後日談

 ※「雲煙過眼と成れ」から約三か月程のちの話。

 ※そこそこ下ネタあり





 新しい年が明け、月の下旬まで続いた正月行事も終わった。

 月が変わり、平常通りの生活にすっかり慣れきった如月中旬の或る日のこと。

 その日伊織は非番であり、偶然にも同じく非番のたつきを連れて屋敷へ訪れていた。更には氷室に用があるため、あまねも樹より一足先に屋敷へ訪れていた。


「ったく、正月行事の間中散々顔合わせてたおめーらとよぉ、非番の日まで……」


 客間である主殿に案内され、腰を落ち着けると、樹は同じ空間で碁を打つ伊織と周へ早速憎まれ口を叩く。


「じゃあ来なきゃいいのに」

「うるっせーわ!みぃが伊織んとこ遊びに行きたいってやかましいから仕方なくだっつーの!つーか、周こそなんでここにいんだよ。出不精のおめーの方から来るなんて珍しい」

「んー?そう?」

「少なくとも、ただ伊織と碁を打つためだけに遊びには来ねーだろ」

「まあねー……、って、また俺負けそうなんだけど」

「甘いのう。儂に碁で勝てるとでも?」


 ふふん、と、勝ち誇ってみせる伊織に、周は「うわ、なにこの腹立つ顔」と、糸のように細い目を益々細めてみせる。二人の勝負を傍観する樹も「ドヤッてんじゃねーよ。うぜーな」と露骨に不快感を示す。


「なんじゃあ。揃ってきっついのう」


 当の伊織と言えば、二人の暴言を一笑に付し、まったく堪えていない。余裕めいた態度が樹と周には面白くない。


「罵詈雑言なら氷室から毎日浴びせられておる。ちょっとやそっとの暴言なぞ痛くも痒くもないわ」

「要は尻に敷かれてるだけじゃねーか?!」

「むしろ癖になってたりしてね」

「失敬な?!そこまで堕ちてない!変態扱いはやめぬか!」

「変態ってなに?」


(物凄く中身のない)応酬を繰り広げていた三人は忘れていた。

 樹の横でちょこんと座り、その(とてつもなくくだらない)応酬を眺めていたみぃの存在を。

 一点の曇りもない、吸い込まれそうな真っ黒な双眸に見つめられながらの、無垢な問い掛け。純粋さなどとうの昔に失くし、汚れ切った中年男三人は言葉を詰まらせる。


「成人したら教えてやらあ」


 腕を組み、そっぽを向き、にべにもなく言い放った樹に、『あ、うまく逃げた』と呆れつつ、周と伊織は内心よくやったと手を叩く。が、みぃもこの程度ではごまかされない。


「しょっちゅうしに来るやつのこと?」

「もういい分かった今すぐ黙れ。おい伊織。おめーもなんか言え。むしろ言ってくれ。元はと言えば、おめーのせいだかんな?!」

「ええぇぇ……、儂のせいかぁ?!」

「そっか。わかった。が好きなやつのことか」

「いや、全っ然わかってねーし、ちげーから!!」

「みぃちゃん違う。本当違うからね?違わないけど絶妙に違うから」


 純粋無垢な少女にどう説明すべきか。

 おろおろ、ただただ困惑するだけのどうしようもない中年男たちだったが、そこへ救世主が現れる。


「いったい何の騒ぎか。廊下まで丸聞こえなんだが?」


 片身替わりの小袖に、お気に入りの月白色の打掛姿の氷室が眉を潜めながら主殿へ入ってきた。氷室は手にした盆から、薄茶と茶菓子を四人分並べていく。


「あ、氷室」

「みぃ殿。待たせたな。薄茶と薄皮饅頭だ。うまいぞ」

「饅頭?!」


 みぃの関心は一瞬にして変態から饅頭へと移った。

 ここでも男たちの心は一つとなる。氷室、よくやった。いい仕事してくれた、と。実際に伊織は口に出す。


「氷室よくやった。いい仕事してくれたのう」

「は?何を藪から棒に。客人へ茶を出すなど普段と変わらぬではないか」


 意味が分からん、と、首を捻ると、氷室は四人より下座に座り、自分の分の薄皮饅頭にぱくり、ぱくりとかぶりつく。瞬く間に薄皮饅頭を食べ終わり、薄茶を二口ほど啜ると、思い出したように周へ向き直る。


「周殿。此度はわざわざ屋敷まで出向いて頂き、まことにかたじけない」

「いいっていいって。そんなに畏まらなくても。氷室ちゃんは気にしないで」

「なんだぁ?もしかして氷室に呼び出されたのか?それこそ珍しいな。てっきり、伊織がまたくそわたはらわた痛めて薬欲しがったのかと」

「うーん、そうだなぁ」


 碁盤を挟んで相対する伊織へ、周は目配せする。

 伊織は少し迷う素振りを見せたが、「あー……、まぁ、氷室がわざわざ皆の前で言うたからのう」と、目線を泳がせつつ、今度は氷室へ目配せする。


「主の言う通り、あたしは別に話してもかまわぬから口にしたまで」

「しかしのう、まだはっきり確定した訳では」

「あ?ちょ、待て、話が見えそうで見えねーんだけど」

「やや子ができた」

「あ……?は?!」


 樹は勢いよく氷室を振り返ったあと、伊織の方を更に勢いをつけ、目玉が飛び出そうな程瞠目し、凝視する。当の伊織は半笑いで樹から思いきり顔を背けていた。


「いやー……、正月行事が一通り終わった辺りからかのう。大飯食らいの氷室の食が急に細くなってなぁ。悪い病にでも罹ったかと慌てたが、『少し前から胸やけが酷い。特に飯を炊く匂いと魚の臭いを嗅ぐと吐き気が止まらなくなる。代わりに饅頭や団子とかの甘味が前にも増して無性に食べたくなる』と──」

「歳の暮れからお馬生理も止まっている」

「そこまで言わんでもいいっ!医者に見せたとしてまだ懐妊が分かる時期でもないし(※時代的に触診で判別するため)、この件ははっきり分かるまではどうか内密にしてもらえぬか」


 大柄な体躯でこれでもかと深く頭を下げる伊織に、「んなこと、いちいち人に言わねーよ」と樹は一蹴する。同調するように周も小刻みに頷く。


「樹と同じく。俺もあえては言わないよ。ただまあ、九割五分確定だとは思うけどね。周りの女子おなごとほぼ一致してるし、俺の娘も死んだ妻の時も似たような感じだったし」

「あたいもそう思うな。だって、死んだ母ちゃんが五郎……、あたいの弟身ごもった時、やたらとげーげー吐きながら畑仕事してたし、飯もあんまり食べられなくなってた」


 みぃは周に同調すると立ち上がり、氷室の隣へちょこんと座った。


「いいねぇ、氷室のややは。母ちゃん、きれいでかっこいいもん」

「みぃ殿」

「父ちゃんは……、ちょっとアホっぽくて残念だけどね。おっちゃん通り越して爺ちゃんぽいし。母ちゃんに似るといいよ」

「「ぶっ!!」」


 みぃの辛辣な伊織評に腹を抱えて大笑いする樹と周に、伊織は「みぃ殿には儂がそう見えるのか……」と若干傷ついた顔で苦笑する。


「当たらずとも遠からずだが、あれでもあたしは一番信に置いている」

「そっか。氷室が許すくらいだもんね」

「…………」

「あたいの姉ちゃんも嫁行く前によばいに来た奴何人かいたけど、気に入らない奴は追い返してたし、近所の姉ちゃんは嫁行くより先に産んで、それから嫁入りしてたし。何にも変じゃないよ」

「おい、みぃ。その辺にしといてやれ。氷室がめちゃくちゃ困ってんぞ。やりたい放題の庶民と武家とじゃ違うんだよ」

「何がどう違うの」


 そんなもん説明できるか!

 問答無用で怒鳴りつけそうになる前に、氷室が「みぃ殿。金平糖はご存じか?南蛮の珍しい菓子だ」と、うまく話題を逸らしてくれた。


「南蛮の菓子?」

「あたしの部屋にある。一緒に食べぬか?」

「食べる!」


 みぃは飛び跳ねるように立ち上がり、ゆっくりと立ち上がった氷室と共に客間から退室していく。


「……末恐ろしい娘御じゃな。樹。其方、覚悟しておくといい。色々と」

「おめーと一緒にすんな!」


 去っていく二人の背中を見送りながら、気の毒そうにポン、と肩に置かれた伊織の手を、樹はいい音を立てて振り払う。

 そんな二人を、どっちもどっちだと思いながら、周は完敗した碁盤の盤上をちら、と見下ろしたのだった。







 後日談(了)






 ※逆算すると、紫月に命じられる前には……っぽいので、命令されるまでもなかったようです。

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