第3話 神域
これで、死ぬ、か。実にいい。
なんども言うが、わしは悪党だ。
善悪のバランスから言えば、わしという存在が最初からなければ、その分、世界は平和で、安穏に暮らす人々は、もう何百人かは多くなっていたはずだ。
これで、わしという存在は、失われる。
わしは、無に帰るのだが、だが、ひょっとすると、わしのことは、超常者たちの記憶の中に残るかもしれない。
彼らはこれからも果てしないときを生きるだろうから、わしという小悪党が生きた記憶は、ずっと残る。
これも過ぎた幸運ではないか。
だが。
なんで、わしはここにいるのだ?
輪廻の渦に分解されたら、わしという個性は消滅するはずだ。
そこは、光に満ちた神殿でも、昏らき焔に包まれた地獄でもなく、見たところ、瀟洒な屋敷のベランダだった。
わしは、普通に座っていた。
風が吹き抜ける。
身につけているのは、伸縮のきいた布地のグレーの上下だった。
ただし、歳が違う。
わしは、死んだのは、90を越えていたはずだが手の甲の皮膚のハリから判断するに、おそらくは10代だ。
目の前には、丸テーブル。
カップの中身は単純にお茶だろう。
座る女性は、おそらくは40代だろう。
いい歳の重ね方をした女性だ。
よく節制された細身の体をしている。
笑った顔は、なんとなく少年を思わせた。
「ずいぶん、かわいい姿になったのね?」
ということは、この女性は、わしの知り合いなのだろうか。
「お主がわしを呼んだのか?
わしは死んだはずだぞ。」
「ああ、転生なんぞチンケな用事で、私が。
なんで、こんな、面倒なことをやらねばならないのだろう。」
わしは唐突に気がついた。
「あなたは、神なのか!?」
「ああ。この姿で会うのは初めてだったね。
私だって、そんな歳のあんたに会うのは初めてなんだ。」
「ち、ちょっと、待ってくれ。わしの……」
「そのガキの姿で、『わし』はないだろう。ぼくとか、俺とか言ってくれ。」
「鏡はあるか?」
要求に応じて、彼女はウィルズミラーを取り出して、ミラーモードにすると差し出した。
わしは、いや、ぼくはミラーをのぞきこんだ。
年齢は、15、いや16と言ったところだろうか。
「ここに招く時に、あなたが一番、望んだ年代の姿にしたの。まあ、悪くない。まるで魔王の子供の頃みたいよ。
もっともあっちは、狼だけど、あなたは狡猾な狐みたい。」
わし、いや、ぼくが気づいた。この平凡な主婦は。
「あ、あんた、か。」
「そうよ。」
「ここは、あんたの神界なのか?」
「そんな引きこもるための結界はつくりません。わたしは、ここで異世界ライフを絶賛満喫中なんです。」
「ここは、あんたの世界なのか?」
「ここは、ここよ。」
女は、カップを持ち上げて、お茶をひとくちすすった。
音をたてずに飲むのが礼儀だが、女はかまわずに、ずるずると、空気と一緒に濃い緑色の液体を飲み込んだ。
「わたしのもといた世界。わたしはここで殺された。だが、その過去は、やり直された。故に、16で死ぬはずだったわたしは、その後も平凡で、充実した人生を歩んでいる。」
「ここは、あなたの家なのか?」
「そうね。わたしの最初のウチはもう少し、都会にあったのけれど、こどもをそだてるには、少しゴミゴミし過ぎていたんでね。
ここに引っ越してきた。」
「ああ、そうなのか。お子さんはなん人だ?」
「上が中三で女。下が中一の男の子。
あのねえ、」
女は困ったように言った。
「わたしは、あんたを転生させるために呼んだんだ。、そっちについての質問はないのかな?」
「転生なんぞ中止して、ぼくを元いた世界に戻してくれないか?」
「バカをいえ。あんたは亡くなったんだぞ?
タマシイは、肉体なしではすぐに雲散霧消してしまう。」
「けっこうじゃないか。」
ぼくは言った。
「わし、いやぼくは十分に生きた。いや正直この十年ばかりの生は余分ではあったな。
なんで、ぼくを転生させようと思ったのかは、分からないが、よけいなことはやめてもらえないか?」
「なかなかに潔いね。」
女は好ましそうに、微笑んだ。
「しかし、いろいろと人手が足りないところもあってね。あんたの頭脳が必要とされてる場所もあるわけだ。」
「ぼくが必要!?」
くりかえすが、ぼくは悪党だ。それも歴史の薄暗がりの部分を走り回って、漁夫の利を得ただけの、エセ魔道士、小悪党だ。
「あなたがそう判断されるのか、ヴァル……」
「シッ! その名はいまだにこの世界には誕生していない神の名だ。軽々しく口にすることなかれ。
それとおまえの助力を希望したのは、わたしではない。」
「一体誰が……」
「おいおい、わかると思う。」
「で、どこに転生するんだ、ぼくは。そこで何をすればいい?」
「それもまた、自分の目で確かめろ。」
女は遠くを見た。つられて、ぼくもその方向を見やった。
山間に、夕日が沈むところだった。
「わしは、あの太陽みたいなもんだ。」
ぼくは言った。
「沈む太陽をまた登らせたいのか?」
「こいつはいい。」
女は笑った。ブラウスの肩口から、肩甲骨のラインが見えた。
ぼくは。久しぶりに女に対する欲望が湧いてくるのを感じた。
ぼくの昂りに気づいたのだろう。女はまた笑った。
「実にいい例えだ。おまえは沈む太陽。また明日になれば、なにごとも無かったかのように、東から顔を出す。」
女は立ち上がった。
それほど背は高くない。
だが、昔会った時の、いかにも俊敏そうな印象はいまもかわってはいなかった。
「なにか、その転生をはたすにあたって、特典はあるのか? 勇者並みのチートとか、とんでもない魔力とか。」
「うん」
女は、わりと本気の顔で言った。
「特別に、わたしに帰依しなくてもよいよ。」
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