国色天香の華【こくしょくてんこうのはな】〜蛇神様の花嫁〜 

甘月鈴音

第1話

 茜色に染まる夕日が山際を照らしていた。


 ぼろい着衣の男たちが、輿を汗水垂らしながら担いでいる。山道を登る姿は蟻の行進を浮かばせた。


 白無垢姿しろむくすがたを身にまとった日野蝶子ひのちょうこは薄ら笑う。


(好きな感情が無くても花嫁になれるのね)


 すがるように帯に隠し持っているしおりを握り締める。


 もう生きて帰ることはないだろう。


「なぁ、蝶子を嫁がせるのは止めないか」

 包帯で隻眼せきがんを隠し、鼻ぺちゃで出っ歯の啓太けいたが、輿の前で両手を広げた。


「いまどき、山神ににえを捧げるなんて馬鹿げている」

「黙れ、雨が降らないんだ仕方がなかろう」


 渋面の面持ちで村長は声を荒げ、男たちは決まり悪げに蝶子の顔をらす。


 身寄りの無い蝶子には文句など言えるはずも無い。辺境の土地に身を置いたことが運の尽きなのかもしれない。


 そろそろ雨が降らなくなって二月にかげつになる。作物はとうに枯れてしまった。


 古くから村では十六歳未満の子供を山神に捧げていた。八十年はおこなっていなかったが貧しさから村人たちは蝶子を贄にすることにした。


「奉公人なら他にもいるだろう、なんで」

「仕方なかろう、神が指名したんだ。蝶子は顔だけはいい。そう言うことだろう」


 蝶子は虚ろに顔をそむく──その時。

「なんだ、あれは」


 男が木々の間を指さすと動揺が広がった。蝶子は無関心ながらも目を向けようとした。


 ところが、輿がガタンと大きく揺れ、村人たちは来た道を下って行く。


「捨てよう」

 担ぎ手の言葉が耳に入ると、蝶子の乗る輿が地面に捨てられた。


 蝶子は勢いよく輿から飛び出し地面に叩き付けられた。蹌踉よろめきながらも頭を振る。


 大きな陰が蝶子の体をすっぽりおおっていた。

 目に映るのは、大岩ほどの人食いいたちが爪を高く上げていた。


「蝶子」

 逃げなかったのか啓太は駆け寄ると蝶子の手を取った。


「一緒に逃げよう」

 蝶子は頷き起き上がる。が、突如、どこからか真っ白な綺麗な手が蝶子の腰をとらえ引き寄せられた。


 驚いていると、固い誰かの胸に、とんっと背が当たる。顔を仰ぐと、仏頂面をした長い銀髪をなびかせた、眉目秀麗な男が立っていた。


(誰だろう)

「何者だ」


 啓太は顔を紅潮させ石ころを掴むと、投げる構えをしている。蝶子を抱く男は鼻で笑い、困惑する蝶子に構わず、ますます腰に力を入れて引き寄せた。


「これは俺の嫁だ。黙っていろ」

(嫁?)

 ならば、このかたが蛇神様なのだろうか。


「蝶子。少し我慢してなさい」

 蛇神の言葉に、何を、と蝶子はぽかんっとしてしまった。


 すると、蛇神の体が銀色に淡光しだした。歯はぐぐっと犬歯が生え、体が縄の様にうねり伸び、胴体は蜷局とぐろを巻く。蝶子を尾っぽの先で緩く体を縛り上げられ、身を強ばらせた。


 大木ほどの白蛇。鼬妖怪よりも巨大。長い舌をチロチロと出していた。


 鼬妖怪はひるむように毛を逆立てていたが、咆吼をあげ白蛇に襲い掛かって行った。白蛇は蝶子を一切離さず、上体だけを左右に蛇行させ鼬妖怪に鋭い牙をブツリと突き立てた。毒液が地に滴り落ち、じゅうじゅうと音を立てる。鼬は痙攣けいれんする。そのまま悪臭を漂わせながら絶命し溶けて煙になる。その場は跡形も無く消え失せた。


 蝶子の喉を伝って冷や汗が流れ落ちた。

「化け物が」

 啓太は呟いた。


(殺される)

 蝶子は恐怖と緊張からプツリと糸が切れたように意識を失った。 

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