第6話 娘の願い
レンダルが魔導飛空艇の話を持ち出した三週間後。黒竜の森から東北東へ約千ケーメル(キロメートル)に位置するツベンデル帝国帝都グストラル、その近郊に造られた飛空艇発着場から、大陸初の魔導飛空艇が離陸した。
二十名の乗員と六十名の兵士を乗せた飛空艇は、およそ二刻半で黒竜の森境界に到達。
「これより森上空に侵入する。減速して高度を下げ、着陸可能、或いは部隊の降下可能な地点を探せ。観測手および砲手は全周を警戒」
「「「はっ!」」」
飛空艇には六門の魔導砲が搭載されていた。前方と後方に二門ずつ、右舷と左舷に一門ずつである。
魔導砲は魔導銃の約千倍の威力を誇る。一度発射すると次弾の発射まで二呼吸(約八秒)かかることが難点だが、当たれば大型の魔獣でも倒せると考えられている。
黒竜の森中心に聳える黒尖峰に向かって、飛空艇は減速しながら高度を下げた。眼下は緑が濃く、都合の良さそうな場所はなかなか見当たらない。
「黒尖峰の南に大きく開けた場所があります!」
「そちらへ向かえ」
観測手が見つけた開けた場所とはシドル湖のことである。当然着陸や兵の降下には向かない。そこに行き着く前に観測手が声を上げた。
「前方に複数の飛行物体あり!」
「鳥か?」
「いえ……かなり大型の……。っ!? あれは火翼竜、火翼竜が……な、七匹!?」
「間違いないのか?」
「は、はいっ!」
「くっ、旋回、旋回せよ! 後方砲手は迎撃準備、速力全開、高度を上げろ!」
帝国の大都市まで火翼竜を引っ張って行く訳にはいかない。何とか振り切って逃げるか、全て殺すかだ。しかし一匹でも災害級と言われる魔獣が七匹……司令官だけではなく、その場にいる者全てが絶望感に苛まれる。
飛空艇が大きく弧を描いて旋回を始める。その間にも火翼竜の群れは着々と距離を詰めていた。
「火翼竜の口周りが橙色に光っています! 火球が来ます!」
「総員衝撃に備えよ! 左舷および後方の魔導砲、発射準備! ……発射!」
三門の魔導砲から同時に魔力弾が放たれた。それと前後して七つの火球が飛空艇を襲う。
「回避! 最優先で回避せよ!」
司令官の命令は尤もだが、世界初の魔導飛空艇の操縦士に空中戦の経験などある筈もない。操縦桿を思い切り引き、急上昇するのが精一杯である。大きく傾いた艇内では乗員や兵士がごろごろと転がった。
火球の一つが魔力弾とぶつかり相殺される。残った魔力弾二発のうち、一発は避けられてシドル湖岸に着弾。もう一発は一匹の火翼竜を掠めた。その火翼竜は群れから離脱し、ふらふらと森の南西部へ落ちて行く。
残された火球六つは、操縦士の機転と幸運のお陰で全て飛空艇を外した。
「全弾回避! 全弾回避です!」
「よしっ!」
「あ…………」
六匹の火翼竜は飛空艇の間近まで迫っていた。近距離から二発ずつ、計十二発の火球が面で制圧するように放たれた。
魔導砲の再発射は間に合わない。仮に間に合ったとしてももう遅かっただろう。四発の火球が飛空艇を直撃した。それにより飛空艇後部は大破し、墜落を始めた。
艇内は阿鼻叫喚の様相を呈した。飛空艇後部は火の海で、艇首が徐々に下を向き墜落を始める。不幸中の幸いで、殆どの乗員と兵士が急激な気圧の変化で意識を喪失した。
すでに森の上空を抜け、ツベンデル帝国領土内に入っている。森の端から南東へ約四ケーメル地点に飛空艇は墜落。この時点で乗員と兵士合わせて八十名全員が命を落とした。
六匹の火翼竜は止めとばかりに墜落した飛空艇に向かって火球を吐き出す。六発全てが直撃し、飛空艇は原型を留めない焼け焦げた残骸になり、その余波で半径五百メトル(メートル)の範囲が焼け野原になった。
完全に動かなくなった敵の様子を見て満足したのか、火翼竜たちは悠々と森へ帰っていった。
*****
魔力弾が掠めた火翼竜は墜落途中で意識が覚醒し、体勢を立て直して巣に戻ろうとしたものの、翼の一部が折れてしまい上手く飛べなかった。
そして、木々を薙ぎ倒しながら地上に落ちた。そこはプルクラが住む小屋から二ケーメルしか離れていない場所だった。
「お父さん、何か来た」
「そのようだ。ちょっと見て来る」
「私も行く」
居間で本を読んでいたプルクラとニーグラムは森の異変をすぐさま察知した。常時身体強化を発動しているニーグラムと、その父のようになりたいと願うプルクラにとって、二ケーメルは三十呼吸(約二分)ほどの距離である。
ニーグラムを追うように走っていたプルクラは、前方で暴れる魔獣の気配に気付いた。この辺りの魔獣より遥かに強大な魔力を纏っている。
怪我を負った火翼竜は怒り、興奮していた。のべつ幕無しに木々を倒している。森の木々には再生能力が備わっているとは言え、さすがに根元付近から折られては元通りとはいかない。
「ヴァイペールか」
「火翼竜?」
「人間の呼び名はそうだ。プルクラ、あれを倒せると思うか?」
「ん、やってみる。『
火翼竜の両脚が一瞬凍り付いたが、すぐに氷が割れて燃えるような怒りの目で睨み付けられた。
「っ!? 『
鱗にいくつもの線傷が出来るが、表面を僅かに削っただけ。火に油を注ぐように、火翼竜の怒気が増した。三十メトルは離れていたのに一瞬で距離を詰められ、鋭い棘がついた尾がプルクラに向かって振るわれる。
この時、プルクラは初めて死を予感した。生存本能によって感覚が研ぎ澄まされ、体を巡る魔力が活性化し、一時的に身体強化は三十倍に及んだ。
尾が当たる直前に自ら後方へ跳び、棘と棘の隙間に足の裏を付け、尾の勢いを利用して更に跳んだ。
ニーグラムの目にはプルクラに尾が直撃したように見えた。焦った彼は身体強化百倍を発動し、プルクラを受け止めるべくその背後に移動する。プルクラを捕まえると同時に自ら後ろへ跳び、木を数本折りながら衝撃を緩和し、娘をしっかりと抱きとめた。
「プルクラ!」
「ん?」
「平気か?」
「ん。ほとんど自分で跳んだ」
「そうか……胆が冷えたぞ?」
「ごめんなさい」
プルクラの無事を確かめて安堵の息を漏らすニーグラムは、娘の髪をわしゃわしゃと撫でる。
「何で『竜の聲』が効かないの?」
「ヴァイペール――火翼竜の方が、今のお前より格上だからだ」
「格上」
「うむ。あいつを躾けた後で教えてやろう」
プルクラに経験を積ませるつもりだったが、すぐ近くに黒竜がいることに気付かないほど火翼竜は怒りで我を忘れていた。自分が近くに居ればプルクラは安全だと過信していたのだ。
「火翼竜は個体数が少ないから殺さない。『
ニーグラムが「竜の聲」を紡ぐと、火翼竜の体がびくりと震え、その場で腹這いになった。あれほど怒りに燃えていた目には怯えが浮かんでいる。
「翼が折れたのだな……『
火翼竜はおずおずと起き上がり、確かめるように翼を広げて何度か羽ばたいた後、そこから北東へ飛び立っていった。
「本当に怪我はないか?」
「ん、大丈夫」
よく見ると、プルクラの脚が小刻みに震えている。僅かでも間合いを間違えば死んでいたかもしれない。今更ながらそれに気付き、死の恐怖に襲われていた。
ニーグラムがプルクラの正面で膝を突いて両腕を広げると、彼女は父の首に腕を巻き付けて縋りついた。小さな背中を優しく抱きしめる。
そのまま抱き上げて小屋に向かって歩き出した。プルクラはまだ七歳だ。まだまだ父親に甘えても良い年頃だとレンダルが言っていた。今こそ甘やかす時だろう。
「お父さん、格上って何?」
風呂で髪を洗ってやり一緒に浴槽に浸かる頃には、プルクラの震えも治まっていた。ニーグラムは風呂に入る必要がないし、プルクラはもう一人で入れるが、二人とも今日は一緒に入りたい気分だった。
「生きた年数、重ねた経験、才知と膂力、そして魔力量。概ねその五つで格が決まる」
「格……」
「うむ。単純に強さと言っても良い。俺の使命のことは覚えているか?」
「ん。魔王格の討伐」
「それと人間の手に負えない巨獣の討伐だな。魔王格の“格”も意味は同じだ。魔王と呼ぶに相応しい強さということだ」
「なるほど」
魔王とは世界に害悪を齎す存在。人型とは限らずあらゆる生物が魔王格になる可能性がある。
この世界には黒竜の他に白竜がいて、この二体に課せられた使命が魔王格や巨獣の討伐だった。黒竜・白竜を補佐出来るほど実力があるものに、火竜・風竜・水竜・土竜の称号が与えられている。竜の名を冠するものはこの世界の守護者と言い換えることも出来る。
ニーグラムが自我を得てから八千年の間に、二十七体の魔王格と戦いその全てを打ち倒した。白竜アルブム・ドラコニスは二万年以上生きているらしいので、少なく見積もっても倍以上は魔王格を倒しているだろう。別の大陸にいる白竜と遭遇する機会は非常に稀で、ニーグラムはこれまでに五度会っただけである。
「私、今日こわかった」
「うむ」
「死んで、お父さんと会えなくなるのがこわかった」
「そうか」
プルクラが口を噤み静寂が訪れる。天井から水滴が落ちる音がした。
やがて、娘は決意の篭った目を父に向けた。
「私もお父さんみたいに強くなりたい」
「お前ならきっとなれる」
「ほんと?」
「ああ、本当だ」
娘は父を全面的に信頼していた。父がなれると言った以上なれるのだ。
可愛らしい小鼻を広げてむふーっと息を吐くプルクラ。強くなって父の助けになりたい。彼女は一片の曇りもなくそう願った。
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