第32話 自覚②
「どうぞ」
目の前にティーカップが置かれる。
イルは有難うございますと小さく言って受け取った。
ほのかに香る花の芳香が
「まぁ、ガヴィの言うことももっともだと思うけれどね」
ゼファーはイルの話を聞いてやんわりとガヴィの意見を肯定した。
貴女の身の安全を考えてのことだと思いますよ、と微笑む。
イルは一度ぐっと口を結んだけれど、それをゆっくりとほどいて言葉を紡ぐ。
「……私だって、解ってるんです。
本当に許可が出るとは思ってなくて……でも」
心に溜まったモヤモヤを、ガヴィに解ってほしかった。
そうだよな、帰りてぇよなって言ってくれるだけで良かったのに。
「それに、アイツ、なんか事件の後から変っていうか……。
何て言うんだろ……やることなすこと口を出してくるっていうか。子どもみたいにああしろこうしろって!」
イルは、ガヴィに感じていた違和感を吐き出した。
そうなのだ、イルが怪我をして以来、イルに対して前ほどの粗雑さはなくなっていた。
が、代わりに側にいる時はやけに世話を焼くのだ。
イルが解かりきっている事にまで一々口を出す。まるで保護者のように。
「……そんなに、子どもみたいですかね、私」
いよいよ情けなくなってきてソファーで行儀悪く膝を抱える。
ゼファーはイルの隣に静かに座り直すと頭を優しく撫でた。
何故だかわからないけど泣きたくなってしまう。
「……ガヴィも、貴女が怪我をしたことに、少なからず責任を感じているんでしょうね」
「なんで! そんなの全然ガヴィのせいじゃない!」
耐えきれなかった涙がイルの目からぼろりと落ちる。
「ガヴィのせいじゃない! 自分でやったことだもん! なのに責任感じるとか、そんなの可笑しいよ! それに、こ、子ども扱いしてばっかり!
……全然嬉しくない!!」
ゼファーは凄惨な目にあっても明るさを失わない、まっすぐなこの少女を好ましく思っていたし、既に妹のように思っている。
甘やかしている自覚も十分にあった。
(でも貴女は、私に子ども扱いされても怒りはしないね)
頭を撫でても払いのけられることのない手を、年の離れた妹にするように、いつものようにポンポンとやる。
「彼の口が悪いのは今に始まったことではないし、彼は口は悪いが……あれでいて情に深い男だ。イルのことを子ども扱いしている訳ではなくて、ただ心配なだけなんじゃないかな」
それだけ君が大切だということだよ。
ね。と微笑まれてイルは気まずそうに鼻を啜った。
「……ゼファー様ってよくそんなに恥ずかしい台詞がでてきますよね」
「ガヴィにも同じことをよく言われるよ」
苦し紛れに悪態をついたのに、彼はそう言ってそれはそれは綺麗な顔で微笑むから、イルは不覚にも笑ってしまった。
***** *****
あんなに勢いよく飛び出た宮殿内の部屋に戻り、寝台に置かれているクッションを一つ掴むとそのまま庭に出る。
心の中とは裏腹に、外は春の陽気。
大好きなお日様がぽかぽかと照らして心地よい。
イルはクッションを抱えると芝生の上に座り込んだ。
そうなのだ、ただ走り回りたいだけならばここだけでも事足りる。
小さくてもイルの部屋には立派な庭が付いていて、王子の所に行けば王妃様の薔薇の庭園がある。緑豊かなアルカーナ王国はどこに行ったって緑で溢れている。
でも、
この先どうなるのか解からない不安の中で、初めて訪れた外の世界。
あの守られた静かな郊外の木々に囲まれた秘密の花園みたいなお屋敷が、イルは何だかんだと好きだったのだ。
イルの姿でお屋敷に帰った時も、執事のレンは驚きはしたが変わることなく「おかえりなさい」と言ってくれた。
生家である里の家では、あんなに落ち着ける空気は流れていなかった。
ガヴィにしてみれば、降って沸いたただのお荷物でしかなかったかもしれないが、なんだか自分の家に帰ってきたような気になったのだ。
アルカーナのお城は大好きだけれど、ずっとここに住むのかなと思ったら、何となくそれは違う気がした。唐突に、帰りたいな。と思ったのだ。
クッションを抱えたまま芝生に寝転ぶ。風が吹いて、日差しが温かい。
ノールフォールの森を出て来た時には考えられないような穏やかな時間。
勢いでガヴィの部屋を飛び出して、ゼファーに当たり散らして、何やってんだろ、と冷静になってきたら突然恥ずかしくなってきた。
……なにが子ども扱いするなだ。行動がそのまま子どものそれだ。どの口が言っているのか。
いたたまれなくて一人でクッションに顔をうずめてジタバタする。
「……なにやってるのぉ?」
クッションから顔を上げると間近にシュトラエル王子の顔があった。
「お、王子……いつから?!」
慌てて起き上がる。
頭にも体にも芝生が付いていたので急いで払って落とした。
せめて王子の前くらい、年上の格好をしていたい。
「さっきから何度も呼んだんだけど。ぜんぜんお返事ないから勝手に入ってきちゃった」
ニコッと笑われて申し訳なくなる。
「う……あの、ごめんね?」
王子はいいよー! と気にした様子もなく隣に座ってイルの顔を覗き込んだ。
「イル……悩みごと?
あ、ガヴィとまたケンカしたの?」
デジャブ。
だから、なぜ原因がガヴィだと思うのか。
しかしやはり否定する要素が全くなくて恥ずかしい。
「イルとガヴィは仲良しだもんねぇ」とニコニコする王子に「ケンカばっかりしてるのに?」とげんなりと聞き返す。
王子はだって、と笑った。
「ケンカしても仲直りできるならいいのよって母上が。ケンカするほど仲がいいんでしょ? ガヴィも楽しそうだし」
「……そうかな」
「そうだよ!」
ニコニコと屈託のない王子の顔に、すとんと力が抜ける。
「そっか……」
仲直りできるならいいのか。
確かに、そうかも。
「シュトラエル様は、ちゃんと陛下や王妃様の教えを覚えていて偉いねぇ」
自分なんかよりもよっぽど教えられた事を実践できている。凄い。
王子は誇らしげに胸をはった。
「ぼくはそのうち父上みたいな王様にならないといけないからね!
……でもぼくはケンカしなくてもイルと仲良しだよっ?」
ああ、もう。何もかもこの子にかなう気がしない。
イルはたまらなくなって彼をぎゅうっと抱きしめた。
小さな庭には、きゃあ! と楽しそうな王子の笑い声が響いた。
***** *****
シュトラエル王子としばらく庭で日向ぼっこをし、薔薇の庭園で遊んだ後でイルは宮殿を出た。
(このままにしてちゃダメだ。
……ちゃんと、ガヴィに謝らなきゃ)
ガヴィのことを色々言ったが、そもそもガヴィはイルの言う事を叶える義務はない。
きちんとお願いするならまだしも、子どもっぽい態度をとったのは自分の方だ。
なのに子ども扱いするなと駄々をこねて、……子どもそのものではないか。
非礼を謝って、ちゃんと――
「――っと!」
「!」
廊下の角を曲がったところでくだんの人物とぶつかりそうになった。
ぶつかる直前にガヴィが手で止めてくれたから大事には至らなかったが。
「どこか行くのか? どこに――」
言いかけてガヴィが言い淀む。
「いや、あー違うな。そうじゃねぇな……」
気まずそうに頭をかく。
(あ、謝らないと! えっと、ええっと……)
急にガヴィが現れたので心の準備ができていない。
軽くパニックになりかけているとガヴィが先に口を開いた。
「さっきは俺の言い方が悪かった。
……ゼファーに説教された。俺は言葉に思いやりが足りねぇって」
お前も息抜きしたかったよな、ごめんな。と言われて目の奥がぐっと熱くなる。
(ダメだ、ダメだ! こんなことで泣いたら益々子どもっぽいって思われる……!)
無理矢理涙を引っ込めてガヴィを見上げる。
「……私もごめんなさい。心配してくれたのに我が儘言って。反省してます」
そう言って素直に頭を下げた。
ガヴィは目をパチクリとさせると、イルの頭に手を置いてクシャっとやった。
「お前はよ、素直なんだか頑固なんだか」
調子狂うわ。と目を細めて笑う。
その顔を見て突然騒ぎ出した胸に、
イルは唐突に、ガヴィのことが好きだな、と思った。
自覚した思いに鳴る胸をおさえながらガヴィの隣を歩く。
ガヴィはそんなイルの様子に気づくこと無くいつもの様に話し出す。
「……長くは無理だろうけどよ、陛下に許可もらって何日か屋敷に行けるように頼んでやるよ。今から陛下のとこに行くけどお前も行くか?」
ガヴィの提案に、イルはぱっと表情を明るくした。
「うん!」
先ほどとは打って変わって浮かれた気持ちでガヴィを見上げた。
「……お前見てるとさー、昔知り合いの飼ってた犬思い出すわ」
何気ない一言にイルの眉が寄る。
「……それって、どおいう意味……?」
「え? だからそのまんまだよ。
黒くてさー俺が寄るとよく吠えたんだよな」
そぉ言うのが一言余計なの!! とガヴィの背中を思いっきり叩く。
ってぇ! すぐに暴力に訴えるな! とガヴィが言い返し、言葉の応酬になる元気な二人の声を聴いて、少し離れた所で二人の会話を聞いていたゼファーはやれやれと苦笑を隠せなかった。
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