2章(伏線等興味なければここから推奨)
第11話
春──それは、出逢いと旅立ちの季節である。
薄雲を透かし柔らかに降り注ぐ陽光が、校門を飾る古びた鉄柱を淡く輝かせていた。その錆びた表面に薄紅の花びらが寄り添うようにひらりと舞い落ち、風が吹く度に幾つもの花片が空へと誘われてゆく。ざわめきに混じる桜の香りは冬の名残を洗い流し、春の訪れを祝福するかのように清々しく辺りを満たしていた。
広がる桜並木の下、木漏れ日に透ける影が校庭に揺れ、草木はその身を風に預けながら静かに春の調べを奏でていた。そんな麗らかな風景の中、一人の少女がゆっくりと歩を進めていた。
「なぁ……あんな美少女、うちにいたか?」
「いや、見たことない……転校生か?」
校門近くに集った生徒たちが、あからさまな好奇心を隠そうともせずざわめき合う。視線は吸い寄せられるように注がれ、一挙手一投足に釘付けとなっていた。
しかし、少女は何の反応を示すこともなく、まるで景色の一部と化したかのように悠然と歩みを進める。艶やかな黒髪は肩先で軽やかに揺れ、白磁のように滑らかな肌が陽の光を柔らかく受け止めている。藍色の瞳は湖面のように澄み渡り、冷たく人を寄せ付けぬ静謐さを湛え、触れることすら憚られる凛とした美しさが漂っていた。
「君、名前は?」
「………」
「どこから来たの?」
「………」
彼女に話しかける者は後を絶たなかったが、返答は一切なく、ただ黙々と校舎へ向かう。だが、その沈黙すらも彼女を包む謎めいた美しさを引き立て、“高嶺の花”と形容させるに十分だった。
「ね! ね! やっぱりあれって転校生だよね!?」
「だろうね。あんな可愛い子、見たことも聞いたこともないし」
「声かければよかったかも!」
彼女が校舎の扉の向こうへ消えると同時に、今まで息を止めていたかのような吐息が周囲から洩れる。それほどまでに彼女は圧倒的であり、見る者全てに鮮烈な印象を植え付けたのだ。
その時、遠くから軽快な足音が響いてきた。振り返ると、ひとりの男子生徒が息を切らしながら駆け込んでくる。額に浮かぶ汗が輝き、焦りを帯びたその表情には、切迫した何かが込められていた。
「はぁ……はぁ……すみません……この辺で黒髪ショートで蒼い瞳の女の子来ませんでしたか?」
「あぁ、その子ならさっき向こうに行きましたけど」
「情報ありがとう!」
短く礼を述べると、男子生徒は風を切るように再び駆け出していった。力強い足音が徐々に遠ざかり、その背中が見えなくなると、場の空気がざわつきを帯び始める。
「あいつ誰?あの子と知り合いなのか?」
「お前、ばっか!あの人は三年の主席、リヒト先輩だぞ!」
リヒトは息を整える間もなく、校舎の影を目指して走り続けた。すれ違う生徒が驚きの表情を見せる中、その視線すら気にする余裕もなくひた走る。そして角を曲がり、渡り廊下に差し掛かったところで、ようやく少女の姿を見つけたのだった。
「おい、アイ!何勝手に登校してるんだ!」
「リヒト、学校行っていいって行った」
「そうじゃない!一人で行くなって言ってんの!」
「なんで?」
きょとんと首を傾げ、不思議そうに問う。好奇心とも頑なな反発とも違う、純粋な疑問そのものだった。
アイが学校へ通うようになった理由。その答えは、数週間前に遡る──
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――無骨な鉄製の柱が規則的に並ぶ空間、地下修練場。天井から垂れる電灯の明かりが、かすかな振動とともに揺れている。明滅するその光は、訓練に集中する者たちの影を壁に刻んでいた。
ヒュン――!バン――!ガッ!
鋭い音が静寂を裂き、空気を震わせる。二人の戦士はどちらも汗に濡れた額が光り、浅くも重い呼吸がその肉体の限界を物語っていた。
アイは軽やかにステップを踏みながら、リヒトの攻撃を捌いていく。減量期を終えたばかりの彼女は、その小柄な体躯に反して驚異的な速度と力強さを備えていた。蒼い瞳が相手の動きを追い、まるで次の一手を予知しているかのようだ。
(アイ……想像以上に仕上がってきたな。)
心の中でそう呟きながら、彼はわずかに唇の端を持ち上げながら間合いを見極め、大きく踏み込む。渾身の回し蹴りを胴体目掛け振り抜き、その勢いに埃が舞う。
しかし――。
ふわっ――トン。
その一撃を、完璧な間合いで躱した。あたかも舞い落ちる花弁が地面に触れる寸前ふわりと風に巻き上げられたかのように、攻撃の波長を完全に読み切っていた。
リヒトは肩で荒い息をつき、焦燥を滲ませた息遣いが不穏なリズムを刻む。だがその鋭い眼差しには、未だ闘志の炎が揺らめいている。
「次で決める……!」
その勢いはまさに迅雷。足が地を叩いた刹那、身体を前へと弾き出し、蒼き瞳が拳を写す。
スッ――ギュルン――ゴッ。
だが、冷徹な瞳は、微塵の揺らぎも見せない。躱す動作を無駄なく回転へと転じ、すれ違いざまに肘をリヒトの腹部へ打ち込む。
「……ッ!」
予想外の方向から受けた衝撃により、リヒトは一瞬息が詰まり、膝を突いた。
「んっ……これで今週20対19。約束通り、お願い聞いてもらう」
アイは静かに近づき、目の前で腕を組んだ。唇の端にほんの僅かな笑みが浮かべ、勝利の余韻を楽しむように息を整えている。
「ついにか……案外早かったな。でも、約束は約束だ。何が望みなんだ?」
彼女は一瞬だけためらったように見えたがすぐに表情を引き締め、驚くほど静かな声で言った。
「魔法、使いたい」
「……は?」
その一言に、言葉を失った。意味を飲み込むのに数秒かかったほど、あまりにも予想外だった。
「いや、ちょっと待て……流石にそれは無理だ……」
「なんで?」
アイの問いは真剣そのもので、まるで挑むような瞳がリヒトを射抜いていた。
「いや、だってアイ……ゲーベンフォルクだし……」
「できる」
「できない」
「だって……」
そこまで言うと俯いて黙り込み、しばらく沈黙が続いた後、ポツリと呟いた。
「……じゃあ、学校行きたい」
「……学校?」
「ずっと……行きたかった。でも一生行けないの知ってる。だから……」
その言葉を聞いた彼は、複雑な表情を浮かべたあと、ゆっくりと口を開いた。
「……お前の気持ちは分かる。でもな、魔法が使えないお前が学校に行けば、すぐにバレる。事情を話しても刑罰は免れない。最悪、俺たちはもう二度と会えなくなるかもしれないんだぞ?」
「バレなきゃいい」
「だから、魔法使えることが大前提なんだって!その魔法が使えないから──」
言い切る前にアイはリヒトに人差し指を突きつけ、遮るように言い放った。
「魔法ならある」
あまりに突拍子もない一言にリヒトは一瞬思考停止したが、それが何を意味するのか理解するのに時間はかからなかった。
「いや……いやいやいや!冗談だろ……アイ、いつから気づいてた?」
「私と出会った日」
リヒトは顔を覆い、大きく息を吐いた。その溜息には諦念とも困惑ともつかない感情が滲んでいた。
「はぁ……マジか……まさか見られてたとはな……」
「このこと、エイルにばらす?それとも、このまま学校行って、離ればなれになる?」
「そんなずる賢い方法、誰に教わったんだ……って、俺か……」
「『強者と相対す時は弱点を突け』でしょ?」
アイは微かに口角を上げ、小悪魔のような微笑みを浮かべた。無邪気さと狡猾さを含んだその表情にリヒトは再び大きなため息をつくと、観念したように頷いた。
「分かったよ……その代わり、俺の言いつけは絶対遵守!常に俺の目の届く範囲にいて離れないこと!いいな!?」
「ん、約束する」
アイの返事は穏やかだったが、その瞳には妙な輝きがあった。リヒトは彼女が何を考えているのかを掴めず、ただ観念するほかなかった。
「ダメに決まってるでしょ!?自分が何言ってるか分かってる!?」
エイルに相談した結果、予想していた通りの激しい反応が返ってきた。厳冬の嵐が吹き荒れるかのようなその怒気に、リヒトは取り繕ったように語りだす。
「ハハハ……まぁ、そろそろ外の世界を学ぶターン……というか……独り立ちのための準備……的な?ほら、学校とかこの年齢じゃないともう通えなくなるしさ、たった1年だしそれに──」
「全然面白くないし言い訳にもなってない!とにかくダメなものはダメ!!これ以上面倒ごと増やしてどうするの!!」
断固とした拒絶に、何も言えなくなる。心の内は完全同意したいが、例の件によってそれは叶わない。
だがそこで、アイが動いた。
「エイル、ちょっと向こうで話そ」
「いくらアイの頼みでも絶対に聞かないからね!」
「その判断は、後でいいから」
そう言うや否や腕を掴み、力ずくで部屋の隅へと連れ去った。その小柄な身体からは想像もつかない力強さに、エイルは悲鳴を上げる。
「ちょっ……まっ!力つよ!ってか痛い痛い痛い!」
そのままズルズル引きずられ部屋の隅へと連れて行かれ、耳打ちを始めた。
「…………」
「……なっ!……でもっ……」
「…………」
「……やめっ!……」
「…………」
「……はい……分かりました……」
次第に覇気と生気が失われる顔。瞳に浮かぶ動揺と葛藤。戻ってきたエイルはソファに沈み込むように座り、屈辱感と諦めが入り混じった表情を浮かべた。彼女の心中を察したリヒトは苦笑いを溢す。
「あー……まぁ……そういうことだエイル………諦めてくれ……」
「……もういいわよ……好きにして……」
そうしてこの日、アイの奴隷となった。
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