第18話 事務局長、頑張る!

そのまま、本当にグリシャム・バッハは、立ち去った。

もう、ランゼには、なんの興味もないといったふうに。


ランゼ自身は、グリシャム・バッハとは、面識はあった。魔道院は、単なる名門校ではなく、人間が魔法を研鑽するにあたっては、最高峰の研究機関であり、彼女は若くしてそこの事務局長だったのだ。

しかし、ここまで、傲岸不遜な人物だとは思っていなかった。


抗議のため、呼び止めようとした彼女の手首を、ポルスと呼ばれた拳士が掴んだ。


軽い音だった。


枯れ木が、折れる音だった。

呆然と、ランゼは自分の手をみつめた。

手首から先が、あらぬ方向をむいている。


激痛が、行動を鈍らせる前に、ランゼは痛覚を遮断した。

もう片方の二の腕を掴もうとしたポルスの腹に、膝を打ち込んだのだ。


顔を顰めて、一歩後退したボルスの顎を、ランゼの周り蹴りが捉えた。


「先に行っている。」

構わず、歩きながら、振り返りもせずに、グリシャム・バッハは言った。

「あまり遅くなるな。」


「御意。」

ボルスは、短く答えた。


ランゼにむかって、腕を伸ばす。その腕を掻い潜りながら、身を沈めたランゼは、飛び上がる勢いを利用して、膝を顎に、ヒットさせた。


ボルスの顔が大きく仰け反る。

がら空きになったその胴体に、ランゼの拳が膝が、肘が、突き刺さった。


構わず、ボルスは手を伸ばした。

ゴツイ、そしてつい今しがたランゼの手首を無造作に骨折させた指が、大きく開いて、ランゼの肩を掴む。


「ハッ!!」


ランゼの身体が、コマのように回転した。

ボルスの身体が合わせてぐるりと、一回転し、地面に叩きつけられる。


周りを行き交う人々が、ここで闘争が行われていることに、気づいたのはこのときだ。


達人同士の戦いらしく、互いに目立つ拳法の構えなどとらずに、まったくの自然体から闘いを初めていたのである。


ザワザワと、人々が遠巻きに、二人を見つめる。

何人かが、ウィルズミラーを取り出している。

この様子を記録か、あるいは、このまま配信しようとしているのかもしれない。


叩きつけられたボルスは、平然と体を起こした。


体についた土塊を払い落とす。

この男は。

ランゼの攻撃を、しかもそのうちのいくつかは、十分に虚をついた、重い一撃だったにも関わらず、まったく、効いていないのだ。

そもそも、ボルスは、攻撃をしていたのだろうか。

彼のやったことは、ランゼの手首を骨折させた。

それだけである。


ジオロは、遠巻きに取り囲む群衆の先頭にたっめいて、すっかり傍観者だった。

腕組みをしたまま、不快そうに、ランゼを睨んだ。

「なんで、徒手格闘の腕ばかり、上達している?」

「勤務時間以外になにを研鑽しようが、わたしの勝手でしょう?」

「いや、魔道院の事務局長が、だな。」

「魔道と武道の融合こそが、究極の力だと、判断したからです!」


ランゼは、上下揃いのスーツ姿だ。

タイトなシルエットが、似合いそうなスレンダーで、手足の長い体系なのに、あえて、あちこちに遊びをもたせて、スーツを仕立てているのは、本気でいつでも体を動かせるように、意識しているのだろう。


「わかっていると思うが。」

ジオロは、冷徹に言った。

「そのポルスとかいう半端者は、おまえを倒す気は無い。それどころか、闘う気すらない。

グリシャム・バッハが、命じた、俺たちの両手両足を折って、列車に放り込め、という命令を忠実に実行しているだけだ。」


ボルスは、のろのろと。一見、そう見える動作で、ジオロを見やった。


「…ハンパモノ? そう言ったか?」

「うむ。言った。」

からかうように、ジオロは、笑った。

「本来、研鑽によって得るべき力を、安直でしかも、稚拙な人体強化手術によって、カバーしているあたりは、はっきり言って、愚の骨頂だ。

おまえは、グリシャムの命令であえて、拳の勝負に持ち込まず、ランゼの体を破壊することに専念してみせたが、それはそれで、まあ、正解だな。

拳士としての勝負では、おまえはすでにボロ負けだ。

ランゼの方が技量もふくめて、あらゆる面でおまえよりもはるかの高みにいる。」


ボルス。

統一帝国中央軍の拳士は、ゆっくりと振り向いて、腰を落とした。

拳は片方を、顔面をガードしやすいように、顎の辺りにあげ、もう片方は腰だめ。


「ランゼの打撃は、充分“理”にかなったものだ。それがまったくダメージにならないとすると」


ボルスの姿は、息を飲んで見守る群衆からは、掻き消えたように見えただろう。

だが、突進した瞬間。

さらに踏み込んできたジウロが、ボルスを抱きとめていた。


「かわしたら、周りの人々にまで、危害がおよぶ。それを計算しての突進からの攻撃なんだろうが、そういうのは、俺は好かんな。」

本当に。

ジオロは、ボルスを抱きしめたままだった。


ボルスの顔が、怒りと困惑に歪む。

このタイミングで、動けるのなら、カウンターで、一撃を放つことも可能だったはずなのに、ジオロは、そうしなかった。


「あるいは、俺がおまえの動きに合わせて、打撃を打ち込むことも想定して居たのかもしれん。攻撃を。それも会心の一撃を繰り出したあとというのは、どうしても動きがとまる。そこを狙う、か。だが」


とんと、ジオロは、ボルスを突き放した。

よろよろと、よろけたボルスは、しかし、転倒はせずに再び、構えをとったが。

その顔が狼狽したように、歪んだ。


ジオロの手には、ちょうど、ウィルズミラーほどの大きさの楕円形の物体が握られていた。

それは、つい今しがたまで、ボルスの腰に装着されていたものだった。


「打撃に合わせて、瞬間的に身体に沿って、障壁を作り出す。竜鱗に似た性能をもつ防護壁だ。だが性能はたいしたことはない。」


「た、たいしたことないのですか?」

ランゼが叫んだ。

「わたしの攻撃では!まったくダメージを与えられなかったのに!」


「拳に魔力を乗せてみろ。竜鱗を突破するには、物理プラス魔力がもっとも有効なんだ。」


「そうなんですかっ!?」


「常識だろう? 古竜を屠ったと言われる伝説の魔剣は、みんな魔力の付与がかかってるだろうに。こんなことはドロシーなら、教えずとも実行していたぞ?」


「伝説の銀雷の魔女と一緒にしないでくださいっ!!」


ジオロは、にやりと笑って、ボルスを手招きした。


「さて、ここからは、再び、我ら魔道院の誇る事務局長が相手をしよう。言っとくが、事務局長だからな。負けたら末代までの恥と思え。、、」


「ジオロ。」

ランゼが泣きそうな声出言った。

「なんだ? これでおまえの打撃は充分通じるぞ? こいつの身体強化は、粗雑で低レベルだ。さっきの調子で、打撃を叩き込んでやれば、それでケリがつく。」


「手くびが、痛いですう。」

ランゼは、おられた手首を持ち上げた。


ため息をついて、ジオロは、ボルスと向き合った。

ボルスが、このジオロという、事務局長の側づきの若者の正体を知っていたとは、思えない。

だが、その表情はすでに、絶望に暗く染まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る