004:「冬物語(Ⅱ)「ゆるふわ年上天使様」」

 宝多島の主要街道、通称「裏道」。戦国~江戸時代、城下町だった宝多島のメインストリート。距離約二キロメートル、谷川と宝多川の合流地点まで続いている。


 江戸時代までは多くの商家で賑わっていた裏道は、現在観光通りとして数多くのお土産ショップや飲食店が建ち並び世界中からの観光客で賑わっていた。



 俺のアルバイト先は地元ファミレスチェーン「フォーエバーラブ」。昔から地元民に愛されているプチ高級ファミリーレストラン。


 最大の特徴は美味しい料理……ではなく制服、特にウエイトレスの制服は頻繁にリニューアルされ今回もハートマークを大胆にあしらった少々露出度高い系、華やか且つラブい。ルッキズム全開。当然女子の採用基準も……ゴホン、ゴホン、失敬。


 しかるに男子にも大人気のバイト先である。ちなみに俺の勤務地は「フォーエバーラブ宝多島店」。宝多島の景観にあわせ日本家屋風の外観となっていた。

「…………」

「はい、はい、申し訳ございません。以後気をつけます」

「…………」

「申し訳ございませんでした」


 溜息、俺は遅刻してしまった。上司にねちっこく嫌みを言われる。何度も謝罪、良い事ね~なぁ~。


 気を取り直しウエイターとしてバイト開始。

「忙しくなりそうだ」


 一人呟く。平日夕方、満席。観光客に交じり地元民にもよく利用されているファミリーレストラン。俺はホールとキッチンを慌ただしく動き回る。


 ******


 休憩中のスタッフ達が店長に呼ばれた。

新人紹介……か」

 大人気のアルバイト先。だが飲食店の常、時給は高いが仕事内容はキツい、アルバイトの入れ替わりも激しい。確かにウエイトレスは可愛い娘が多い。でも元来他人に興味の無い俺にとってはどうでも良い事だった……が。

「……!?」


 休憩室のドアがゆっくりと開いた。真新しい制服を身に纏った新人ウエイトレスが入室。彼女の足音、ヒールが心地よい音色を奏で始める。俺、いや休憩室にいた全員が世界はスローモーションになったかの様な錯覚を覚えた。


 軽やかにたなびいているゆるふわロングヘアー。新人ウエイトレスの横顔は眩く光輝いていた。歩く度揺れる大きなバスト。良くある新人紹介だよな!?

「天空から女の子が降って来なくても。ある朝目が覚めたら、自身が女の子の身体になっていなくても、奇跡なんて起きなくても……もう、これは物語だった!!」


 俺は一人小説のモノローグのように呟いた。まるで映画やドラマのワンシーンの如し。歩くだけで小説が書けてしまうほどの衝撃が全身を駆け巡る。

「……何だ? あの天使様は」


 年齢は大学生位だろうか? 童顔である為か、少々幼さ感じる。裏採用基準、が多いファミレスだけど、天使様の美貌は圧倒的、超絶美人さんだ。

「デカい」

「ああ」


 隣のバイト仲間が鼻の下を伸ばしている。周囲の男子達も皆似たような表情。全く、だらしない(ちなみに俺の表情は棚上げ)……ゴホン、確かにデカい。制服のデザインがバストを際立たせているとしても十分すぎる程巨乳だった。童顔でおっぱいが大きくて。


「あのぉ、わたし『國杜真理亜くにもりまりあ』と申します、初めてのアルバイトなので良くわからない事も多いですが、よろしくお願いします」


 ちょっとだけ舌っ足らず、可愛らしいアニメ声。少々恥ずかしそうに微笑みながら頭を下げた。緩い曲線を描く艶めくロングヘアー、宝石みたいに煌めく琥珀アンバー色の大きな瞳。可愛いと綺麗が完全融合している顔立ち、華奢な手、細い脚、全ての所作がお美しい……ダメだ、凡庸過ぎる……俺自身表現力の乏しさに絶望する。


 お嬢様なのだろうか? 気品と上品さが滲み出ている、正に上級国民ハイエンド。海神市一位と噂されている美少女、五鬼平の姫様達にも引けを取らない美人さん。完璧だ、ラノベ世界から転生したみたいな「ゆるふわ年上天使様」だった。


 早速脳内恋ァ……まてまてまて、落ち着け俺。これほどの美人さんにはバカみたいにハイスペックなカレシがいる可能性大だ。しかも俺は最近失恋(脳内で)したばかり。当分の間恋愛なんて考えたく…………ふと年上天使様と目が合った、天使様の微笑。クソッ! 可愛いじゃねえか。


 ゆるふわ年上天使様は妖艶な淫魔サキュバスなのか。瞬時に俺を魅了する。

「ふん「人は理屈ではなく、奇跡に弱いものなんだよ」……然り」


 また某アニメキャラの台詞を口にした。俺がここまで人に惹かれたのは……この出逢いは間違い無く奇跡、運命の出逢いだ。糞リアルにもこんな出逢いがあるんだな。

「休憩終わり、仕事に戻るように」

「へーい」

 奇跡的出来事だった休憩が終わり仕事を再開する。

「では國杜さん」

「店長、よろしくお願いします」


 店長直々のご指導かよ。スケベ親父め! 色欲にまみれた下心が表情筋に浮かび上がっているぞ。


 当然の如く、お客様達も大注目。ツイッター(X)には速攻「美人巨乳ウエイトレス」の降臨の噂がアップされていた。


 ゆるふわ年上天使「國杜真理亜」さん。一体何処のお嬢様だ? 同じフロアでの仕事、観察する機会は多い。


 宣言しよう、俺の洞察力は名探偵コ●ン君並みに鋭い。と言う事で年上天使様のプロファイリングを開始するとしよう。


 真理亜さんはとても真面目、且つ優秀だった。すぐに仕事を覚え、初日から宝多島店の主戦力としてバリバリ仕事をこなしている。凄いな。


 年齢は俺より数年程度年上、おそらく大学生であろう、それもかなりランクの高い大学のようだ。受け答えにも知性が滲み出ている、更に細かな所作が優雅なのは教育の行き届いた良家のお嬢様である証。


 「初めてのバイト」と言う発言、今までバイトしたことが無い。ふむ、成程、アルバイトはお嬢様人生修行の一環なのだろう。もしかしたら下々の生活を体験したいという想いがあったのかも知れない。何故なら仕事に熱意が感じられる。やらされている感は微塵も感じない。


 夕食の時間帯、平日とはいえ観光地には数多くの観光客や地元客でごった返し、忙しさはピークとなっていた。


 流石の真理亜さんも忙しそうに仕事をこなしている。それでも笑顔を絶やさない、一生懸命、好感がもてる態度。

「凄く、いい人だな」


 容姿だけでは無い。俺は眩しいくらい輝いている年上天使様を見つめた。おっと仕事、仕事。メチャメチャ忙しい状態でも妄想は暴走中。

「ふむ、世間知らずのお嬢様、振り回されてしまう俺。そして二人の間に芽生える感情は……定番だけど悪くないシチュエーションだ」

 だが真理亜さんは有能そう。しかも殆ど俺との接点なし。ボツだな。


「「お嬢様」と言えば、「誘拐」も定番か……」

 真理亜さんが謎の組織に誘拐される、国家、警察権力は無力だった。俺の孤独な奪還劇が今始まろうとしている……

 銃弾飛び交うアクション映画系恋愛ドラマ。ふむ、悪くないな。だけど命懸けになるのが少々難点だな。


「他に恋愛物語としての定番は…………難病系かぁ……」

 う~む、それは嫌だな。色々な恋愛物語ラブストーリーを妄想する。

 ふう、ダメだダメだダメだ! 真理亜さんがヒロインならば、美しいヒロインに相応しい最高の「恋物語ラブストーリー」にしなければならない。


「ふう結局、脳内恋愛かぁ……」

 呆けていた俺が悪かったのだが……

「イテッ」

「キャ!」


 真理亜さんと正面衝突。真理亜さんは盆上のコップに入った水を零してしまう。

 ゆるふわ年上天使、真理亜さんの大きな胸元に冷水が……

「ゴメンなさい」

「俺こそ、すみません」


 真理亜さんとの初めての会話は「謝罪」となってしまった、無念……ん!

「國杜さん、ちょっとブ、ブッ!」


 冷水のせいで下着、ブラが透けていた。やはり、高級そうなブラ、たぶん。

「ブ!」

「ぶ??」

 真理亜さんは不思議そうな顔をしながら首をかしげた。メチャ可愛い。だが俺は真っ赤になったまま。

「ブッ……ブラ」


 まだ気付か……

「ぶら? …………ひやああああああああああああっ」


 ゆるふわ年上天使、真理亜さん赤熱化。そしてお盆で顔を半分隠して照れ笑い。

「制服、着替えてきますねっ」

 真理亜さんは胸元をお盆で隠し足早に更衣室へ向かった。


 呆然と見送る俺、身体……バストの悩殺力は正に最上位級悪魔。俺ほどの聖人が鼻血溢れ出そう。

「…………バイトのシフト増やさなきゃ」

 呆けた表情をしている俺。心の中で固く決意した。


 ******


 ゆるふわ年上天使様「國杜真理亜」さんとの運命的な出逢いから数日経過していた。


 バイト先に向かう俺、何度も溜息。スマートフォン、L●NEトーク画面をジーーーーッと見つめる。

「今日もシフトが……」


 真理亜さんのシフトを確認する。一瞬で大人気ウエイトレスとなってしまった「ゆるふわ天使様」はフォーエバーラブ各店舗間で争奪戦となってしまい、トップアイドルのような過密スケジュールとなっていた。


 真理亜さんは仕事が大変になるけど時給アップを条件に承諾したらしい。俺とのシフトも殆ど噛み合わなくなっていた。


 ようやく同じシフトになった! ……かと喜んでも接点は極僅か。

 帰宅時間も。

「あの國杜さ……」

「それでは皆様、お疲れ様でしたぁ」


 真理亜さんはあらゆるお誘いを断り、脱兎の如く帰宅していった。路地裏でリムジン車が待っているのだろうか? 謎だ。


 ちなみにフォーエバーラブ、バイト全員のシフトは専用L●NEアカウントで管理されている。今日も真理亜さんのバイト先は別な店舗。鬼隠かよ、遠くね。


 現在判明している國杜真理亜さんのL●NEアカウントには直接、友達申請やトークのアタックする猛者大量発生。だが、誰一人既読は付いていないそうだ。


 俺も何だかんだ言い訳を考え、メッセージを送信したが……当然、俺とのトークルームにも入室無し、既読はつかなかった。溜息。


 所詮俺は接点の少ないバイト仲間。名前すら覚えて貰えない。このまま「バイト仲間」という関係が終われば完全終了なのかな……所詮「運命の出逢」なんて糞リアルにはある訳が無い、と諦めかけていた。


 あの日までは…………


 ******


 ここ一週間、俺は学校が終了するとすぐバイト先に向かった。もう遅刻するのも嫌だったしな、それに。


 宝多島中央ステーションに到着。駅のベンチ、杖を手にした「御老人」が座っていた。

「いつも済まぬな」

「別に、後でキッチリ請求しますから」

 御老人は立ち立ち上がろうとするが、よろける。

「危ない!」


 俺は御老人を支えた、そのまま支えながら二人で豊玉神社線のホームへと向かう。

 路面電車到着。俺と老人は二人で路面電車に乗り込んだ。

「危険ですから、足下気をつけて下さいよ」

「年はとりたくないのぉ」


 かなりの高齢老人だった、足腰もかなり弱っている。本当は出歩くことも難しいのだろう。それでも老人は路面電車を乗り継ぎ終点、「豊玉神社前」まで向かわなければならない理由があった。


 豊玉神社線は宝多島内を流れる小さな川「谷川」沿いを走る路面電車。まるで山岳電車のような急勾配、深い谷をまたぐ鉄橋や花々咲き乱れる草原、森の中を走っている。主な観光地に繋がっていない路線の為か、乗客の殆どが地元民、他には「陽明館学園」の児童生徒達だけだった。

 終点、「豊玉神社前」に到着。


「済まぬなぁ」

 御老人はまた深々と頭を下げた。悪党である俺に頭を下げるな。

「何度も言ったでしょ、俺は悪人だって」

「そうかね? 君はいい人じゃとおもうんじゃがね」

「ふう…………いですか? 悪人、犯罪者というのは最初いい人そうにターゲットに近付いて最後に人を欺す。ごく初歩的な詐欺の手口ですよ。御老人、このままだと「何とか詐欺」に引っかかりますよ」

「そうじゃのう、もう引っかかっておるのかものぉ」


 御老人はとぼけた。頭の方はかなりしっかりしている。何とか詐欺には引っかからないだろう。


 豊玉神社前駅、ホーム脇のベンチに御老人を座らせ、俺は悪態をつきつつ約二百メートル先の階段へ向かった。


 豊玉神社前駅は駅舎すら無い小さな駅。山の中腹、眼下には宝多島の町並み。今日は快晴、湾を隔て俺が住む平浜地区が一望できる。更に湾内全て、鬼隠半島や羽衣海岸。

「風景は最高だ……こりゃ絵画だわ」

 豊玉神社駅前から眺める風景は絶景だった。一人呟きながら目的地へ向かう。



 山の中腹にある百年以上前に建てられた由緒ある校舎、「明陽館学園」、その偏差値は我が一高をも超える。某県、いや某地方、首都圏の超一流私立学校にも負けない日本屈指の有名私立学園である。


 この山間の校舎は陽明館学園のルーツ、海神藩藩校時代の名残。周囲全てが田んぼや畑、まるで江戸時代にタイムスリップしてしまったかの様、ファンタジー世界みたいな風景。里山に囲まれた木造校舎、当然重要文化財。そんなド田舎に陽明館学園の幼稚園児から中学生までの子供達が通学していた。


 御老人は陽明館学園幼稚部に通う、なんと曾孫!? を迎えに来ていたのだ。足がかなり悪く、歩くのにも苦労している老人が、である。


 スーパーエリート達が通う学園に足を踏み入れる。御老人から預かっているセキュリティーパスポートをガードマンにチラ見せ、学園内へ。

「セキュリティー対策がアニメ作品並みにガバガバだな。俺が殺人者だったらどう対応するつもりなんだ」


 一流学園のセキュリティー体制に疑問を呈しつつ幼児部校舎に向かった。

 幼児部の園児達、はしゃぎ回っている。まぁーーっ、全員とても賢そう。当然だよな、スーパーエリートお子様達だもんな。


 そんな中、一人ぼっち、大人しく座っている女の子、年長さん、三つ編みに大きな眼鏡。俺が迎えに来た女の子だ。


 何時も一人ぼっちで椅子に座り、外国語の絵本かタブレット端末を見つめている。お友達と話しているのを見たことがない。そして何時も無表情。

「『愛衣うい』ちゃんってあまりお友達と話さないんですね」


 俺は保母に質問した。若い保母さんが答える。

「そうですね~基本的にあまり人とは関わらない、一人を好む女の子ですからね。天才児だからかしら?」


 眼鏡三つ編み幼女『愛衣ちゃん』五歳児。IQ150超え、いわゆる天才児ギフテッドとの話しだった。

「だから何時も一人で……」

「そんな天才児だって、友達は欲しいはずですよ」

 そうだ。友人は欲しいだろう、根拠は無いけどそう確信する。俺は何時も一人ぼっちの幼女「愛衣」ちゃんに声をかけた。


「「愛衣ちゃん」、迎えに来たよ」

 俺が声をかけると、愛衣ちゃんは本を閉じてから立ち上がり、ゆっくり俺の所に向かってくる。

「帰ろうか、御老人がまってる」


 小さく頷く愛衣ちゃん、常に無表情かつ言葉も少ない。それでも差し出した俺の手をちゃんと握り返してくれる。


 二人で歩き始める。バイト前、見ず知らずの幼子を迎えに行く。これが俺の日課となっていた。


 ******


 今日はたまたま学校とバイトが休みだった。まだ真冬、外はメチャ寒い。それでも家には居たくない。


 平浜地区、漁師町と平浜中心部との間、「西かわち地区」。世界遺産である平浜地区中心部の域外。比較的新しい街だ。東側の「館地区」とならび、一般的な住宅街。俺の家はいたって平凡……でもないか。世間から見ればまぁまぁ立派な一軒家、一応車も高級外車、文月家はそれなりに裕福。


 俺は、早めに家を出て図書館に向かう予定だ。

「出かけるのか?」

「ああ」


 リビング、父は大型テレビ画面に向かったまま、俺に声をかけた。

「……」

「行ってきます」

「……」


 父はそのままテレビ画面を見つめている。俺は玄関に向かった。 

「寒みぃな……」

 海神市は太平洋側に面している、だが地形の影響なのだろうか? 他の地域と異なり太平洋側だけどそれなりの降雪量がある、今日も雪が降り積もっていた。それでも我が家の方がずっと冷たい空気が流れていた。


 館地区にある海神市立図書館(通称旧図書館)。バイトの無い休日が俺にとって最も貴重な勉強時間。金が勿体ない、菓子パン二個で空腹を凌ぎ、夕方近くまで粘る。外はまだ雪。歴史と伝統を誇る世界遺産、海神市旧市街地区を真っ白に染め上げていた。

「さて……」


 俺は路面電車を乗り継ぎ宝多島へ、宝多島中央ステーションへ向かった。

「私服、わざわざ休みの日まで……」


 御老人は恐縮していた。

「良いですよ、図書館に行ったついでですから」

 特に用事が無いからとは言いたくねーしな。

「今日は滑ります、御老人はここで待っていて下さい、愛衣ちゃんは俺が迎えに行きますから」


 雪の為地面は濡れ滑る、杖をついた老人を歩かせるわけにはいかなかった。暖房の効いた待合室に御老人を待たせ、俺は愛衣ちゃん迎えに行った。


 少し遅くなってしまったかな、降雪のせいで路面電車が遅れた、愛衣ちゃんを待たせてしまった。



 何と愛衣ちゃんはお外、一人ブランコを揺らしていた。

 俺が近付く前に、愛衣ちゃんは俺の方に振り向く、他の幼児達と比べ愛衣ちゃんの感覚は格段に鋭い。

「愛衣ちゃん、寒くないのか? まるで雪だるまじゃないか」

 雪まみれになっている愛衣ちゃん、俺は急いで服に付いている雪を手で払った。

「ぜんぜん、寒くない」


 相変わらず無表情、声は極めて小さい、まんまる眼鏡が曇っている。真冬、愛衣ちゃんの息が白く吐き出される。

「おむかえ?」

「ああそうだよ。愛衣ちゃん、帰ろうか」

 頷く愛衣ちゃん、小さな手を差し出す。

「では、プリンセス」


 俺は差し出された愛衣ちゃん手を握った。小さな手が冷たい、温めなきゃ。そんな気になってしまった。


 二人並んで歩き始める。何故だろう? 自然と笑顔になっている気がする。ほぼ見知らぬ子なのに、幼子と一緒に居ると何故か暖かい気持ちになる。時間が惜しいなんてこれっぽっちも思わない。これが「父性愛」という感覚なのだろうか?

「おじさん、ういと一緒に居るのうれしい?」

「う……さぁ。どうだろうなぁハハッ」


 俺誤魔化し笑い。天才児は本当に鋭い。鋭すぎるな。

 雪の宝多島、俺と愛衣ちゃんの側を初等部や中等部の子供達が元気に走り回り、追い抜いていく。路面電車に乗車するため。


 しかし幼児部、幼い学園生が路面電車で帰宅するのは希だ、殆ど親か使用人が車(超高級車)で迎えに来ている。田舎の山道にずらりと並ぶベンツやBMW……ロールスロイス、メーカーすら知らねえ超高級車が路上にずらりと並んでいる。


 日本屈指の有名私立学園、学費はチョーお高い、大抵の親は上級国民ハイエンド様達だ。

「ふむ、愛衣ちゃん達はブリタニア人で俺達はイレブンって所か……フッ」

「ブリ……タニア? 英国?」

「ああ、ごめんごめん。独り言」


 また笑って誤魔化す。

 豊玉神社駅、ほどなく路面電車が到着。学園生達は良い子ばかり、幼児優先、愛衣ちゃんは席を譲って貰う。


 豊玉神社線はとても短い、終点まで三十分かからない。

 俺は高校生、愛衣ちゃんの真ん前、吊革に掴まる。愛衣ちゃんは鞄から少々ぶ厚い絵本を取り出した。外国製だろうか、日本語の絵本ではなかった。

「愛衣ちゃんは外国語のご本、読めるの」

「うん」


 愛衣ちゃんは小さく頷く。

「おじさん、このごほんよめないの?」

「え? 英語は少々……それに俺はお兄さんでしょ!」

「先生には「ムリ」っていわれた」

 外国語の本を読んで欲しい幼稚園児か。

「フッ、保母さんも大変……でも英語位は読め……これはドイツ語の本!?」

「うん」


 愛衣ちゃんはまだ五歳児だけど絵本程度の内容なら、複数言語の読み書きが出来るらしい、凄すぎるぞ天才児。

「こうして幼い頃から格差はどんどんと開いて行くん訳だな、ふぅ」


 優秀な幼児達が通う、幼稚園でも愛衣ちゃんみたいな超天才だと…………いいや、才能は時に人を孤独にしてしまうのだろうか? ……異端児……暫く考え事。


 愛衣ちゃんはそのまま絵本を夢中になって読んでいる。まんまる眼鏡、地味な三つ編み、無表情、何を考えているか全く分からない、とても不思議な子だ。難しい絵本を読みながら俺に話しかけてきた。

「おじさん……おじさん?」

「お兄さん! 俺はカッコいいお兄さん、ねっ♡」


 俺はである事を強調する。 

「絵本、面白いかい?」

「……うん」

「おじさんは何故ういを迎えに来てくれるの?」


 無表情のままじっと俺を見つめる小さなお姫様プリンセス

「そうだな、成り行きかなぁ?」

「偶然?」


 愛衣ちゃんはとても鋭い。だからよく考えて答えなきゃな。

「よろけて倒れそうになった御老人を抱き起こして、そのままずるずると……で、今ココ、ブランコに乗ったプリンセスを迎えに行く、絵本みたい、チョットした物語だ。良いことをしたからかな? 俺はこんな素敵なお姫様に出逢えたんだから」


 俺は笑った。本当は……本当はただの暇つぶしなんかも知れない。学校、家、バイト、時々図書館。俺の生活はずっとそんな感じだった、親しい友人はいない、必要ない。

「おじさん。ういって「うんめい」の人?」

「うんめ……どうだろうなぁ。俺は危ねえ誘拐犯かもしれないからなぁ。身代金を要求するこわ~いお兄さんかも知れないぜ」

「しらないおじさんに付いて行くういって悪い子?」

「そうだな、知らないオジサンについていってはいけねーな。悪い子だ。だけど俺はおにーさんだからセーフ、ねっ」


 ウインク、冗談で返す。でも愛衣ちゃん無表情のまま、ひんやりとした空気。

「おじさん怖くない、悪くない、おかしな人」


 愛衣ちゃんは大きな絵本を読んだまま、顔が隠れている。

「たっ、確かに怖くは無いけど変な人じゃねえよ。それにお兄さんだまだ高二」

「背の高い人、みんなおじさん」

「……はぁ?」


 幼女基準らしい、納得しかねるけどね。

「今度ういに、ご本読んで」

「ああ良いぜ。でも、とりあえず日本語か英語で頼むぜ、それ以外は事前予約でお願いさせてくれ。凡人には翻訳の準備が必要なのでね」


 小さなお姫様、天才児愛衣ちゃん、幼稚園児との会話。もしかしたら……いや、間違い無く俺はこの一時を楽しんでいる。

「そうだ愛衣ちゃん、俺とお友達になろうか」

「イヤ」


 速攻拒否。女児の気持ちわからん。幼児の気持ち不明。俺はモテない、事実。

「そ、そう……」


 何か落ち込む。

「ところで愛衣ちゃん、お友達はいるのかい?」

「いる、たくさん」

「そう……か」

 チェ……愛衣ちゃんのお友達に嫉妬。大人げねーな、俺。



 路面電車が宝多島中央ステーションに到着する、待合室で御老人が待っていた。深々と頭を下げる。

「ありがとう、本当にありがとう」

「別にかまいませんよ、それじゃあ愛衣ちゃん、また明日ね」


 愛衣ちゃんを御老人に託し、俺は帰ろうとしたが。

「そうだ君、夕食を食べて行かないか、せめてものお礼じゃ」

「べ、別にマジ請求するつもりは……あれは冗談ですよ」

「それでは儂の気持ちが収まらん。それとももう夕食は用意……」

「それは無いですけど……」


 俺に家に夕食は用意されていない。しかも、かなり腹が減っていた。

「ならばじゃ、ならば」

 御老人は半ば強引に俺をファミレスへ連れて行った。しゃーない素直に受けよう。で、よりによって俺のバイト先「フォーエバーラブ宝多島店」かよ。

「ファミレスで済まぬが……待ち合わせを兼ねておってな」

「そうですか」


 俺は御老人と愛衣ちゃんの三人での夕食となった。さすが俺の同僚達、サービスは完璧、程なく料理が運ばれてくる。

「愛衣ちゃん、美味しいかい」

「……うん」


 愛衣ちゃんは小食、お子様向けセットをゆっくりゆっくり食する。超一流学園の出身者、とてもお行儀が良い。泣きわめき、汚ねえ食べ方をする周囲の餓鬼共とは一線を画していた。ん? 御老人もテーブルマナーを含め全てが完璧、もしかしたら上流ハイエンドなのか? 


 テーブルを囲んで人と食事をする。久しぶりだ。

「よう、休みの日まで職場に来るなんてそんなに女子制服が恋しいのか?」


 ニヤけ顔のウエイター、別な高校だが良く同じシフトに入るバイト仲間だ。

「フッ、うるせえ。料理だってうめえだろう、シーフード&ハンバーグセットは我等海神市民のソウルフードじゃねーか」


 今日シフトだった同僚から話しかけられた。

「おじさん、この店で働いているの?」


 愛衣ちゃんの質問。

「まぁね、お兄さん勤労学生」

「びんぼう?」

「貧乏じゃないけど……東京の大学に行く予定だから、その間に稼いでおかないと」

「そう」


 愛衣ちゃんはそのまま、黙々と食事を続けた。

 俺は愛衣ちゃんと御老人を見つめた。

「良いな……」

「ん? どうしたんじゃ?」

「いえ、何も」


 テーブルを囲んで家族で食事。俺の家ではもうあり得ない光景だった。

「ただ家族って良いなって思って」


 愛衣ちゃんが俺に質問する。

「おじさん、家族いないの?」

「いるよ、父、母、俺。三人家族だ……でも…………」

 俺はそのまま沈黙した。言いたくなかった。俺の両親はもうダメ……

「……おじさん? おじさん?」


 愛衣ちゃんは無表情のまま俺を見つめる。本当に賢い子だった。

「おじさん、泣きたいの? 悲しい?」

 俺は幼女の前でそんな情けない顔をしていたのか? カッコ悪いな。

「フッ、泣かねーよ。俺は悪党、悪は絶対泣いちゃいけないんだ」


 俺は笑った。愛衣ちゃんは無表情のままじっと俺を見つめていた。


 ******


 俺は今日も愛衣ちゃんを迎えに行った。降り積もった雪は滑りやすく、もう足の悪い御老人は駅まで歩くことすら難しくなり始めていた。


 ほぼ毎日、俺一人で愛衣ちゃんを迎えに行く。今日も雪が降り続いていた。

「やはり平地とは違うな」


 標高数百メートル、平地より積雪が多い。降り積もる雪に俺の足跡。

「愛衣ちゃん、迎えに来たよ」

「うん」


 いつも通り、黙って手を差し出す愛衣ちゃん。手を繋ぐ。

 駅へ向かいながら。

「今日幼稚園ではどんな事して遊んだの?」

「お友達とお勉強、愛衣が教えてあげたの」

「そうか、偉いね。愛衣ちゃん勉強できるもんね」

「うん、それからネットの友達とタブレット使ってお話した」


 愛衣ちゃんはSNSも使いこなしている。交友関係は意外と広い。でも幼稚園児だからSNSには制限がかかっているはずなんだけどな……

「そ、そうか。どんなお友達」

「お洒落、とっても可愛い人。「天才協会メンサ」で知り合ったの」

「ふーん」


 愛衣ちゃん交友関係は意外と広い。ちなみに「メンサ」とは人口上位2%の知能指数を有する人が交流する非営利団体である。まぁリアル能力者と言ったところだ。


 豊玉神社前駅、ベンチに座り路面電車を待つ。

「おじさん、ご本読んで」

「ああ。約束だもんな、路面電車の中でね」


 愛衣ちゃんから手渡される。

「お、電車が来たね」


 路面電車に乗り込み二人並んで長椅子に座る。

「どれどれ、どんな絵本なのかな」

 今回の絵本は英語の絵本。

「これは……こんな絵本があるんだな」



 これは「月の兎」や「捨身月兎」と言われる。物語だった。


 猿、狐、兎の三匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。

 三匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。


 しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。


 その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。




 俺は絵本を読み聞かせた。読み終わった時路面電車は宝多島中央ステーションに到着し、駅のホームで御老人が待っていた。

「着いたよ、愛衣ちゃん」

「うん」


 愛衣ちゃんと一緒にお面電車を降りる。

「バイバイ」

 手を振って愛衣ちゃんと別れる。

「…………」


 愛衣ちゃんを見送る。

 あの絵本は他の絵本と違い、何度も読まれていた形跡があった。愛衣ちゃんが好きな本なのだろうか? 絵柄が気に入っていたのだろうか? それとも内容が……

「愛衣ちゃんは物語ストーリーから何を感じていたのだろうか?」

 天才五歳児の敏感すぎる感受性を考えてしまう。

「今度はもっともっと……結末がハッピーエンドになる絵本を読んであげたいな」


 俺はそんなことを呟きながらバイト先へ向かった。


 ******


 数日後、真理亜さんと同じシフトでバイト開始。約二週間、仕事上真理亜さんと話す機会も多くなって来た。

「四席様、オーダーまだです」

「了解」

「五番料理出来ましたーっ」

「はーい」


 テキパキと働いている真理亜さん。相変わらずお美しい。ゆるふわ年上天使様と一緒に仕事をしている、至福の時間だ。


 俺の脳内恋愛で真理亜さんは世界の命運を握る能力を持つヒロインだったり、異世界転生の女神様だったり……ありとあらゆるシチュエーションで俺のヒロイン役を演じてくれた。そうだよ、どんな立場でも天使様は素敵だ♡

「大丈夫ですか?」

「すみません」

「いいえ、かまいません。すぐ代りを用意致しますね」

「うん、お姉ちゃんありがとう」

 料理をこぼしてしまい泣いている小さな子供の面倒を見てくれる真理亜さん。まさにゆるふわ年上天使様。



 だが天使様バイトが終了すれば、脱獄者のように一瞬で消え去る。一度、必死マジでリムジン車を探したけれど見つけられなかった。

「今日もあっという間に消え去った。確か「特売日」とか言ってたような気が……」


 バイトが終了すると疲れがどっと溢れ出る。バイト代が良くなければとっくの昔に辞めていたと思う。


 今日も一日……ん? L●NE着信を知らせる通知。え? 國杜……天使様からのメッセージ!?

「来たぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」

 真理亜さんからのメッセージ。いつの間にか俺のアカウントが既読となり、メッセージが届いていたのだ。

『土曜日、お会いできますか?』


 で、出来る、出来るに決まっているじゃありませんか!

『出来ます、出来ます』

『それでは『波止場の前駅』、時間は「告白の刻」でお待ちしています。お話はその時』

『は、はいはいはーい』


 俺は速攻返信した。路面電車、平浜地区の路線の一つ「漁師町線」の終点、波止場の前駅、海神市最大の恋愛・デートスポットの一つ。しかも「告白の刻」だと? 告白の刻、カップル成立のスーパーイベントじゃねーか。


 待て待て、俺だまされてるか? 確かに真理亜さんのアカウント、間違い無い、乗っ取り? だが俺を欺く理由はあるの…………惚れられていたのか!? 美しいゆるふわ年上天使様に。


 土曜日は明後日、その日俺はバイトだけど、真理亜さんはお休み。俺のバイト時間はギリギリ「告白の刻」に間に合うはずだ。


 バイト終わり、自宅への帰り道。雪。俺は古いミュージカル映画の一シーンみたいに踊りながら帰宅した。途中雪で滑って派手に転倒した。



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