第36話 慟哭②



 昼もすぎると頭痛も気持ちの悪さも和らぎ、いつも通り動けるようになっていた。

 イルは謝るなら早めがいい、とガヴィの執務室に向かおうと思ったが、部屋を出たところで王妃の使いに呼ばれてしまった。

 ガヴィとは約束しているわけではないし、気まずさもあって王妃の用事が終わってから行けばいいかと部屋を出る。

 いつもお邪魔している王家の居住区に行くと、そこには王妃だけでなく国王の姿もあり、イルは驚いた。


「やあ、よく来たね」

「こ、こんにちは陛下。昨日は素敵な舞踏会にお招きいただきまして有難う御座いました」

「昨日は踊らなかったんだって?あのガヴィが珍しく会場に来たというから楽しみにしていたんだが」


 ゼファーによく似た秀麗な顔で微笑まれてイルはいたたまれなくなった。


 ……その話題は今、正直勘弁してほしい。


 来年は踊れるようにガヴィに言っておくよと国王に言われて、陛下は昨日の事をどこまでご存知なんだろうと気になったが、自分の失態を再認識したくなくて愛想笑いで誤魔化した。


「今日用事があるのは実は私なんだ。

 ……イル、君にこれを」


 そう言って綺麗な細工の箱を渡される。


「?」


 イルは箱を受け取ってそっと蓋を開けた。


「! ――陛下、これ!」


 勢いよく国王の顔を見つめる。

 何か言葉を紡ごうとするが喉が詰まって音にならない。


「……お節介かなとは思ったんだがね、紅の民は成人の折に自分で作った血の剣ブラッドソードを腰に下げるんだろう?」


 アヴェローグ公爵に聞いた、と国王は言った。


「君の作った血の剣ブラッドソードは小さくて、腰に下げることは叶わないだろうが、君が王妃やシュトラエルを守る為に作ってくれた最初の血の剣だ。持っておくといい」


 成人おめでとう、と国王に言われ、王妃がそっとイルの肩を抱く。イルは溢れてくる涙を止めることが出来なかった。

 イルの作った小さな矢じりの様な血の剣ブラッドソード達は、装飾の見事な箱に綺麗に並べられて、まるで宝石のような輝きを放っていた。



 もう、誰からも祝われることなどないと思っていた。



 紅の民でありながら、やはり自分は一族の中でどこか異分子なのだと感じていた心が、国王陛下や王妃の心遣いで救われた気がした。


「……有難うございます……大切にします……!」


 流れ落ちる涙はちっとも止まってくれなくて、ひとつも格好はつかなかったけれど、国王に少しでも感謝の気持ちを伝えたくて、イルは無理矢理笑顔を浮かべた。




 宮殿を後にし、イルは高揚した気分のままガヴィの執務室に向かった。

 大切な人達のために自分の力が役にたった事も、成人を祝われた事も、どちらもが嬉しくて誇らしかった。


 ガヴィに昨日の失態を謝って、これを見てもらおう。


 朝はあんなに憂鬱だったのに、なんだか力が湧いてくるようだ。

 ガヴィの執務室前の衛兵に在室を確認して部屋の扉をノックした。


「ガヴィ?」


 ガヴィが書類から顔を上げる。


「ごめんなさい、仕事だった?」

「いや、そろそろ終わろうと思ってたところ。……なんか用か?」


 ガヴィは首を左右にゆっくり伸ばすと立ち上がってソファーの方へ移動する。

 当たり前だが今日は舞踏会の時のような髪型ではない、いつものガヴィだ。

 昨日みたいなガヴィもいいが、この方が何だかほっとする。

 イルもガヴィに習ってソファーに腰を下ろした。

 はやる気持ちを抑えながら、まずは筋を通さねばと気持ちを落ち着ける。


「昨日は……ごめんなさい! なんか色々迷惑かけちゃったよね?

 私、全然覚えてなくて。えーと、ごめんね?」


 なんか失礼なこともいっぱい言っちゃったし……と語尾が小さくなると、黙っていたガヴィが噴き出した。


「……お前はさ、ほんとに裏表なく生きてるよな」



 怒って笑って謝って。忙しい奴だな。



 ひとしきり笑って、「……お前といて、そんなの気にしてちゃやってけねぇわ」と全然痛くなく頭を小突かれて笑うガヴィの顔に、最近自覚した想いが勘違いでないことを再認識する。


(……ガヴィは、子どもとしか思ってないと思うけど)


 それでも毎日顔が見られるのは幸せなことだと知っているから。

 ここにいられるだけで今はいい。そう思った。


「で? 用事ってそれだけ? ……何その箱」


 問われてハッと気付く。そうだった、これを見せに来たんだった。


「あのね! さっき陛下と王妃様に呼ばれて、これをいただいたの!!」


 イルは持っていた箱をガヴィに見せる。

 嬉しい気持ちを隠しきれないまま、ふたを開けて興奮気味にガヴィに早口で説明した。


「私の作った血の剣ブラッドソードをね、とっておいてくれたんだよ!

 こんな綺麗な箱に入れて下さって、初めて作った血の剣だから大事にしなさいって……それで……」



「――馬鹿じゃねぇの?」

「え?」



 思ってもいない言葉が出て来たような気がしてガヴィの顔を見る。

 そこには、さっきまで柔らかく笑っていたはずのガヴィはもうおらず、なぜか冷え切った目でイルを見ていた。


「――え……?」


 聞き間違いかともう一度聞き返す、するとガヴィは苦々し気に顔をしかめてもう一度吐き捨てた。


「そんなもん、記念に残してなんになるんだよ。馬鹿かお前は。

 それはそんな大事にとっとくもんじゃねぇ。

 ……血の剣ブラッドソードなんて、呪いみたいなもんだ」


 ガヴィの口から出る台詞が信じられなくて、頭が追いついていかない。


「……なんでそんな事言うの? ……冗談でも酷いよ」


 混乱しながらも反論するイルに、ガヴィは追い打ちをかけた。


「命と引き換えでできる剣に価値なんてねぇよ。

 そんな能力、――消えちまえばいい」


 冷たく言い放たれた言葉が胸に刺さる。



 今喋っているのは、本当にガヴィ?



 彼は口は悪いけれど、本当に人を傷つける様なことは言わない人だ。

 意外と親切で、面倒見もいい。

 いつもは小馬鹿にしたように笑うけど、時々凄く優しい目で柔らかく笑うのも知っている。



 だから。だから、わたしは――。



 さっきまでの嬉しい気持ちが、一気にぺしゃんこになって、息が苦しい。

 ガヴィも、笑って良かったなって言ってくれると思っていた。


 一番に、笑ってくれると思っていたのに。


「……陛下は、これは成人の、証だから……おめでとうって、言ってくれたよ……?」


 絞り出した声は、自分でも信じられないくらいに小さくて震えていた。

 陛下の前で出た涙とは違う涙が、ボタボタと床に落ちる。

 震えた声音に、ガヴィの瞳がハッとイルを見た。


 大きく息を吸って、ガヴィに怒鳴って喚きたかった。

 でも喉は鉛が詰まったように苦しくて、もう何も出ては来なかった。

 代わりに目からあふれた涙が止まらない。


「――っ!」


 持っていた箱を、ガヴィめがけて投げつける。

 箱はガヴィに当たって中身をぶちまけるとカラカラと床に転がった。

 イルはそのまま踵を返し部屋から飛び出した。

 突然の大きな音と開け放たれた扉に、部屋の前の衛兵がギョッとする。

 部屋にはぶちまけられて散乱した血の剣ブラッドソードと、呆然と立ち竦む赤毛の剣士だけが取り残されていた。



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