第3話 魔術師と黒竜

「待て、そこの男! マリーネール殿下をどうするつもりだ!?」


 走り過ぎて涸れかけた喉から、声を振り絞って問うレンダル。クレイリア王国筆頭魔術師にして、大陸でも三本の指に数えられる強大な魔術師である彼だが、三度に渡る転移魔術、そして王女殿下を探すために広範囲を探知する魔術の行使で、体内魔力は枯渇寸前。その上死ぬんじゃないかと思うくらい全力疾走した後である。今の彼なら子供でも倒せるだろう。


 それでもレンダルは、命に代えても目の前の男からマリーネールを取り戻すつもりだった。


 レンダルの必死の問いに、全裸の男が振り向いて滑稽なものを見る目を向ける。いや、森で全裸のお前にそんな目で見られる筋合いはない! とレンダルは胸の内で叫んだ。


「どうするつもり、か。そうだな……守り、育てるつもりだ」


 そう言って男は踵を返そうとし、途中で止まった。


「殿下と言ったか? それはこの赤子がどこぞの王族ということか?」


 しまった。レンダルは内心で舌打ちした。もしこの男がツベンデル帝国の回し者なら、姫殿下の命はない……いや、黒竜の森で全裸の時点で色々とおかしい。

 おかしいが、存外この男はまともなことを言った。恰好はまともとは真逆ではあるが。


「……すまぬが服を着てくれんか? 気になって話に集中できん」


 レンダルがそう言うと、男は自分の体を見下ろし、レンダルを見、もう一度自分を見て何度か瞬きをした。


「そうか。人間とは布を身に纏うものだったな。久しぶりで忘れていた。『トランスフォルマ変身』」


 男が言葉の最後に聞き取れない音を発すると、彼の全身が一瞬だけ強い光に包まれ、レンダルは反射的に目を閉じた。瞼越しに光が収まったのを感じ恐る恐る目を開くと、男は黒一色の外套を纏っていた。


 その瞬間、レンダルは昔読んだ文献の一節を突然思い出した。


『――我々の前に顕現された黒竜様は、恐怖のあまりひれ伏す人間を不憫に思ったのか、強い光を発した直後に人間の姿へと変化された。最初は一糸纏わぬお姿であったものの、また光を発すると漆黒の外套を纏う精悍な男のお姿へと変わった。眼前で繰り広げられる奇跡の連続に、我々は地面にひれ伏したまま涙を流さずにいられなかった』


 まさか……この男が黒竜様だと言うのか? 実在していたのか……?


「これで良いか?」

「あ……あなた様は、もしや黒竜、様……?」

「いかにも。俺が黒竜ニーグラム・ドラコニスだ」


 赤ん坊を腕に抱き、先程まで全裸だった男――ニーグラムは、何でもないことのように自分が黒竜であると明かした。


「し、失礼しましたっ! 私は、クレイリア王国の魔術師、レンダル・グリーガンと申します!」

「レンダルだな、覚えた。して、この赤子は王族なのか?」


 レンダルはマリーネール王女殿下の境遇について嘘偽りなく説明した。黒竜という雲上の存在に誤魔化しは効かないと感じたからだ。嘘が露見した時、どのような反応を見せるのか恐ろしいという気持ちもあった。


「ふむ。つまりクレイリア王族唯一の生き残りということか」

「恐らくは」


 ニーグラムは少しばかり思案を巡らせた。自らプルクラと名付けた赤子は、先程出会ったばかりだというのに腕の中で次第に存在感を増している。有り体に言って手放し難いと感じていた。

 しかしながら自分の都合を押し通すのが最善だとは思わない。人間には人間の都合がある。特に国家間の争いや政治に関して、ニーグラムは非常に疎い。自分が余計なことに首を突っ込むことで人間同士の争いが激しくなるのは望んでいない。


 一方でレンダルも沈思黙考する。ツベンデル帝国は制圧した国の王族を生かしておかない。後顧の憂いを絶つべく皆殺しである。

 王女殿下を連れてクレイリア王国に戻るのは論外。帝国の目をかい潜るためにどこかへ逃げ延びる、或いは逃げ続けねばならないだろう。だが仮にそうしたとして、マリーネール姫殿下は幸せと言えるだろうか? 帝国が諦めるまで、暗殺に怯え続ける毎日を強いられるのだ。

 それならいっそ、黒竜様の庇護下で伸び伸びと暮らす方が良いのではないか?


「もしレンダルが望むなら赤子はお主に返す」

「いえ。黒竜様の元にいる方が遥かに安全でございます」

「それはそうだが……」

「私も、微力ながら姫殿下の健やかなご成長に尽力いたします」

「ならば頼む。俺も人間の赤子を育てたことなどないからな」

「はっ!!」


 レンダルはニーグラムに向かって深々と頭を下げた。とは言ったものの、レンダルも五十五歳にして独身。子育ての経験はない。

 成り行きだが、ここに黒竜と筆頭魔術師という武力極振りの子育て連合が誕生した。ただし二人とも子育て経験は皆無。先行き不安である。





 手頃な洞窟を棲み処にするというニーグラムを何とか説き伏せ、家はレンダルが用意することになった。王女殿下に洞窟暮らしなどさせる訳にいかない。

 大容量の拡張袋と土魔術があれば家を丸ごと移築出来る。それ以外にも人間らしい生活を営むには必要な物が多々ある。また、生後三か月のプルクラにはミルクやおしめが必要だ。まさか黒竜の森に乳母を連れてくる訳にもいくまい。


 因みに「マリーネール・クレイリア」と呼ぶことは禁止された。クレイリア王族が生き延びていることを知る者は少ない方が良い。同じ理由で王女殿下、姫殿下と呼ぶことも禁止である。


「蛇尾牛の乳なら滋養豊かだぞ?」


 森の浅層に生息する、頭から胴の半分までが牛で後ろ半分が蛇の魔獣の乳をプルクラに飲ませようとニーグラムが提案した。


「それは人間の赤子が飲んでも問題ないのでしょうか?」

「…………恐らく」


 レンダルがじっとりした視線を向けると、ニーグラムはそっと顔を逸らす。


「まず私が飲んでみましょう。腹を壊すような問題がなければ少量ずつ飲んでいただきましょうか」

「う、うむ。ではちょいと捕まえて来よう。その間この子を頼めるか?」

「……恥ずかしながら魔力が枯渇しております。今の私ではプルクラを守れるとは思えませぬ」

「そうか。では手を出してみろ」


 疑問に思いながらレンダルが右手を差し出す。ニーグラムはプルクラを左腕で抱え、空いた右手でレンダルの手を握った。


「おぉ…………」


 恐ろしい勢いで自分の魔力が回復していくのが分かる。ほんの二呼吸(約八秒)ほどでお互いの手が離れる。


「俺の魔力を呼び水に、周辺の魔力をお主の体に注ぎ込んだ。どうだ?」

「はい、すっかり回復したようです」

「では――」


 ニーグラムに抱かれてスヤスヤと眠っていたプルクラを、慎重な手つきでレンダルに渡そうとした。

 その途端、プルクラが目がパチッと開いて火が付いたように泣き出した。レンダルは慌てて彼女をニーグラムの手に押し戻す。すると泣いていたのが嘘のようにまた眠りに就いた。


「ニーグラム様。どうやら姫で――プルクラにはあなた様が必要のようです」


 プルクラの反応とレンダルの言葉で内心ニヤニヤが止まらないニーグラムは、懸命に渋い顔を作る。気を抜くと赤子に毒気を抜かれただらしない顔になりそうだったからだ。


(黒竜様が既に親バカになりつつある)


 わざとらしく渋面を作っていたのがレンダルには筒抜けだった。ニーグラムの口端がニヨニヨとしていたので。


「仕方ない。レンダル、お主が蛇尾牛を捕まえてきてくれ」

「いや、無理でしょうそれは」


 討伐ならまだしも、乳を搾るために黒竜の森に生息する魔獣を捕まえて連れてくるなど無理な話である。


「むっ……泣かせるのは可哀想だが、やはりお主に――」

「いえ、それも難儀ですぞ。プルクラが泣けば魔獣が寄って来るやもしれません。ここはひとまず、私が必要な物を揃えて参りましょう。ニーグラム様に魔力を回復していただけましたから、三回ほど転移可能ですし」

「そうか……うむ、それが良いかもしれんな」


 ニーグラムの同意が得られたので、レンダルは転移魔術の準備を始めた。魔術は術式を構築しなければ発動しない。普通の魔術師は紙などに描いた魔術陣を頼りにするが、高位の魔術師は頭の中で術式を構築する。だが転移のような超高度な魔術は、レンダルでも相当な集中が必要である。


 転移魔術とは現在地と目的地の空間同士を一時的に繋げる魔術である。目的地は一度でも訪れたことのある場所で、尚且つ明瞭に思い浮かべることが必要だ。

 レンダルは、クレイリア王国の西、黒竜の森からは北西に位置するランレイド王国の王都トライドンを思い浮かべた。トライドンには何度も訪れたことがある。常宿の横にある路地なら人目につかない筈。


 レンダルの足元に白い光を放つ複雑な紋様が現れ、瞬きの間にレンダルの姿が消えた。





 トライドンに転移したレンダルは大急ぎで思い付く限りの店を回った。まずランレイド王国の通貨に両替すべく両替商へ。手持ちの現金はそれほどなかったが、身に着けていた装飾品を全て売り捌くとそれなりの金額になった。


 とは言え、止めてしまった手前言い難いが、家を用意出来るまでは洞窟を棲み処にしていただこう。さすがに今日移築出来る家を買うのは無理である。そこまでの金はない。


 道行く人に尋ねながら、レンダルは今すぐ必要なもの、つまりプルクラの服とおしめ、そして乳の代わりになるものを探した。乳飲み子を抱いた若い母親を見掛けたので、これ幸いと赤子に必要なものと、それが売っている店を聞きだした。物凄く不審な目で見られたが気にしてなどいられない。

 その代わり非常に有用な情報を得た。ここランレイド王国では、母乳の出が悪い場合に使える「育児用粉乳」というものが普及しているそうだ。子育てに全く縁のないレンダルは知らないことだったが、この粉乳は割と昔から周辺国で使われているもので、安全性も担保されていた。


 訳の分からない魔獣の乳を飲ませずに済んで心の底から安堵するレンダル。育児用粉乳は保存が利くとのことで大量に購入。哺乳瓶や乳首は種類が多く、よく分からないまま十個ずつ買った。肌に優しい柔らかい布で拵えたおむつは百枚。乳児用の肌着、服、防寒着など目に付いた端からお買い上げ。

 見るからに育児と縁のなさそうな中年男性による大量購入に、最初訝しがっていた店員もホクホク顔である。


 購入した品々を自前の拡張袋に入れ、レンダルは森へ戻るために人気のない場所を探すのだった。





*****





 レンダルが粉乳の存在に歓喜していた頃。クレイリア王国王都レミアシアでは、王宮を占拠したツベンデル帝国軍が軍議を行っていた。


「では、第三王子のアルトレイ・クレイリアと第二王女のマリーネール、二人の行方が掴めないのだな?」

「はっ! 第一王子と第三王子は第二騎士団に同行しており、第一王子の死亡は確認、団長と副団長の生死が未確認です。恐らくこの二人が王子逃亡に協力していると思われます」

「うむ。第二王女の方は?」

「筆頭魔術師レンダル・グリーガンの姿が確認出来ませんので、恐らくは奴の仕業かと」

「レンダル・グリーガン……確か大魔導の一人だったな?」

「はい。魔術師団の筆頭と次席魔術師が転移の痕跡を探知しております」

「第三王子の方は?」

「追跡に四小隊を向かわせております」

「承知した。ランレイド王国まで逃げられたらそれ以上深追いするな。ではレミアシア占領の状況について報告を――」


 その時、軍議が開かれている会議室の扉が遠慮がちに叩かれ、一人の武官が顔を覗かせた。


「会議中失礼いたします! レンダル・グリーガンの転移先が判明しました。黒竜の森です」

「黒竜の森か……いいだろう、追跡隊を編成せよ」

「はっ!」

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