第2話
「あっ目を開けました」
虚ろに天井を見上げると、三歳くらいの童子が十三人、蝶子を囲み覗き込んでいた。慌てて上体を起こすと目眩がした。
(ここは?)
見慣れない部屋。広い和室に布団が二組。いつの間に着替えさせられたのか襦袢姿にされ、ぎょっとした。
(私の栞はどこ)
キョロキョロすると白無垢が壁に掛けられていて、帯の中の栞はその下に置かれていて、ほっとする。
「怖くないよ」
蝶子が怯えていると思ったのか、ある童子が声を掛けてきた。おもむろに、懐から懐紙に包まれた金平糖を出し、その中から一粒を摘まむと蝶子に手渡した。それを見た十三人の童子たちが
「僕も」
「私も」
と蝶子の手に一粒の金平糖を差し出すと、手の中は山盛りになる。思わず、ぷっと笑ってしまった。
童子たちはにこりとして畳の上を飛び跳ねた。
(可愛い)
しかし、もうここは村では無いのだ。
「にーに。ねーね。誰が勝手に蝶子と会っていいと言った」
襖の向こうから、蛇神様の声がして蝶子は身を固める。童子たちは、あちこちと走り回り、襖が開くなり、ポンと音を立てて消え失せた。
「ちっ。逃げたか」
人間姿の蛇神が部屋に入って来た。
(怖い)
鼬妖怪の末路を思い出し、いまさら恐怖が這い上る。
蛇神は蝶子を一瞥する。咄嗟に蝶子は目を落とす。
「んっ」
と頭上から声が降ってくる。目の前には蛇神様の大きな手があり、手には懐紙があった。
目をぱちくりさせていると蛇神様はそっぽを向いた。
怖々と蝶子は受け取り、金平糖をくるむと寝床の隅に置いた。
意を決して正座をする。
「蛇神様。私は贄です。雨を降らせていただけませんか」
深々と拝礼する。
(私の使命は、蛇神様に身を捧げて喰われること)
ところが。
「よせ」
蛇神は蝶子の肩を掴み、顔を上げさせた。
「村の奴にそう言えと仕込まれたか」
なぜか冷酷な目で問われ、蝶子は竦みあがる。蛇神は手を緩め蝶子の肩から手を離した。
「贄などではない。嫁だ」
「ですが」
「お前は贄でもいいのか」
「……はい」
蝶子は顔を伏せる。ハラリと長い髪が滑り顔の半分を覆った。
(だって、もうどうでもいい)
「何故、諦めている」
何故?
きっと、両親が病死してからだろう。
両親は穏やかな人柄だった。蝶子を慈しみ困った人には手を差しだすような人だった。
ある日、親族に騙され、財産をすべて奪われてしまった。
恨んではいけない。両親はそれでも蝶子にそう言い聞かせた。
ある冬。寒さから流行病を拗らせてしまい、両親は呆気なく亡くなった。親族は蝶子を引き取り、売った。それでも両親の教え通り人を恨むことはしなかった。
ところが、小雨の降る夜、死んだはずの両親が怨霊となって蝶子の前に現れた。目を疑いたかった。両親は世を罵倒り、
何故?
両親は寂しかろうと不気味に笑い、蝶子までも地面に押し倒し、首を絞めた。冷たい雨が蝶子の心まで突き刺す。
どんなに尽くしても、報われない。
頬に流れるのは自分の温かな涙だけだった。
──あれから蝶子はすべてを諦めた。村に売られようが、真冬の藁小屋に放り込まれようが、打たれ怪我をしようが、諦めた。
両親のようにはなりたくない。
あのときは奇跡的に雷が両親に落ちて助かった。
そこまで思い出した蝶子は、険しい表情を浮かべている蛇神様を見上げた。
「お前には呪いが掛かっている」
(呪い?)
蝶子は首を傾げる。
「私など、居ても居なくても変わりません」
煩わしいとでも思ったのか蛇神様は眉を
「そう言われ続けたか。言葉の呪いが掛かっている」
意味を考えていると、白い手が伸びて来て、蝶子は咄嗟に目を瞑り身を縮込ませた。ところが待ても、殴られることは無かった。
蝶子は目を開く。蛇神様が蝶子の前髪にそっと触れた。髪を掻き分け、瞳がかち合い。蛇神の紅い唇が近づいてきて──ちゅっと額に冷たくて柔らかな感触が掠めると、微弱の爽やかな甘い香がして、離れていった。
「俺の名は、
雪は立ち上がる。蝶子は呆然とした。
いま、何が起きたのだろうか。
雪の後頭部が目に入る。壁に立てかけられた白無垢の下を見ているようだった。
「あれは何だ」
「栞です」
「見ればわかる」
「私の唯一の宝物です」
「……白牡丹の花びらの栞か」
「はい」
蝶子が自分で作った
「そうか」
呟くと雪は着物を
(何がしたかったんだろう)
蝶子はへなへなと布団にうつ伏せで倒れた。
その夜は、頭が弾けそうで、なかなか寝付くことが出来なかった。
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