第5話 我が名は翡翠

いい歳の若いものが、昼間っから、麦酒を飲んだくれている。

はたからみたら、あまり格好のいいものではない。


どうもここは、学校らしかった。

ぼくが着せられたのとおなじデザインの魔道士のマントを着た若者が、何人か出入りするが、いずれも冷たい視線を向けられる。


ジウルは、「統合帝が」とか「後継者が」とか「三十年法が」とか、なんども説明を試みてくれたが、ぼくが、まったくわかってないのを知って、天井を仰いだ。


「どこから、どこまで、説明すればいい?」

「最初から説明して、終わったらやめろ。」

「……十代の若造にそんな口を叩かれて、手がでないとは、俺もずいぶんと人間ができたもんだよな……」


ジウルは、わし、いやぼくの名を呼ぼうとひて、口ごもった。


「そうだ。名前はなんにする?」

「名前?」

「おまえの名前だよ。せっかく生まれ変わったんだ。新しい人生を行きたいだろう?

正直、おまえの名前は、知られすぎているんだよ。別の名前を名乗った方がいい。」


確かに。

悪事ばかり、手を染めた人生をやり直す機会を与えられたのだ。

正直、望んだ転生では無いが、オマケに拾った生ならば、以前とは違う道を歩きたいものだ。


ぼくは、少し考えた。


「じゃあ、翡翠。」

「宝石の?」

「そうだ。ぼくのことはヒスイと呼んでくれ。謎めいていていいだろう。」


ジウルは、難しい顔をしたがとくに反対もしなかった。


「じゃあ、説明するぞ。」

彼は、ぼくと彼との間に、ついたてのように黒い石版を登場させた。何気に地味だが大した魔法だ。

目の前の男は、いまでこそ、不世出の拳士として知られてはいるが、その昔は、当代随一の魔導師として、知られた男でもある。

黒い石版に、見えない手が文字を刻んでいく。


「統合帝国」

と書いてあった。


「これはわかるな?」

「いや、その」

「そうか。ではまず、こっちの質問が先か。

惚け始めたのはいつ頃からだ?」


ぼくは、ムッとした。


「くたばるその瞬間まで、呆けてはおらん!!」

それから、自分のここ十年ばかりを振り返って、付け足した。少し声は小さくなった。

「なにもかもどうでもいいと思うようになってからは、十年、かな。」


「なにもかも、どうでもいい?」


「まあ、そうだな。

何を食いたいとか、今日がいつかとか、だんだんに関心が薄れてくる。なんとなく、ぼおとしているうちに一日がすぎ、ひと月が過ぎ、1年が終わる。」


「惚けているのと何が違う?」


「不安がない。苦痛もない。なにかしたい事があるのに、果たせずに苦痛の中で人生を終わるものが大半だろう。

わし…ぼくは楽な死に方をした。」


ジウルは、たくましい腕を組んだ。


「しかし、それは体と魂の老いがみせた幻だ。実際には、いまおまえは欲しいものがあるだろう?」


もちろん!


ぼくとジウルは、声をそろえて、叫んだ。


「お代わりっ!!」


ジウルは、悪い教師ではなかった。

そりゃあ、そうだろう。かの名門魔法学校(たぶんここ!)の校長を一世紀も勤めた賢人なのだ。


「統合帝国は、いまからざっと三十年まえにできた西域、中原にまたがる大国だ。

なぜ、『統合』と呼ぶかは、帝国が、当時世界を分断していた2つの勢力を統合したことにある。

どことどこだか、わかるひと。」


「はい。」

ぼくは手を挙げた。生徒はぼくしかいない。


「はい、ヒスイくん。」

「魔王バズス=リウの“黒の御方”と、フィオリナの“災厄の女神”です。」

「その通り。もともとは、愛し合った二人は、仲違いをし、その結果、二十年にわたる戦乱の時代が過ぎた。この時代を」

「“黒き災厄”時代です。」

「よろしい。それを終了させたのが、統一帝国となる。争いの中心だった魔王と戦女神は、姿を消した。

どうなったかは、諸説ある。

もっとも有力なものは、ともに魔王宮に籠った、というものだ。

さて、真実はどうなのだろうか。」


ジウルは試すように、ぼくを見た。

すまない、ジウル。

ぼくは彼らのその後について、まったくなにも知らないんだ。


ジウルは、がっかりしたように、ため息をつついた。


「おまえは本当に呆けていたのだな、ヒスイ。

では、統一帝国が覇権を確立した現代社会についても一から説明せねばならないのか?」

「そこまでではない。」

ぼくは、毅然と言い返した…つもりだったが、声は小さかった。

「とりあえず、戦乱のない時代がやってきた。

魔道列車は、北方から中原まで、西域の隅々伸びて、人的、文化的な交流は、かつてないほど盛んになった。」


「まあまあ、初頭の教科書程度程度だが、まあいいだろう。」

ジウル先生は怖い顔で言った。

「次に『三十年法』について話してみろ。」


「平和が確立されると、古竜や上位吸血鬼といった無限寿命者たちも、いままで以上に積極的に、人間社会と関わるようになった。」

ぼくは、すらすらと答えた。

「だが、個体としてあまりにも能力の格差のある彼らを人間社会に受け入れるのには、問題があった。

彼らは、必然的に、指導者の地位につき、そして老いて朽ち果てることのない彼らは、ずっとずっと、その地位に留まり続けるだろう。

人間の文化の発展のために、それは望ましくないと判断された。そこで、初代皇帝のもと発表されたのが、三十年法だ。

いかなる地位についているものも、そのものが同じ地位を占めることができるのは、上限を三十年とする。

これは、王家や諸侯貴族はもちろん、商会や工房といった小さな集団にも適用される。

王位についたものは、三十年以上その地位に留まることは許されない。

貴族もだ。

そして、退位後も院政のように、一歩退いた立場で権勢をふるうことも許されない。

これは、無限寿命者や過剰魔力により、長寿を得たものばかりでなく、すべての人間、すべての組織に適用される。

……ただし、対象のものが、老齢や病により、日々の生活に支障をきたすようなら、最小限の生活費を支給することは、可能とする。」


ぼくは、どうだ、という顔で、ジウルを見返したが、彼は、肩を竦めた。


「現実的にそんな法の運用が、可能だと思うか?」

「可能だろうな。古竜や吸血鬼は、三十年も同じ地位にいれば、それに飽きるだろう。

逆に、普通の人間で、いまさら、第二の人生など歩めないというほど、歳をとったものには、あまり、厳しく適用をしなくとも実害はない。

問題があるとすれば、ジウル、おまえのように過剰魔力によって、やたら長い寿命を得たものだ。」



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