第4話 帝国兵との戦闘
この大陸には「大魔導」と呼ばれる魔術師が三人存在する。極大攻撃魔術の行使は当然として、転移、広範囲探知、時間遅延や停止、精神作用、飛行、鑑定などの超高度魔術を二つ以上行使出来る者が大魔導の称号を得る。
一人はクレイリア王国筆頭魔術師、レンダル・グリーガン。
一人はツベンデル帝国魔術師団筆頭、ジューダス・ベイリンガルト。
そして最後の一人は、同じくツベンデル帝国魔術師団の次席、アントワール・ベイリンガルトである。
三人しかいない大魔導のうち二人をツベンデル帝国が擁しており、家名から推測される通りその二人は兄妹であった。ベイリンガルト家は代々優秀な魔術師を輩出する家系として帝国では名を馳せている。
兄のジューダスは四十二歳、妹のアントワールは三十六歳。お互いを不倶戴天の競争相手と見做しているため仲が悪い兄妹として魔術師団内では有名であった。
仲が悪かろうが結果さえ残せば文句は言われない。そしてベイリンガルト兄妹は誰もが認める優秀な魔術師であり、誰よりも結果を残していた。
「これより、黒竜の森にてマリーネール・クレイリア第二王女ならびに王国筆頭魔術師、レンダル・グリーガンを追跡、捕縛に向かう。なお抵抗された場合は殺して構わん」
帝国陸軍から一個小隊三十名、魔術師団からベイリンガルト兄妹が選抜され、追跡隊が編成された。
黒竜の森と聞いて一瞬ざわついたが、小隊長と大魔導二人に睨まれて静かになった。
帝国はこれまで何度も黒竜の森を制圧するべく軍を差し向けたが、悉く失敗に終わっている。森なのだから魔獣ともども焼き払えば良いと広範囲に渡って火を放ったことさえあった。しかし理不尽なことに、黒竜の森の木は非常に燃えにくく、例え焼け焦げたとしても数日で元の状態に再生してしまう。火耐性と再生能力を持つ木々で構成された森とは、悪い冗談のようであった。
それからは数で押す戦法が採用されたものの、森の端から数ケーメルで軍の半数が魔獣に殺される事態が相次ぐ。
黒竜の森は大陸の中心に陣取っており、森がなければ交通の便が相当向上するのだが、現在に至るまで攻略の糸口さえ見つかっていない。
「現場にはベイリンガルトの転移魔術で向かう。四分の一刻(三十分)後に出発だ。装備を調えろ」
大魔導の転移魔術が使えるとなれば話は別だ。必要最低限の人数で素早く目的を達し、可能な限り短時間で離脱する。厄介な魔獣とは戦わなければ良い。標的の居場所が分かっているならそれが可能の筈であった。
問題は敵側の大魔導だが、こちらには同じ大魔導が二人いる。第二王女と魔術師を見付けることさえ出来れば失敗しようがない任務。ここに集まった面々は誰もがそう思った。
黒竜の森に行くことへの動揺は収まり、部隊には楽観的な雰囲気が漂う。だが気が緩んでいる訳ではなかった。訓練された軍人らしく装備を調えて整列する。
帝国軍が貴重な大魔導二人をこの作戦に投入する理由の一つは、それだけマリーネール・クレイリアを生かしておきたくないからだ。王族の生き残りがいれば必ず禍根を残す。二十年、三十年先に反乱の旗頭にされ帝国に牙を剝く可能性が高い。
領土拡大に意欲的な帝国は周辺国を力で併呑、服従させている。つまり反乱の芽は複数存在する。一つ一つが小さな芽でも、集まれば帝国に打撃を与えかねない。だから王族を皆殺しにするのだ。
もう一つの理由は、二人投入すれば最悪でも一人は生き残るだろうという打算である。
「では十六名ずつ二班に分かれて転移するぞ。ベイリンガルト、二人とも転移先は問題ないな?」
「問題ない」
「ええ」
「では出発!」
*****
プルクラのために良い買い物が出来たと得意顔で黒竜の森へ戻ったレンダル。粉乳を見付けたことが我ながら誇らしかった。
人間の世情に疎いニーグラムは粉乳の存在など知らぬ筈。何せ蛇尾牛なる魔獣の乳を飲ませようとしていたくらいだ。これを機に一目置いてくれるかもしれない。
などと器の小さなことを考えながら、黒竜とプルクラの居場所を探るため探知魔術を発動したレンダル。すぐに二人の魔力を見付けたものの、二人のすぐ近くに三十ほど別の魔力があることに困惑する。
これは魔獣ではない。人間の魔力だ。
まさか帝国がここまで追って来たのか!? 黒竜様が負けることなど想像出来ないが、彼はプルクラを抱いている。生後三か月の赤子を抱えていては、本来の力を振るえないのでは?
レンダルは急ぎ二人の元へと走り出した。いつでも魔術を放てるよう、いくつかの術式を構築する。結界、突風、土槍、氷塊。ニーグラムの背中が見え、それと対峙する人間たちも視界に入った。間違いない、帝国軍だ。音を立てないよう慎重に歩を進め、帝国軍の横に回り込むため方向転換する。
その時、ニーグラムの落ち着いた声が聞こえた。
「すまんがもう一度言ってくれるか?」
帝国軍から嘲笑が漏れる。
「もう一度だけ言うぞ? 今すぐその赤子を地面に置いてこの場から失せろ。そうすれば命までは取らない」
「この子が欲しいのか」
「生かしておく訳にはいかん」
「小隊長、もうそいつごとぶっ殺しましょう」
兵の一人が魔導銃を構える。それに倣うように五人が銃口をニーグラムに向けた。
「『
――ぐちゃっ
ニーグラムが聞き取れない音を紡いだ次の瞬間、銃を構えた六人がいた場所に血の花が咲いた。肉体は跡形も無く、鉄製の兜や銃はひしゃげて半ば地面に埋もれている。
「なんだっ!?」
「何が起きた!?」
兵士は上から攻撃されたと勘違いし、樹上へ銃口を向けて敵を探している。
「お前、何者だ?」
兵士の後ろから魔術師のローブを纏った男が歩み出た。ニーグラムとプルクラから離れるように移動していたレンダルは、木の陰からその男を覗き見る。
あれは……ジューダス・ベイリンガルトか。兵士の後ろに隠れているもう一人の魔術師は妹のアントワール。大魔導兄妹がこの森に揃い踏みとは恐れ入る。
「俺が何者だろうがどうでも良い。要するに、お前たちはこの子を殺しに来たのだろう?」
「だったら何だ?」
「お前たちはここで死ぬってことだ」
ニーグラムが口の端を吊り上げて凶悪な笑みを浮かべると、二十四の銃口から一斉に魔力弾が放たれた。
「『
プルクラを狙った魔力弾だけが見えない壁に阻まれた。ニーグラムは全身に二十一の魔力弾を食らったが、掠り傷一つ付いていない。
「ふぐ……ふぎゃぁぁ」
その時、それまで身動ぎさえしなかったプルクラが泣き声を上げた。
「おお、よしよし。怖かったな? お前を怖がらせる奴は悪い奴だな?」
ニーグラムはプルクラを揺すりながら優しく声を掛ける。人の身なら容易く貫通する魔力弾を受け、毛ほどの痛痒も感じることなく赤子をあやし始めた男を見て、帝国軍の兵士は唖然とした。
「時の神に乞う。我の魔力を対価にこの男の時を止めよ。時流固定!」
「今だ、撃て! 氷槍!」
アントワール・ベイリンガルトが後ろから超高度の時間停止魔術を放ち、兄のジューダスは兵士たちに銃撃を指示し、自らは氷の槍を百本作り出して男に向かって撃ち込んだ。
「『
またニーグラムが聞き取れない音――竜の聲を発すると、全ての魔力弾と氷槍が空中に静止し、その場で霧散する。
「ばかな!? なぜ時流固定が効かない!?」
「効いているぞ? 俺は動けるが」
人間が行使する魔術など黒竜の前では児戯に等しい。時の神とやらに捧げた魔力量より、黒竜の魔力量の方が圧倒的に上。海水をひと掬いして器に閉じ込めても、海には何の影響もないのと同じである。
「そんな……大魔導の私より格上だと言うのか」
アントワールは力の差を目の当たりにして、すぐさま転移を発動しようとした。自分だけ逃げる気だったのだ。
「『
だが術式を構築する間もなく、彼女は氷漬けになった。いや、彼女だけでなくその場にいるジューダス・ベイリンガルトと、残された二十四人の兵士全員が氷柱に閉じ込められていた。
騒々しかった争いの場は、今や二十六本の氷柱が立ち並ぶ死の静寂に支配されていた。最初に犠牲となった六人の血の臭いがやけに生々しい。
「レンダル、もう出て来てよいぞ?」
「ニーグラム様……気付いていらっしゃったのですか」
「当たり前だ。お前の出番がなくて悪かったな」
「お気遣い、痛み入ります」
ニーグラムの圧倒的な力を見せつけられたレンダルは、プルクラのために粉乳を見付けた誇らしさなど疾うに消え失せていた。
「こいつらの仲間がまた来ると思うか?」
「……いいえ。帝国は転移魔術が使える二人を失った。ここまで徒歩で進軍するのは不可能でしょう」
「そうか。プルクラ、もう悪い奴は来ないぞ! 安心して良いからな?」
「ぁぅぁー、あーう!」
プルクラが手足を動かしながら機嫌よく返事したので、ニーグラムの機嫌も鰻登りである。
「今日は家を用意することが出来ませんでした」
「それはそうだろう。洞窟でも探せばいい。ところでお主、金は持っているのか?」
「えっ?」
「色々と買うのに金が必要だろう? 戦禍の中ここにやって来たのだ、着の身着のままではないかと思ってな」
レンダルは、ニーグラムの気遣いに目を丸くして驚いた。黒竜という存在が人間の営みに関心を持ち、あまつさえ心配してくれるなど思いもしなかったからだ。
「恥ずかしながら……家を手に入れるには不足しております」
「なら俺の鱗を持って行け。そこそこの値で売れるらしいぞ」
レンダルも真偽不明の噂話として聞いたことがある。黒竜の鱗は一枚が大盾ほどの大きさで、売れば王都に豪邸が建つと言われていた。数十年に一枚見つかるかどうかという希少性と、硬度・靭性において右に出る素材がないことが理由である。
「そんなに貴重な物、よろしいのですか?」
「気にするな。瘡蓋のようなものだ」
人間にとっては恐ろしく価値の高い鱗が“瘡蓋“扱いとは……。ニーグラムによると、鱗は定期的に生え変わるらしく、古くなって剥がれ落ちた鱗が山のように積み上がっていて邪魔だそうだ。人間にとって価値が高いのも知っているから迂闊に捨てることも出来ず、溜まる一方とのことである。
「ふぇっ、ぉぎゃぁぁぁ……」
「おお、おお、どうした? ……腹が減ったのか?」
ニーグラムはプリクラの股の辺りの匂いを嗅いでから、空腹で泣き出したと判断した。
「良いものを見付けましたぞ! 『育児用粉乳』、母乳の代わりに出来る代物です!」
「おお! でかした、レンダル!」
拡張袋から粉乳の壺を取り出して胸を張るレンダル。黒竜から褒められて鼻が高い。壺の側面には、どのように乳を作ればよいか分かりやすく書いてあった。
「ふむ……まず哺乳瓶と乳首を煮沸消毒してしっかり乾燥させる。熱湯に粉乳を溶かし、人肌になるまで冷ます」
「面倒だな!?」
中年男性と八千年生きた竜が、ああでもない、こうでもないと言いながら四苦八苦して粉乳を準備する。その姿を誰かが見ていたら哀愁を感じたであろう。四分の一刻掛かってようやく出来上がったが、プルクラは泣き疲れて眠ってしまっていた。
「この、自分の親指を銜えながら眠る姿、何とも愛おしいな」
「目の周りが涙で濡れているのも、まるで天使のようですな」
二人はプルクラの姿を見て初めての感覚を味わっていた。
この可愛らしい生き物は本当に人間なのだろうか。
誰かが世話しなければ三日ともたずに死んでしまう、儚くも愛おしい生き物。
この時、二人は同じ決意を抱いていた。この子は必ず自分たちが守るのだ、と。
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