駄目じゃないかの?」
「……もう少し、もう少しだけ傍に置いておきたい。体調には目を光らせておく。それで良いだろう?」
「いつかはあの子もお主の元を離れねばならん時が来る。覚悟はしておけよ」
「むぅ……分かっている」
森で赤子を見付けた時は、まさかこのような感情を抱くとは思っていなかった。赤子から少女へと成長する過程は、八千年を生きる黒竜にとっては驚きと喜びの連続であった。
自我を得た時から家族や友がいなかった黒竜は、それが当たり前であり何とも思っていなかった。“孤独”を“孤独”と認識していなかったのである。
それが今や、愛おしいものの存在を知ってしまった。そして“友”と呼べる存在すら出来た。この十年という短い月日で失い難い大切な存在が出来た。それは黒竜にとって不幸なことかもしれない。その大切な存在は、黒竜よりずっと早く命が尽きてしまう。その喪失感を想像すると心臓を鷲掴みされたような寒気を感じることがあった。
だからと言って、プルクラやレンダルと出会う前に戻りたいかと問われれば「否」と答えるのは分かり切っていた。
「魔術にもあれくらい情熱を持ってくれんかのう」
ニーグラムが物思いに耽っていると、レンダルがぽつりと愚痴を零した。
「フフッ。人間には向き不向きというものがあるのだろう?」
「それはそうじゃが……絶対魔術の才能もあると思うんじゃ。ままならんのう」
目の前には一心不乱に剣を振る可愛らしい娘。隣には益体もない話が出来る気の置けない友。
ニーグラムは、八千年生きた中で今が最も満ち足りていると思えた。
*****
「お父さん、今日本当にアウリが来るの?」
「その筈だぞ」
プルクラが十三歳になり少し経った頃。森の小屋で、プルクラは朝からずっと落ち着きがなかった。先週レンダルが来た時に「来週アウリを連れて来るからの」と帰り際に言っていたのだ。
この三年間、プルクラは毎日剣を振り続け、父から様々な「竜の聲」の教えを受け、自分のものにした。
一方で魔術は変わらず壊滅的だった。レンダルが書いたという入門書も一応読んだし、著者自身からしつこく手解きも受けたが、初歩的な魔術さえ習得に至らなかった。血の涙を流しそうなレンダルを見てプルクラの胸も少し痛んだが、出来ないものは仕方ない。
そして、少しずつアウリという少女について知らされた。綺麗な青い髪でプルクラより二つ年上。物腰が柔らかく優しい性格。頭の回転も速いそうだ。
アウリのことを知るにつれて、相変わらず男の子のように短く刈っている蜂蜜色の髪や、自分の性格がどう思われるのか気になった。
父は自分以外の女の子を知らないが、もし自分よりアウリのことを気に入ったらどうしよう? 私は要らないと言われるのではないだろうか?
そんなことがある訳もないのに、プルクラはどうしても考えてしまう。そして、会ってみたいという気持ちと、ここには来て欲しくないという気持ちが綯い交ぜになった。
気持ちの整理がつかないまま、遂に今日アウリがここに来るのだ。朝からずっと小屋の中を歩き回ってしまうのも致し方ないことであった。
その一方で、アウリも非常に緊張していた。三年の間に心の傷は随分と癒え、年相応の笑顔を見せるようになった。週に一度の割合でレンダルがどこを訪れているのかは、早い段階で知らされていた。
アウリが緊張しているのは、偏に人化した黒竜と会うことが理由である。レンダルからは、温厚な性格だから礼節を弁えて接すれば問題ないと言われているが、アウリから見れば神にも等しく恐ろしい存在だ。緊張するなと言うのは無理な話であった。
そして、その黒竜が赤子の頃から可愛がっているという娘。十三歳の現在まで、レンダル以外の人間と会ったことがないと言う。口数は少ないが天真爛漫な良い娘じゃよと聞かされたが、いったいどんな子なのだろう?
それぞれの事情から気持ちが落ち着かないまま、遂にその時が来た。
「お父さんっ!」
「うん? 来たか」
小屋の中に設けた転移陣が光を放ち、そこに二つの人影を認めたプルクラが普段出さない大声を上げた。
光の中から、いつも通りの柔和な笑顔のレンダルと、初めて見る青髪の大人びた少女が歩み出る。
「ニーグラム、プリクラ。この子がアウリじゃ」
「は、はじめまして! アウリと申します」
腰が折れそうな勢いでアウリが頭を下げた。
「…………」
プルクラは、ニーグラムの背中に隠れ目から上だけを出してアウリをじぃっと見ている。その様子は警戒心丸出しの猫のようだ。
「俺がニーグラムだ。この子が……プルクラ、どうかしたか?」
ニーグラムが娘の背に手を添えて前に出そうとすると、プルクラは岩のように動かない。顔を赤く染め、目にはじんわりと涙を浮かべて父を見上げている。はくはくと口を開け閉めするが声が出ない。
「まさか…………人見知りか?」
レンダルの言葉通り、プルクラは激しく人見知りしていた。ニーグラムとレンダルは物心ついた時から顔を知っており、居るのが当たり前。その他にプルクラが知る人間と言えば物語に出てくる人物だけで、実際目にしたのはアウリが初めてである。
プルクラはアウリを目の前にしてどうすればよいか皆目見当がつかなかった。会いたいとか来て欲しくないとか感じていたことは全て吹き飛び、理由は分からないがとても恥ずかしく、それが困惑に拍車をかけていた。
十三年間他人と会ったことのない弊害が、激しい人見知りとなって表出したのである。
「…………プルクラ」
プルクラは、何とか勇気を振り絞って蚊の鳴くような声で自分の名を告げた。頬を赤らめ涙目になり、もじもじするプルクラの姿に、父と爺は言わずもがな、初めて彼女を見るアウリさえも一撃で籠絡されたのであった。
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