第37話 慟哭③



 ガヴィの執務室を飛び出したイルは、流れ落ちる涙を拭いもしないまま、一心不乱に部屋に向かっていた。すれ違う衛兵や侍女が驚いていたが気にしてはいられなかった。


 ――里を焼け出された後もこんなに泣いたことはない。


 嬉しい時も、悲しい時も、涙がこぼれそうな時は、大概たいがい隣に赤毛の剣士か銀の髪の公爵がいた。

 辛いことがあっても二人が側にいてくれたからあっという間に涙が止まったのだ。


「イル?」


 だから。


 部屋に向かう宮殿内の廊下で前からゼファーが歩いて来た時には、イルは溢れ出てきた感情を止めることができなかった。

 困惑するゼファーにしがみつき、わんわんと子どものように泣く。

 ゼファーは理由がわからず戸惑っていたようだが、泣き続けるイルの背中を何も言わずに優しく撫でてくれた。

 その後もイルがなかなか泣き止まないので、ゼファーは「こちらにいらっしゃい」とイルの自室まで手を引く。そのまま部屋のソファーに座ると、イルの泣き声が段々小さくなって、鼻を啜る音しか聞こえなくなるまで頭を撫でて隣にいてくれた。



「……落ち着いたかい?」

 訊ねるその声色がことのほか優しくて、イルはまた泣きそうになる。

 それでも、さすがに迷惑をかけている自覚はあったのでごしごしと袖口で涙を拭いて小さく頷いた。

「何があったのかは、聞かない方がいい?」

 どこまでも優しいゼファーに、止まったはずの涙がポロリとこぼれる。

 慌てて袖で拭こうとするイルにゼファーはハンカチを手渡した。

 イルはハンカチを握りしめながらゼファーにぽつぽつとガヴィとの出来事を話した。


「……」

「私、ガヴィも一緒に笑ってくれると思ってたから……すごく、ショックで……

 ガヴィは、血の剣ブラッドソードを作ることで私を心配してくれてるって事は解かるんです。でも……」

 血の剣ブラッドソードが、自分にも作れると解ったことはイルにとって、とても大事な事だった。

 今まで、誰にも言えなかった思いがこぼれ落ちる。


 ……本当は、ずっと思っていた事がある。

 血の剣ブラッドソードを自分は作り方を知らないのではなくて、のではないのかと。

 紅の民だなんて言っているけれど、本当は違うのではないかと。


 里のみんなと同じところは、黒い髪の色だけ。

 でも黒髪なんてこの国には溢れている。紅色くれないいろの一族特有の瞳の色でもないし、黒狼には変化できるけれど、特別な魔法が使えるとか、変わった力があるわけじゃない。


 ……もしかしたら、父の子ですらないのかも。


 だとしたらなぜ、自分だけが生き残ってしまったのか。

 価値のある一族のみんなは一人残らず死んでしまったのに。

 力もない、生まれもわからない、なんの価値もない。


 こんな自分ならいっそ、


「わ、私が、私が皆の代わりに死ねばよかったのにって――」


 ずっと一人で抱えていたイルの重い独白に、ゼファーは堪らずぎゅっとイルを抱きしめた。

 この太陽のような笑顔の少女は、幾夜こうやって一人苦しんできたのだろう。

 役立たずな自分が生き残ってしまったと、自分には何の価値もないのだと思っている。そんな悲しいことを。


 ゼファーはイルを抱きしめたまま、ゆっくりと言い聞かせた。

「……そんな事は言わないで。

 貴女のお父上も、そんなことを望んで君を逃がしてはいない。

 私も、イルに出会えて本当に嬉しいよ」

 揺れた瞳で、幼子のようにほんとう?とゼファーに聞き返す。ゼファーはほんとうだよ、とイルの目を見て微笑んだ。


 イルの心に寄り添って、イルの痛みを理解しようとしてくれるゼファーの気持ちがとても嬉しい。

 ゼファーといると、そこに亡くなった兄がいてくれるようで、すごく安心できた。

「ここの人達はみんなあたたかくて……王子は私に新しい名前や居場所をくれて……。

 陛下や王妃様や、ガヴィやゼファー様。みんな信じられないくらい優しくしてくれるから、なにか役に立ちたくて……。

 偶然かもしれないけど、血の剣ブラッドソードが作れた時は、やっとここにいてもいいんだって気持ちになれたの」


 血の剣ブラッドソードは、イルにとっては証だった。

 自分の存在意義の証明だったのだ。


「でも、……ガヴィは……そんな能力いらないって……の、呪いみたいなものだって――」


 お前なんていらない。


 そう言われた気がした。


 一度は止まった涙がまたあふれ出す。

 ゼファーはイルが泣き疲れて眠るまで、ずっとそのまま抱きしめていた。



 泣き疲れて眠ってしまったイルを寝台に運び、部屋を出たころには空は茜色に染まっていた。

 衛兵や部屋付きの侍女が不安そうにこちらをうかがっているが今はそちらを気にしている場合ではない。

 ゼファーは部屋を出た足で、ずんずんと執務室の方に向かうと自分の部屋を通り越し、ガヴィの執務室にノックもしないで入った。

 床には、散らばったままのイルの血の剣ブラッドソード

 ガヴィはイルが部屋を出て行ったあとも微動だにせず、未だ同じ場所に立ちすくんでいた。

「……私が何をしに来たのか解かるか?」

 ガヴィはノロノロと顔を上げてゼファーを見る。

「一応解っているようだな」

 ならば、とゼファーはいきなりガヴィの横っ面を拳で殴り倒した。

 どれくらいの力で殴ったのか、ガヴィの体は吹っ飛び床に転がる。

 部屋付きの侍女は悲鳴を上げた。

「……っ」

 ゼファーの口から今まで聞いたことのない冷えた声音が出た。

「前にも言ったが、君は言っていい事と悪い事の区別もつかないのか。

 いい大人が、……あんな風に泣かせて。

 馬鹿なのは君の方だろう」

 静かに怒りをにじませるゼファーに、ガヴィは殴られた頬を気にもせず、まるで叱られた子どものように彼を見上げた。

「何が君の気に障ったのかは私にはわからない。

 でもそんなものは知ったことじゃない。君が言わないものを、私も彼女も知るはずもないからね。 

 ……君が勝手に囚われているその感情でまたあの子を傷つけるのなら、私は君を許さない、ガヴィ」

 そう言ってゼファーは無言で散らばった血の剣ブラッドソードを拾い集める。

 ガヴィはふらふらと立ち上がると部屋を出ようとした。

 どこへ行く、と硬い声でゼファーが訊ねる。ガヴィは「……頭冷やしてくる」と告げると部屋からノロノロと出て行った。


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