第42話 あなたは誰?





 谷を吹き抜ける風が、そびえ立つ水晶群の間を通り抜けて音を鳴らす。

 足元には、砕けて散らばった水晶のかけらが無数に落ち、踏むとパリパリと乾いた音がした。

 昼間は無色透明であるのに、夜になると微かに淡く紫色に発光するのが見事で、一時期はかなりの見物人が見に来た。だが数年前水晶の中から生きた魔物が出てきてからは立入禁止になっている。


「……大分もろくなってやがんな」


 軽く水晶を蹴ると亀裂が入って簡単に欠けた。


「――五百年か……スゲーじゃん」


 赤毛の剣士、ガヴィは自嘲じちょう気味に笑うと水晶の前にドカッと座って光る水晶を見上げた。

 そのまま後ろに倒れて寝転がる。


『前にも言ったが、君は言っていい事と悪い事の区別もつかないのか。

 いい大人が、あんな風に泣かせて。馬鹿なのは君の方だろう』


 ゼファーの声が脳裏に響く。



『ガヴィはさ、過保護なんだよ。

 彼女は彼女の思いがあるんだからさ、その気持ちを尊重してあげなよ』



 次々に思い出される、友人達の声。


「……うるせえよ。……んなことは、俺だって解ってんだ」


 独りごちて空中をにらむ。



(アイツ……見たことないくらい泣いてたな)



 胸中で自分が泣かせた黒髪の少女を思い浮かべる。

 イルにとって血の剣ブラッドソードは、一族の血統を示す為の証の意味合いが強いのだろう。

 一族の中で微妙な立ち位置だった彼女にとって、血の剣ブラッドソードが作れたことは誇らしい気持ちだったに違いない。

 冷静になれば、そんな事はすぐに理解できる。

 ガヴィはただいつもの様に大人の顔をして、「良かったな」と言ってやれば良かったのだ。


 だが、あの日血まみれで倒れたイルを見て、思わずにはいられなかった。

 湧き上がってくる恐怖に体が震えた。



 このままでは、また失う、と。



「んで、傷つけて泣かせてりゃ……本末転倒だよな」


 一つも変わっていない自分にイライラする。

 頭を冷やして、向き合わなければならない。過去の自分と。

 ガヴィはハァとため息をついて目を閉じた。





 秘密の小部屋を見つけてから、どれくらい時間がたっただろう。日も完全に沈み、辺りは水晶の輝き以外は夜の闇に包まれている。聞こえるのは虫の声くらいだ。

 水晶谷の入り口に、突然キラキラと輝く軌跡が浮かんだ。

 光の粒は瞬く間に円を描き、そこに今までいなかった影を浮かび上がらせる。

 そこから現れたのは、紅の民の少女イルと、銀の髪の侯爵ゼファーである。

 二人は事の重大性を国王に訴え、国王の専属魔法使いに頼み込み、取り急ぎ水晶谷へと送ってもらったのだった。


「……ガヴィ、見つかるかな……」


 イルが不安げに呟く。


「ここにいるか、確証はないが……ガヴィが水晶谷から現れたとすれば、何か手掛かりはつかめるかもしれない」


 ゼファーは持っていたランタンを掲げながらイルにそう声をかけた。

 


 薄暗い夜道をゆっくりと歩く。入り口から水晶群のある場所までは歩道整備されていて迷うことはない。

 しばらく歩くと突然目の前に巨大な水晶の塊が、淡く紫の光を放ちながら現れた。

 夜の闇に浮かぶ水晶の輝きは圧巻だった。しばらくは息をするのも忘れて見とれる。


「す……ごい……」


 この世のものとは思えない妖艶さがあった。こぞって人々が見に来たというのにも頷ける。

 ふと視線を水晶の下に向けると、なにかが転がっている事に気が付く。

 よく目を凝らすと見えたのは、赤い、見覚えのある頭髪。


「――!!」


 イルは心臓が止まるかと思った。

 そこに横たわる人物はまさに探していた人だ。

 微動だにしない様子に、最悪の事態を想像する。


(―――いやだ!)


 イルは駆け出した。一目散に。

 駆けてガヴィに抱き着き名前を呼ぶ。


「ガヴィ! ガヴィ!!」

「うわあぁぁぁお?!」


 が、くだんの人物は予想に反して飛び起きた。


「はぁあっ?! え? ……イル?!」


 驚きすぎて頭が付いてこない。

 ガヴィはイルに抱き着かれたまま目を白黒させた。


「よ、よかったぁ……し、死んでるのかと思ったよぉぉ……!」


 安心して泣き出したイルの物騒な台詞にギョッとする。


「し、死ぬわけねぇだろが! 勝手に殺すな!」


 べりっとイルを引きはがす。


「信用のない行動ばかりとっているからそう思われるんだ」

「あぁ? ……ってなんでお前まで……」


 ゼファーの姿も確認してますます困惑する。


「だって、ガヴィが突然いなくなるから……」

「いや、俺ちゃんと調査に行くって書類出したよな?!」

「行き先も伝えずにね」

「いや、まあそうだけどよ?!」


 完全に押され気味のガヴィに、イルがすかさず核心をついた。


「ねぇ! ガヴィエインって、ガヴィのことでしょ?!」


 ギクリと体を強張らせてガヴィがイルを見る。


「お、お前、なんで……」

「……創世記に出てくる三人の内の剣士は君だろ? ガヴィ」



 ガヴィは呆然と二人を見た。

 その顔は、今まで見たことのない、少し不安げで幾分幼いような、あの肖像画の『ガヴィエイン』の顔であったかもしれなかった。



「……私の部屋に、隠し部屋に通じる通路があったの」


 イルの部屋が元々初代国王の自室であった事、その部屋の隠し部屋にガヴィの肖像画や日記があり、ガヴィに関して書いてあるページがあったことを伝えた。


「……」

「ねぇ、ガヴィ。本当のことが知りたい」



 あなたは、誰なの?



 イルとゼファーに見つめられ、ガヴィは長考の後、目を閉じて観念したように息を吐いた。



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