欠片集
津麦ツグム
ハリネズミのハリー 第1話 再会
長い長い夢を僕は見ていた。
真っ暗で黴臭い箱の中で、まどろんでいる間に時間だけが過ぎて行っていることを僕は自覚しながらもただ記憶の中を揺蕩っていた。
陽の光を浴びた木の葉がきらきらと風に揺れて輝く。
地面に浮かんだまだら模様を見ながら、僕はミラーボールを思い出していた。
その真ん中で、僕は「あの子」と踊っていた。
「あの子」が僕の両手を握ってくるくる回りながら振り回しているだけ、とも言えるけれど少なくとも僕と「あの子」は踊っていたと主張するだろう。
頬を掠めていく5月の風が涼しくて、何が楽しいのかけらけらと笑う「あの子」の笑顔を見ているだけで僕は嬉しかった。
猛スピードで右から左へとぐるぐると飛んでいく青いジャングルジム、赤い雲梯、黄色いシーソー。
その真ん中には満面の笑みを浮かべた「あの子」がいた。
夜が来ると、「あの子」の隣で眠った。
すやすやと、親指を口に含んだまま眠る「あの子」の間抜け面を見ながら僕はまた自分がよだれまみれになりそうな未来を思って小さく嘆息した。
あんまりひどくなると、僕は「あの子」から引きはがされて洗われてしまう。
それでなくても「あの子」は親に怒られている時も、怒られた後も、僕をぎゅっと小さな手で握りしめて大きな瞳からぼろぼろ落ちる涙を僕の頭の上に遠慮なく振りかける。
塩分やらその他もろもろの成分で僕のふわふわの毛並みがガサガサになってしまうからやめてほしいところだけど、どうにも僕は「あの子」に甘い。
僕のふわふわがガサガサになるくらい、お安いものだ。
その後がっしゃがっしゃと洗われるというイベントさえなければ。
あの時の仲間たちはみんなどこかに行ってしまって、僕はもうずいぶん長い間ここにいる。
「あの子」のつやつやとして柔らかい頬の感覚。
あの時、僕の親友は「あの子」で、「あの子」の親友は僕だった。
言葉なんてなくてもなんでもわかった。
また、「あの子」に会えたら。
昔みたいに仲良くはしてもらえないかも知れないけれど。
昔みたいにお喋りはしてもらえないかも知れないけれど。
昔みたいにぎゅっと抱きしめてはもらえないかも知れないけれど。
それでもいい。
また、「あの子」に会えたら。
いいな、なんて、僕は思いながらまたうとうとしていた。
「あった!!これ!!絶対この箱だよ!」
外が騒がしい。
がたんごとんと騒々しい音がして、真っ暗だった箱に一筋の光が差し込んだ。
ゆっくりと黴臭い空気がその光に吸い込まれていって、コーヒーの匂いが流れ込んでくる。
相変わらずがたんごとんと箱が揺れて、僕は一緒に入っていた絵本の角に頭をぶつけた。とても痛い。
揺らしている誰かはご存知ないのかもしれないけれど、実は絵本の角は想定よりもだいぶ鋭利だ。頭にぶつかると悶絶したくなる。
がちゃがちゃとなんだかよくわからないが、ガラスのようなものがぶつかりあっているような不穏な音もする。
そうこうしているうちに、筋状だった光がどんどん大きく太くなり遂には視界を覆いつくした。長く暗闇にいたせいで突如真っ白になった視界に戸惑いが隠せない。
僕はその光の向こうを見つめた。
見つめた先に女の人がいた。
歳は、そうだ、一番僕が楽しかったあの時の「あの子」のお母さんと同じくらい。
でも僕の知っているお母さんの顔とは違う気がする。
逆光で顔が陰になってしまっているのもあり、正確な顔立ちがわからない。
「あったーーー!!お母さんあったよー!」
むんず、と女の人は僕の体を両手で掴んだ。
女の人の手の甲を僕の頭に直撃した絵本の角がひっかいて、薄く赤い筋を残す。
痛くないのか、気づいてもいないのか。
お構いなしにその女の人は僕を箱から取り出す。
そのせいで、某スポーツブランドみたいなひっかき傷が女の人の手の甲に。
ようやく普通の光の下で女の人の顔が見えた。
嬉しそうに眉尻を下げたその人。
綺麗に化粧したその人の顔は、やっぱりお母さんとは違う人のようだ。
ただ、右目の泣き黒子と笑った顔に見覚えがある。
しゅっとした輪郭で幼さがすっかりと抜けてはいたけれど、「あの子」だと僕の色んな感覚が叫んでいる。
随分と長い間、本当に長い間僕は箱の中にいたらしい。
ただ、ぎゅっと抱きしめる力は遠慮のなかった昔に比べればずいぶんと大人しい。
優しく遠慮がちな力加減と、化粧品や香水の匂いで、僕は少しだけ泣きたくなった。
欠片集 津麦ツグム @tsumugitsugumu
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