第25話 薔薇の庭の内緒話



 色々ときな臭い事件が続いたが、アルカーナ王国は極端な貧富の差や内乱も殆どなく、基本的に安定した豊かな国である。

 近隣諸国との貿易や関係も良好で、資金面も特に問題ない。


 現国王エヴァンクールはまだ二十代ながら、その政治手腕は中々のものであり、何よりアヴェローグ公爵によく似た面持ちで見目麗しい若い王は国民からも人気が高い。

 王妃も侯爵家から出た姫で、早々にシュトラエル王子を産んだため、その立場は安定している。

 先の事件がなければ、普段は本当に穏やかな国なのだ。


 気持ちの良い日差しがぽかぽかと降り注ぐ午後、イルはシュトラエル王子とアグノーラ王妃と共に薔薇の庭園の東屋でひと時を過ごしていた。

 東屋のベンチでは王妃が趣味の刺繍ししゅうを、王子はテーブルでイルと一緒にお絵描きをしている。

「でね! これがイルだよ!」

 にこにこと紙に描かれたイルを指さし、可愛く描けて良かったぁ、などと笑うものだからイルは彼を天使かと思った。

(シュトラエル様ってなんでこんなに可愛いんだろう)

 国王一家の人柄が穏やかだから、この国の国民性も穏やかなのかも、とイルは目の前の王子を見て思う。下に弟妹がいなかったイルは王子を見て頬が緩みっぱなしだ。

「でね〜……こっちが〜」

(あ)

 説明されなくても解る。鮮やかな赤。

「……ガヴィ」

 シュトラエル王子はぱぁっと表情を輝かせた。

「せいかい〜!! ガヴィは髪が真っ赤だからすぐわかるよねえ!」

 王子は可愛いけれど、今一番思い出したくない人物に、イルは眉間にシワを寄せた。

 その様子に、絵の説明をしていた王子がイルに顔を寄せる。

「……どうしたの? すごいかおしてるよ?

 あ。ガヴィとケンカ?」

 なぜイルの不機嫌はガヴィに繋がっていると思うのか。

 王子にまでそう思われているのはいささか解せないが、実際ガヴィが原因なので否定はしなかった。

 王子はイルの眉間のシワを指で伸ばしながらニコッと笑う。

「ガヴィはおくちが悪いもんねえ〜。

 よくぼくの侍従じじゅうに怒られてるよ! 『シュトラエルさまのごきょういくにさしつかえます!』って」

 そう言いつつ王子自身は気にする様子もなくケラケラと笑っている。

「でもぼく、知ってるんだあ……」

 周りには少し離れたベンチで刺繍を刺している王妃しかいないので、小さな声で話す必要はないのだが、王子は声を控えて小さな手をイルの耳に当てた。

 内緒話のようでくすぐったい。

「ガヴィはね、本当はちゃんとお話できるんだよ。

 でも、なかよしさんにはおくちが悪くなっちゃうの」


 ちょっとおくちが悪くても大丈夫だって思ってるんだよ。えーと、そういうの、なんていうんだっけ? あまえてる? そうそう、そうなんだって父上が。


 そう言って、いたずらっぽく笑う。

 刺繍を刺しながら、聞かないふりをしていた王妃が小さく吹き出した。咳ばらいをして誤魔化す。


 だから僕はね、ガヴィがお口が悪くても平気だよ。



 *****  *****



「………」

「………」

 アヴェローグ公爵の執務室には書類をめくる音と判を押す音しか聞こえない。

「………」

「………」

 トントン。ペラペラ。トントン……

「あ〜〜〜っ! もう! なんだよ?!

 なんとか言えよ?!」

 耐えきれずガヴィが吠えた。

 ガヴィのティーカップはとっくに空になっている。

 ゼファーは書類に判を押す手を止めると、やっと顔を上げて冷えた目でガヴィを見た。顔がいい人間の真顔はかなり迫力がある。ゼファーはふーっと溜め息をついた。

「……君の口が悪いのは百も承知だがね、私はいささか呆れているんだよ。

 ……十近く歳が離れている女の子に、かける言葉くらい選べないのかい」

 ちょっとばかり言いすぎたかと自覚のあったガヴィはギクリとたじろいだ。

 だが、意地っ張りな性格上、素直な謝罪はすぐには出ては来なかった。

「お、俺はお貴族様みてえな歯の浮く台詞は出てこねえよ!」

「貴族云々は関係ない。

 あの子を口説くわけではあるまいし、人としてどうかしてると言っている」

 珍しく怒り心頭のゼファーにピシャリと言われて、流石に返す言葉が出てこない。

「……家族も村も一気に失った子どもが、慣れない土地で奮闘してるんだ。自分の真実の姿にもふたをしなければならない。

 ……少しは配慮してやるのが大人だろう」

 あの子がいなければ、君だって今ここにはいなかっただろう? とたしなめられて、ガヴィは居心地悪く頭を掻いた。

「……わかったよ、謝ってくればいいんだろォ? 睨むな!」

 ヤケクソ気味に答えてゼファーの部屋を後にした。


 そのまま宛もなくウロウロする。ゼファーにああ啖呵たんかを切っただけに、このまますぐ自室に帰る事も出来ないが、今イルに顔を合わせるのも気まずいと言うかしゃくさわると言うか。

 イルよりも、普段穏やかなヤツを怒らせるとなかなかに厄介だ。それに、一応ガヴィも大人気なかったかなとは思っていたのだ。


(あー、どうすっかな……)


 頭を掻きながら回廊かいろうを歩く。

「「あ」」

 執務室を出て階段を降りたところで問題の人物に出くわした。二人同時に固まる。

「………」

「………」

 気まずい空気が流れた。

「……なに?」

 先に口を開いたのはイルだった。

 口調にとげがあるところを見るとまだ怒っている。当然か。

 流石にこれ以上黙っているのも大人として情けない。ガヴィは腹をくくった。

「あー……。今朝は悪かった。

 ……完全に俺の失言だった」

 すまん、と頭を下げる。

 まさかここまでちゃんと謝罪されるとは思っていなかったイルは面食らってしまったが、王子から聞いた話も相まって怒りの気持ちはストンとなくなってしまった。

 でもそのまま許してしまうのもなんだか違う気がしたので、「……お休みの日に街に連れて行ってくれたら許してあげる」と言ってみた。

 また悪態あくたいを付かれるかな? とも思ったけれど、ガヴィはポカンとしたあと、「なんだ、そんな事でいいのかよ?」と情けない顔をしたので不覚にも許そう、と思ってしまった。

 今朝のムカムカした気持ちが嘘みたいに嬉しくなる。

 イルはガヴィの腕に絡みついた。

「ずっと行ってみたかったんだ〜!

 えへへ、楽しみ!」

「……ゲンキンなヤツ」

 ガヴィの眉が下がる。


 兄妹のようにじゃれ合う二人が、だんだんと城の日常となってきて、すれ違う城の人々も笑いを噛み殺しながら二人の隣を通り過ぎていった。



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