第5話 娘の成長
プルクラが黒竜に拾われて二年が経った。
「パパ、これは?」
「お、それは栄養満点で味も良い黒傘茸だ。プルクラは茸を見付けるのが上手いな!」
「えへへ」
褒められて嬉しそうに頬を赤らめるプルクラの頭を、ニーグラムはそっと撫でた。
一歳で歩き始めると同時に拙い言葉で喋るようになり、一歳半でおしめが取れたプルクラ。いつもはニーグラムに抱かれて森を散策するが、今日は自分の足で歩きながら茸狩りを行っている。
二年という月日は、これまでのニーグラムにとって気付けば過ぎている程度の時間だったが、この二年は非常に濃密な時間だった。控え目に言っても怒涛の毎日であった。
黒竜の鱗を譲られたレンダルはプルクラとニーグラムが暮らす小屋を購入して森に移築した。浄化装置付きの厠、自動湯張り機能付きの風呂、魔導焜炉付きの調理台や魔導保冷庫など、素朴な見た目の小屋にそぐわない最新の設備が奢られている。因みにレンダルとニーグラムの二人は料理が出来ないが、粉乳作りと離乳食作りは一人前。
それでも、プルクラへの愛を原動力に、切る・焼く・煮る程度の調理は何とか出来るようになった。愛は偉大である。
当初はレンダルも小屋で起居していた。プルクラのおしめを洗うため、水魔術と風魔術を併用した洗濯魔術を編み出した。水球の中におしめを入れ、高速の風で水球を回転させる技術である。大魔導がいったい何をしているのかと諫める者などここにはいなかった。
ただ、小屋で暮らし始めたレンダルは四日目に体調を崩した。眩暈、悪寒、吐き気に襲われ、五日目には立っていられない程。
これは黒竜の森の濃密な魔力に晒されて起きた「魔力酔い」の症状だった。ニーグラムに指摘され、体調不良に苦しみながらも何とかランレイド王国の王都トライドンに転移したレンダルは、鱗を売却して残っていた金を使い、そこに家を借りた。
大人の自分でも四日で具合が悪くなるのにプルクラは大丈夫か? レンダルは赤子が心配で二日後には森の小屋へ戻った。しかしプルクラの体調には全く変化がなく、寧ろ上機嫌であった。
「パパ、これは?」
「おぅ。それは猛炎茸。食べると死ぬぞ」
「ぁぅ」
プルクラは父の教えを守り、茸を見付けても許可があるまで触ろうとしない。目に鮮やかな赤色をした小振りの茸には猛毒があると聞き、嫌そうな顔をして後退りする。
赤子だったプルクラが森の濃密な魔力の悪影響を受けなかった理由について、レンダルはいくつか仮説を立てた。
一、 赤子(幼体)は自身の魔力量が定まっていないため影響を受け辛い。
二、 プルクラは生まれつき膨大な魔力を持っているため影響を受け辛い。
三、 赤子(幼体)は濃密な魔力に馴染むことが出来る。
四、 純粋な魔力の塊である黒竜が何らかの作用を及ぼしている。
ニーグラムにも理由は分からなかったが、レンダルの仮説に同意を示した。そして、二歳を過ぎた現在もプルクラは元気一杯であるが、少し困ったことが起きている。
(やはり常時身体強化が発動しているな)
茸を見付けてはこちらを振り返って声を上げる愛娘を見ながら、ニーグラムは胸の内で呟いた。
ニーグラムは人間の赤子について殆ど知らない。それを言えばレンダルも同じようなものではあるが、彼は拠点にしているトライドンの街で子育て情報をかき集めている。それによれば、プルクラは二歳にしては機敏で力が強過ぎた。走力・跳躍力・腕力が十二歳男子のそれと遜色ないのだ。
その兆候は生後六か月の頃からあった。両手で持った哺乳瓶を手の力で割ったり、赤子用寝台の柵を蹴り壊したり。はいはいの速度も異常であったし、歩き始めた頃も足取りがしっかりしていた。
元気なことは良いことだと最初は微笑ましく眺めていたニーグラムとレンダルだったが、頻繁に怪我をするに至っておかしいことに気付き始めた。
レンダルが簡易的な鑑定魔術を使ってプルクラの状態を視ると、どうやら無意識のうちに身体強化が発動しているようだった。
身体強化は魔術の中では一般的で、兵士や騎士は二倍強化が使えて一人前とされる。武術の達人や騎士団の実力者には十倍強化が使える者もいて、それが人間の限界であると言われていた。もちろん身体強化の習得には才能と長期間の努力が不可欠である。
そもそも身体強化“魔術”は術式を覚え、それを頭の中で構築しなければ発動しない。にもかかわらず、生後半年で身体強化を発動するとは――。
『魔術ではないぞ、レンダル。これは魔法だな』
発動に術式が必要な魔術と異なり、魔法は魔力を直接現象に変換する。ニーグラムが使う「竜の聲」は魔法に当たる。
黒竜は常時無意識に身体強化(レンダルは聞き取れなかったが『スプルメント』という)を発動しており、プルクラはそれと同じ状態だった。
レンダルとニーグラムの二人は、何故プルクラがニーグラムと同じ“魔法”を使えるのか分からなかったが、生まれつき魔力が視えるプルクラは、単に父親と認識するニーグラムと同じになりたいだけだった。父と同じように魔力が自分の体を流れるように真似したのだ。それに半年ほど要したという次第である。
「パパ、あそこ」
「むっ」
「たおしていい?」
「やってみてごらん」
「ん。『
少し離れた木の陰に猪の魔獣を見付けたプルクラは、父の許可を得てから「竜の聲」を使った。魔獣は内部から爆発したように四散する。
「よくやったぞ、プルクラ。ただ今のは『
「……ごめんなさい」
「謝らなくていい。倒すだけなら今ので問題ない。凍らせれば後で食えるからな」
「ん、わかった」
生後三か月からニーグラムと共にいたプルクラは、常人では聞き取れない「竜の聲」を聞き、発音出来るようになっていた。
これにはレンダルが大人気なく羨ましがっていた。五十七歳のレンダルでは、どう足掻いても「竜の聲」を聞き取ることが出来ないからだ。言語を自然に覚えるのと同じように、プルクラは「竜の聲」を習得したのだった。
しかし、黒竜の森では弱い部類である黒猪とは言え、二歳の子が魔獣を倒すのは異常。だが娘可愛さと孫(レンダルは孫のように感じている)可愛さで目が眩んだ二人は、「可愛くて強いなんて最高!」と喜ぶばかりであった。
更に五年が過ぎ、プルクラは七歳になった。
一週間のうち二日は森の小屋へやって来るレンダルは、プルクラが三歳の頃から読み書きと計算を教えていた。来る度に書物を持参するため、小屋には二百冊以上が本棚に納められている。
この大陸における大雑把な歴史はニーグラムが教えている。教えると言うより物語を聞かせる風であったが。
同じく三歳頃から、レンダルはプルクラに魔術を教えようと試みた。だが、プルクラの魔術の才能は壊滅的であった。
魔力が視えるから、態々術式を通すという効率の悪さにプルクラが忌避感を覚えたのが原因だ。「竜の聲」を使えるので、魔術を習得する意義も低かった。
ただ、転移や鑑定、空間拡張の超高度魔術は使えると非常に有用である。これらに類する魔法は「竜の聲」にない。どれか一つでも習得させようと、レンダルはまだ諦めていなかった。
「転移を使えたら、好きな時に儂の所に来られるぞ?」
「……いい。レンダルが来て」
にべもないとはこのことである。レンダルに会うためランレイド王国の王都トライドンに行くことは、プルクラにとって転移魔術を習得する動機付けにならないようだ。目に見えて意気消沈するレンダルを後目に、プルクラは読んでいる本から顔も上げない。
気持ちを切り替えるように、レンダルはニーグラムに語り掛けた。
「ニーグラム、ちょっと話がある」
「どうしたのだ?」
七年を経て、レンダルは友のように気安くニーグラムに接するようになった。ニーグラム自身がそれを望んだからだ。
「ツベンデル帝国が魔導飛空艇の開発に成功したと耳にした」
「飛空艇? 空を飛ぶのか?」
「そうだ。試験運用を兼ねてこの森に侵攻拠点を作るつもりらしい」
ツベンデル帝国の版図は、黒竜の森南東から北北東方面に及んでいる。黒竜の森がなければ国内の移動が容易になるし、何より他国へ侵攻しやすくなる。また、旧クレイリア王国王族の捜索も継続しているようだった。
ただ、帝国が黒竜の森に固執するのにはもう一つ理由があった。魔力濃度の高い場所では希少金属の鉱床が発見されることが多い。黒竜の森を領土に組み込めれば、それらの利権も我が物に出来る。
「空を飛んで森へ、か。まぁ無理であろう」
「そうなのか?」
「個体数は少ないし深部まで行かねば見掛けぬが、黒尖峰周辺には『
「ぎりゅう?」
「この森に居るのはヴァイペールという翼のある大きな蜥蜴だ。火球を吐き、尾には毒を持つ」
「聞いたことがある。火翼竜のことか」
黒竜には遠く及ばないが、火翼竜は一匹でも街を滅ぼすと言われる魔獣である。
「森の上空は奴らの縄張りだからな」
「おぅ……帝国もご愁傷様だな」
*****
魔導飛空艇の完成。それはツベンデル帝国の悲願とも言えた。
魔獣の体内から採取出来る魔石を動力源に、複雑な術式をいくつも重ねて構築される魔導機関は、現在帝国でいくつかのものに利用されている。
帝国兵の標準装備である魔導銃のような武器の他、二輪魔導車、四輪魔導車も開発されている。ただ魔導車は運用にかかる費用が莫大で、帝国皇族、富裕な上位貴族、軍の高官など実際の使用は一部に限られている。
魔導機関を利用して空を飛ぶことは二十年前から模索されてきた。開発が始まったのが十六年前。そして遂に実用に足る飛空艇の開発にこぎつけた。
魔導飛空艇の運用費用は天文学的である。重量物を浮遊させ、空中で均衡を取り、推進するには、一刻(二時間)の飛行で帝国内の魔導車全てを同じ時間稼働させる以上の魔石が必要だった。
だとしても空を飛べる利点は計り知れない。地上を行くより遥かに早く目的地へ到達出来る。敵が迎撃準備を調える前に打撃を与えられるのだ。
現在の技術では乗員百名の飛空艇が限界だった。飛空艇を飛ばすのに最低二十名が必要なため、搭乗できる兵数は八十名。装備の重量を考慮すると六十名が限界である。いずれ千名以上が搭乗可能な飛空艇を開発するのが次の課題であった。
「先行部隊、搭乗!」
黒竜の森を侵攻するに当たって、森を調査する拠点を作る。そのための人員と資材の運搬が、魔導飛空艇の初任務であった。資材は大容量の拡張袋を複数用意しているので搭乗人員数を圧迫しない。
選抜された帝国陸軍二個小隊が整然と飛空艇に乗り込む。開発陣以外で初めて空を飛ぶ彼らは一様に興奮と誇らしさを感じていた。
彼らは知らない。これからどんな地獄が待ち受けているのかを。
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