第38話 秘密の小部屋①



 明けない夜はない……とはよく言ったもので、どんなに落ち込んでいようが、朝なんて来なければいいと思おうが、太陽は確実に日々巡るのだ。


 昨日の目覚めも最悪だったが、今日の目覚めは人生最低であった。

 二日連続で眠りに落ちた時の記憶もなければ自分で寝台に入った記憶もない。記憶はないが、寝てしまう前には馬鹿みたいに泣いた覚えはある。

 子どもみたいに泣いて寝落ちてしまうなんて、そこの記憶はなくなっていないのが恨めしい。

(ゼファー様、呆れたかな)

 ゼファーに限ってそんなことはないと思いつつ、恥ずかしさは消えないが、思いっきり泣いたおかげで幾分か気分はすっきりしていた。

 ただ、顔を洗おうと鏡の前に立った時に昨日の自分の失態を再認識する羽目になる。

「う……わぁ。……酷い顔」

 泣きはらした目は真っ赤だったし、目の周りは『泣きました』と言わんばかりに腫れている。この顔で今日部屋から出れば、周りに心配してくれと言っているようなものだ。

 今日は一日部屋で過ごすしかない。

 そう思っているとコンコンとノックの音がして、イルの部屋付きの侍女が入ってきた。

「お早うございますイル様。アヴェローグ公爵様より贈り物を預かっております」

 え? と思って見ると、侍女は何やらお盆に桶を乗せている。侍女はイルを椅子に座らせると、持ってきた桶を机において桶にお湯を張った。

 侍女はニコッと笑って小さな小瓶から何滴か液体を桶に垂らす。

 小瓶から落ちた雫はお湯に溶け込むと、ふわっとハーブの香りが周りに広がった。

「わぁ! いい香り……!」

 侍女はタオルを桶に浸すと、硬く絞ってイルに手渡した。

「これを顔に当てて下さい。気持ちいいですし、少しは腫れも収まりますよ」

 言われたとおりにタオルを顔に当てる。

 じんわりと暖かいタオルからは、優しいハーブの芳香がふうわりと香り、とても気持ちがいい。

「アヴェローグ公爵様がご用意くださったハーブのオイルです。イル様が目覚めましたらお出しするようにと申し使っております」

 机の上にはオイルの入った小瓶の他にも、可愛らしい黄色い花が飾られていた。

 きっとこれもゼファーが寄越してくれたのだろう。迷惑ばかりかけているのに、ゼファーはとことんイルを甘やかそうとしているのを感じる。


 ゼファーは銀の髪の公爵として、国民からも、城内でも人気がある。

 国王をしっかりと支え、いつも笑顔を絶やさず、本当に美しい姿をしているから納得なのだが、ゼファーの魅力はそれだけではない。


 人の痛みが解る人なのだ。


 イルのことにしても、ただの子どもの癇癪かんしゃくと流してしまっても何も問題はない。

 でもそうせず、過度に甘やかすのは、イルには逃げ場がないのを解っているからだ。

 イルの隠している孤独を何も言わなくても感じているからだ。

 イルにそこまで寄り添う義務はないはずだが、イルの痛みを感じて甘やかしてくれるのはきっとゼファーも何かしらその痛みを知っているから。

 いつだったか、会話の中で彼も幼い頃に自分の立場や見た目が周りと違うことで色々な事があったと本人に聞いた事がある。

 だからゼファーはイルを護るべき子どもとして、イルの逃げ場になろうとしてくれているのだ。


 イルもそのことはきちんと理解していた。

 だから、本当に有難いと思う。


 蒸しタオルを使ったら、目の周りの腫れも引き、大分見られる顔になってきた。

 朝ご飯食べられますか?と侍女に聞かれた途端、ぐぅとお腹がなる。

 恥ずかしい。落ち込んでいてもお腹は空く。


 侍女はクスクス笑ってすぐにご用意しますね、と下がっていった。

 昨日は廊下で大泣きしたし、部屋に帰ってからもグズグズとゼファーの胸で泣いていた。

 周りに隠すなど到底無理な話で、部屋付の侍女や衛兵は今朝はどう接しようか困ったことだろう。イルが起きたタイミングで侍女はタオルを持ってきてくれた。それはイルが起きたらすぐに持っていってあげようと思ってくれていた、と言う事だ。

 自分なんてどうせいなくてもいいんだなんて、いじけて、泣いて喚いて恥ずかしい。


 ちゃんと、みんな大切にしてくれている。

 他人の自分にも優しい気持ちをわけてくれる。

 たとえそれが、肉親でなくとも。

「よし。元気だそう!」

 まずはご飯だ!イルは気合を入れた。



 いつかガヴィに言われたように現金なもので、朝ご飯を食べたらなんだか気持ちも元気になった気がする。単純な自分が恥ずかしい。

 ガヴィと顔を合わせるのはまだ気まずいし、今日は一日部屋にもろうかと思っていたが、いつまでもくよくよしているより、行動する方が自分らしい。

(ゼファー様に、お礼を言いに行こう)

 きっと優しく笑ってくれるはずだ。

 そう決めて立ち上がると、何やら部屋の外で揉めるような声がした。

「いや、ですから王子殿下……今日はその……イル様に会うのはやめておいた方が……」

「どうして? ぼく、綺麗なお花をつんできたからイルにみせてあげたいの!」

「あの、その……多分イル様は今日は調子が悪いというかなんというか……」

 部屋前の衛兵が、しどろもどろになりながら王子を止めている。イルは吹き出した。

 衛兵もイルが落ち込んでいると思って気を使ってくれているのだ。

イルはもやもやしていた気持ちが嘘のように吹き飛んだ。

ガチャリと勢いよく扉を開ける。

「おはよう! シュトラエル様!」

 昨日の様子を思うと、さぞかし落ち込んでいると思っていたイルが元気に顔を出したので、衛兵がビックリしてイルの顔を見た。

イルはにっこりと彼の顔を見て頭を軽く下げた。

「イル……調子が悪いの?」

 王子が心配そうに聞く。

「うううん! みんなのおかげで元気出た!」

 遊ぼう! と王子を部屋に招き入れた。

ヤッター! と王子がイルに抱きつく。

部屋からはその後、楽しげな声が響いて、衛兵はホッとすると自分の持ち場に戻ったのだった。

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