第45話 お伽噺の記憶③
瘴気谷の状態は想像以上に悪かった。
谷の入口にはすでに瘴気が充満し、先日魔物にやられた村は魔物が巣食っていた。
「ガヴィエイン殿! これでは時間がかかり過ぎます!!」
切っても切っても湧いてくる魔物の群れに兵士が叫ぶ。
「俺達の目的は魔石の発動だ! 向かってくるやつ以外は無視しろ! 道を開く事だけ考えろ!」
叫びながら何体かを切り倒す。
谷により近づいて来ると一気に瘴気の量が増した。
ガヴィは顔をしかめた。
「こりゃ、一時間も保たねえわ」
瘴気除けの布越しでも感じる息苦しさに、瘴気の禍々しさを再認識する。
時間をかければかけるほど危険が伴う。
魔石を発動し、すぐに退避しなければ、魔物にやられるより先に瘴気にあてられる。
「ここからは短期決戦だ! いいか! 俺が瘴気溜まりに突っ込むから全員血路を開け!
魔石を発動したらすぐに退避だ! 結晶化に巻き込まれるぞ!」
号令をかけた途端、ガヴィは身を翻して瘴気の吹き出している場所に向かって風の如く突き進んだ。
一緒に討伐に向かった兵士達は、この谷でのガヴィの姿を長い間忘れることが出来なかった。
とは言え、ガヴィも小さな傷だらけであったが、その傷すらものともしない戦い方に、もはや見惚れるしかない。
自分の倍以上もある魔物の群れをものともせず、まるで赤い風のような少年の戦いぶりは鬼神そのものであった。
襲い来る魔物を切り倒し、その体を踏みつけて跳躍する。
他の者が一体倒す間にガヴィは三体の魔物を倒し、あっという間に瘴気の中心部に辿り着いていた。
魔石を取り出し手に握る。
誰しも作戦の成功を信じて疑わなかった。
この時のガヴィですらそう思っていた。
「よし! いくぞ! 全員退避だ!」
右手に石を掲げ力を発動させる。
淡い紫色の輝きが、魔石から溢れだした。
「やったぞ!!」
満身創痍になりながらも討伐隊は勝利を確信して歓声をあげた。
しかし――
……人は人生において、大なり小なり魔が差す時がある。
ガヴィにとって不幸だったのは、その魔が差した瞬間が、この時であった。
誰もがガヴィの戦いぶりを称賛し、成功を確信していた。
きっと城に帰れば、国はより活気づくだろう。
侵略者を退けた若き王と、瘴気谷を封じた赤毛の剣士。
二人の英雄の誕生は長く語り継がれるに違いない。
でも。
(俺は、英雄になりたいわけじゃない)
護りたかったのは、イリヤの笑顔とアルフォンスとの三人の時間。
それさえあればガヴィは満足だったのだ。
でも、もうイリヤはいない。
あの宝物のような三人の時間は二度と戻っては来ない。
今はまだ、すでに未来に向かって歩き始めているアルと一緒に、普通に笑って隣に立てる気がしなかった。
きっと、アルは、俺なんか居なくたって変わらずやっていける――
瘴気の中心に置くはずの魔石を再び握りしめる。
ガヴィは魔石を発動させるとその場を動こうとはしなかった。
「ガヴィエイン殿?! 何を――!」
「早く、早く魔石のそばから離れてください!!」
ガヴィの異変に気付いた兵士たちが叫ぶ。
魔石は瘴気をドンドン吸い込み、ガヴィエインが触れている部分から結晶化を始めた――!
「ガヴィエイン殿オォォォォ!!」
「ガヴィ殿ーー!! 手を、手を離すのです!!」
早く! と悲痛な声が周りからいくつも上がる。
だが、瘴気と結晶化した水晶に押され、ガヴィの近くには近寄れず、兵士達は目の前で起こっている事をただ見守るしかなかった。
結晶化していく瘴気に、魔物の群れも一斉に逃げて行く。中には逃げ遅れて水晶に飲み込まれる魔物もいた。
瘴気の強さに比例して、魔石による結晶化はあっという間に進み、残った討伐隊も退避するほかなかった。
……一番中心部にいたガヴィを助けるなど、到底無理な話だったのである。
水晶にガヴィが飲み込まれる寸前、赤毛の剣士が口元の布を取り、微かに微笑んだのを兵士の一人は見た。
「……ガヴィエイン殿……なぜ……」
瘴気も、逃げ遅れた魔物も、ガヴィも全て飲み込んで、水晶はただそこにキラキラと輝いていた。
水晶に飲み込まれたガヴィを除いて、討伐隊は誰一人欠けることなく、作戦は成功に終わったのだった。
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