据え膳食わぬは男の恥と決めつけられても(☆)【伊織と氷室】

名状しがたき関係(☆)

 ※時系列は「雲煙過眼と成れ」の半年ほど前の話。





(一)



 南条家及び、かの属国との度重なる交戦が続くこと、実に七年。

 紫月の代となってからは防戦のみに徹していた。が。

 今から三年前、『機は熟した』との紫月の鶴の一声で、同盟国軍も併せた十万を超える軍勢を率い、南条領へ侵攻。

 圧倒的な兵力差、一軍の将から雑兵に至るまで鍛え抜かれた武力、敵軍の動きを気味が悪いほどすべて先読みし、手足をひとつずつ捥ぎ取るようにじわじわ追い詰めていく伊織の策によって、攻め入りから三カ月ののち、南条の城は落城。当主含め一族郎党のほとんどが燃え盛る城の中、自害を果たした。


 長年の宿敵・南条家は滅亡した。

 しかし、無事に全軍帰還するまでが戦である。

 特に南条程の大大名となると、滅亡したとて最後の追撃は熾烈を極めるだろう。


殿しんがりは儂が務める』


 軍師は敵方から最も憎まれる立場。

 総大将の紫月を始め、他の将を先に退却させるための格好の目くらましとなる。

 他の家臣団からは『己の立場を考えて物を申せ!』『伊織殿には今後も尾形の為に尽くしてもらわなければならぬ!考え直せ!』と反対され、何なら樹には『ふざけんな!てめぇの役目じゃねぇよ!引っ込んでろ!!』と一発殴られた。


 けれども、『何だ?皆が皆、伊織が死ぬと決めつけて。信用されてないなぁ、気の毒に』と紫月が苦笑し、『あの、美しくもおっかない妾は、伊織が死んだら悲しむより怒り狂いそうだ。想像するだけでこちらまで身震いする』と冗談なのか、本気なのかわからないことを口走る。


『そういう訳だ。己の女子おなごの機嫌は己で取れ。死んだら誰が怒りを宥めてやる?そもそも怒らせないように努めろ。殿の役目を果たした上でな』


 言い方こそ紫月流だが正式な命令を前に、誰もが、樹ですら反対はできず。

 襲い来る激しい追撃に何度も死の危険に晒されながら、伊織の隊は紫月たちが率いる本軍に遅れること三日、無事に尾形領内へ到着した。


 総髪に結った白髪は解け、夜叉のようにばさばさと拡がり。

 濃紫の陣羽織や胴丸、皮膚に染みついた血は、己のものか敵兵の返り血か判別がつかない。刀を振るい続けた腕は痛みも痺れも通り越し、感覚すら失った。

 疲労と貧血、空腹、不眠で今にも落馬しそうだ。最早気力のみで黒緋愛馬の手綱を握り、またがっている。


 隊を率い、城下の大門を潜り、濡羽城まで徐々に近づいていく。

 帰還した伊織たちを、人々は英雄を讃える目で迎え、見送っていく。


 だが、その中でただ一人、冷たく、激しい怒りを宿した鋭い視線を伊織に向ける者がいた。


『危ないっ!』


 群衆から悲鳴が上がり、伊織の隊からも牽制の怒声が響く。

 何事か、と警戒すると同時に、風の速さで隊列に女が──、氷室が飛び込み、黒緋に飛び乗ってきたのだ。


『こっ……の、たわけ!阿呆!!なぜ貴様が殿なんか務めてる!!そんなに死にたいのか!!』

『ちょ、まっ…、いや、誰かがやらねば……』

『なにも貴様がやることないだろうが!!!!しかも自ら言い出したらしいではないか!!』

『ちょ、落ち着……、く、首、絞め……、絞め』

じじいになってからくそわたはらわたの病に罹って、畳の上で死ね!!!!』


 怒りに任せて言いたい放題叫ぶと、氷室は元忍びらしい身のこなしで黒緋から飛び降り、再び群衆の中へと消えていった。


『生きて帰ってもめっちゃくちゃ怒られたんじゃが』

『伊織様。もしやあの女子が、お噂の……』

『おお、そうじゃ……』


 疲労も空腹も眠気もすっかり飛ぶほど呆然としながら、隊を進めていると、側近の一人が馬を寄せ、こそこそ、遠慮がちに話しかけてきた。


『いえ、その……、お言葉ですが……』

『うん?はっきり申せ』

『お噂通り……、いえ、お噂以上に恐ろしい女子ですね……。お美しい分、余計に迫力が……』

『わはは、……否定はせぬ』


 図らずも、氷室の豪胆(すぎる)な行動で、死に体だった隊に少し活気が戻り、その状態で城へと入場した。


 そして、勝ち戦からの戦後処理が終わり、伊織の怪我も癒えた頃からである。


『やや子が欲しい』



 氷室から伊織にそう零すようになっていた。



 当初は南条を滅ぼすことを共通目的とし、氷室とは利害の一致のみで繋がっていたが、次第に互いになくてはならない存在へと変化はしていた。

 けれど、互いに主従以上の情はあっても、男と女の情愛が介在しているかと言えば、おそらく『否』だ。どちらかと言えば『家族』の方がより近いかもしれない。


 氷室が子を欲しがるようになった理由にも見当がついている。

 本人曰く、『長らくお主の傍近くに居る。そろそろ子を作らないと、石女うまづめの妾では周囲の目が厳しくなるやもしれん』ということだが──、やはり、先の南条への攻め入りが原因だろう。

 これまでの戦の陣中には必ず氷室を伴っていたのを、今回は攻め一点の戦ゆえ、屋敷で待たせた。これが却って不安にさせたらしい。


 氷室は幼い頃に落城を経験し、国も一族もすべて失っている。

 伊織の隊列へ飛び込んできた氷室の顔は、激しく怒り狂いながらも、大切な者や穏やかな暮らしを奪われ、失う恐怖を知る者の顔だった。


 だが、伊織は氷室の望みに決して応えようとはしなかった。


 抱けるか、抱けないかで言えば、氷室は伊織の好みではあるし、余裕で抱くことはできる。しかし、抱いたことによって男女間の情が入り込み、紫月から二人に課される任務に支障をきたしたくない。そう思っていたのだが。


 自慢じゃないが、伊織は決して聖人君子ではない。むしろどこまでも凡夫である。

 折を見ては、さらり、ぽつり、しれっと『子が欲しい』と言われ続けたら、ぐらり、傾いてしまう。一年は耐えた。二年目もどうにか耐え抜いた。


 二年と半年を迎える辺りで、耐える自信は失せ──、約七年半近く保ち続けた白い関係に終止符が打たれた。






(二)


 微睡みの中、釣り蚊帳が開かれる気配にうっすらと目が開き、すぐに閉じる。


「起きろ。そろそろ卯の刻午前4時半頃(※夏至の場合)になる」


 肩を揺さぶって起こそうとする氷室へ、目を閉じたまま、大きく腕を伸ばす。

 その拍子に、元々着崩れていた小袖が更に着崩れ、引き締まった胸元と腹が露になる。


「ん~……?寝起きの口吸いでもし……、へぶっ!」

「朝から気色悪い」

「……何も大紋家紋や旗印が模様の出仕用の着物を顔面に落とさなくとも」

「あまりに気色悪くて手が滑った」

「皺になったら」

「自業自得だ」


 観念して、大紋を皺にならないよう顔から剥がし、再び氷室へ渡す。

 厠や手水へ行き、着替える順に並べられた着物を氷室に手伝われながら着替えていく。


 端から見れば、完全に夫婦。

 ひと月程前からは質実共に夫婦同然……なのだが。


「何だ、さっきからじろじろと」

「いや、昨夜は無理させ」

「黙れ助平爺。朝議用に拵えた弁当代わりに食ってしまうぞ」



 閨では雪のように白く、氷のように透き通った、ひんやりと冷たい肌が熱を帯び、赤く染まっていき。蕩けきった顔と声であんなに身悶えているのに。


 毎回狐につままれた気分に陥ってしまう。


 多少なりとも照れが見え隠れすれば、女子として意識するかもしれないが、如何せん、この調子である。


 あまりにも今までと態度が変わらなさ過ぎて、意識する隙が一分もない。逆に意識できないから助かっている。

 本人も妾より腹心の自負が強いからか、今でも『形だけ』と言い張っている。


 ただ、一つだけ言えるのは、互いにこの名状しがたい関係に納得し、悪くないと感じている。


 しかし、名状しがたい微妙な関係だからこそ、厄介な相手につけ込まれることになるとは、この時の二人は思いもよらずにいた。

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