第5話

「さて、この子をどうするか………と言いたいところだが、もう答えは決まっちまったみたいだな」


 言葉の余韻に浸るように、私は一瞬目を閉じた。そして小さく、けれど確かな意思を込めて、そっとうなずく。彼がわずかに笑みを浮かべるのを見て、私の選択が間違っていなかったのだと確信した。


「よし、決まりだな。とはいえ未登録のゲーベンフォルクを家に置くとなれば色々と面倒なことになる。だからまともに生活出来るようになるまでは誰にも知られないような場所で保護する必要がある……となると俺の家で預かるしか無いわけだ。お前もそれで構わないか?」


 それはつまり、リヒトと少女が同じ屋根の下で暮らすことを意味していた。その瞬間下心が芽生え、よからぬ想像をしてしまい、胸がざわつき、意識が過敏になる。咄嗟に答えなければと思うほど頭の中が空回りし、思ったことがそのまま声となった。


「かっ!構わないわ!で、でも、一人だけじゃ大変だと思うし……あ!ソウイエバコウイウトキニ便利ナ魔法ガアッタナー……ナンテ……」


 提案するつもりなんてなかった。けれど、頭が真っ白なまま言葉が口を滑り落ちていく。自分でも何を言っているのかわからず、ごまかすように声を落とした。その場しのぎの苦しい一言に、自分でも顔が熱を帯びるのがわかる。


「あー、確かにそれは有りだな。俺たちが学校にいる間も世話できるしな」


 リヒトの言葉は至って真面目で冷静だ。そうなのに、私の心はどこか落ち着かず、彼の冷静さとの温度差が妙にこそばゆかった。


「あの……それで……えっと……」


「ん?どうしたんだ?」


 必死に冷静を装いながらも、心の中では収まらない鼓動が耳の奥で響いている。視線を自然と手元へ落とし、何とか話を続けようと口を開く。


「ほら……リヒトって一人暮らしでしょ……?……一緒に住むとなると……その……色々問題ある……というか……」


 最後の方は恥ずかしくなって尻すぼみになってしまったが、言いたいことは伝わったはずだ。しかし、彼の反応は予想を超えていた。


「なんだ、そんなこと気にしてたのか。安心しろよ、最初は慣れないだろうが、少しずつ美味しくいただけるようにしてやればいい」


「ふぇっ!?」


 その一言に、私の思考は完全に停止した。自分でも驚くほど奇妙な声が口を突いて出る。意味が飲み込めず、頭の中で彼の言葉を反芻するたびに顔が赤くなっていくのがわかった。視界の端まで熱が染み渡り、まともに考える余裕などない。


「えと……それって……私に……ってことだよね……?」


 目を泳がせながら、消え入りそうな確認の言葉をなんとか紡ぐ。顔を伏せつつ反応を伺うと、目を丸くして一瞬固まっていた。どうやら彼も混乱しているらしい。


「ん?俺がお前に?して欲しいって?」


 あまりにも直接的な物言いに、胸が高鳴る。いや、爆発しそうだった。それでも、一度言葉を発してしまった以上、引き下がるわけにはいかない。腹を括り、喉の奥から震える声を絞り出す。


「……リヒトがしたいなら……いいよ……?」


 どこか震えた声で、精一杯甘く囁いた。言葉を吐き出した瞬間、顔から火が出るように熱くなる。視界もぼやけるほど全身が熱で包まれ、自分が何を言ったのかもあやふやになった。そんな私の様子に気づいているのかいないのか、少し困ったような表情を浮かべ、微笑みながらため息をつく。


「なんだよその煮え切らない返し。まぁそれもそうか……なら、先に必要な物買っていかないとな!」


「……うん」


 静かに頷きながらも、胸の中は不安と期待の入り混じった感情で混沌としていた。


(ひ、必要な物って何っ!?今夜、私……何されちゃうのっ!?)


 内心パニックに陥りそうだったが、表情には出さないよう必死に平静を装う。けれど、脳裏に浮かぶ可能性の数々を振り払おうとするたび、新たな可能性が次々登場して埋め尽くす。初めての夜を迎える緊張感で身体が固まる一方で、『悪くないかも』と思ってしまう自分がいるのも否定できなかった。


「となれば善は急げだ。早速あの魔法使ってくれ」


「えっ!?うん……分かったわ……」


 慌てて腕の中の少女を彼に託す。大きく深呼吸をし、気持ちを落ち着けようとするものの、胸の高鳴りは容易には収まりそうになかった。それでも、意識を切り替え、魔法の詠唱に集中する。


「我が名を持つ鏡像よ、幾千の因果を映し出す虚ろなる水面より出でよ。実像と虚像の境界を越え、運命の糸を二つに分かつは我が意志。一は全、全は一なり。汝は我、我は汝。滅びの淵に足掻く時、我が軌跡は一つの真理に帰結せん。来たれ、【ツイン・アストラル】──双極の真影をこの場に刻め!」


 言葉を紡ぐたび、空気がピンと張り詰める。足元に広がる魔法陣が青白い光を放ち、私を中心に渦を巻くように広がる。やがて全身を包み込み光が収束したとき、目の前には私と寸分違わぬもう一人の私が立っていた。


 これは、私が持つ固有魔法のひとつ――『ツイン・アストラル』。

 性格も記憶も同一の複製体を生み出す力だ。実態を持つだけでなく、解除したときには記憶を引き継ぐことができる。さらに、片方が倒されてももう片方が残っていれば問題ない。便利だけどあまり使っていないから上手い使い方はよく知らないけど…


「じゃあ、この子を連れて俺の家で待機していてくれ。地図と鍵はこれな。一応、誰にも見られないよう透過魔法をかけておく。30分くらいで切れると思うから気を付けてくれよ。【ルフトシュピーゲル】」


 周囲の空気が波打つような奇妙な歪みが生じた。波紋が水面に広がるように視界が揺らぎ、次第に私たちの姿が景色に溶け込むように消えていく。足元の感覚すら不確かに思える不思議な感覚が数秒続き、やがて周囲は元通りの静けさを取り戻した。


「……よし、これでいい。家の中にある物は自由に使って良いから、その子のこと頼んだぞ。俺はこっちのエイルと色々買ってくるからよろしく。んじゃ」


 彼は軽く手を振ると、私の半身と立ち去った。腕の中で小さく寝息を立てる少女に目を落とす。頬にかかる乱れた髪を指先でそっと整えると、穏やかな寝顔が現れた。自然と心が落ち着き、先ほどまでの緊張や動揺が薄れていく。受け取った地図と鍵をサイドポーチに滑り込ませ、その場を後にするべく足を踏み出した

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