逃走の果て

「成る程。那邦の生き残りが絡んでいたとは。さすがに思いも寄らなんだ」


 伊織は、空になった茶器を丁寧な手つきで畳へ、直に置くと姿勢を崩し、胡坐へ切り替える。その正面、伊織の胴服をしっかり着込んだ氷室が言葉を続ける。


「当然だ。那邦が尾形を攻める理由などない。国を奪った憎き南条を滅ぼしてくれたのだから」

「それはのう、其方そなたの私見じゃ」

「私見だと?」

「怒るな怒るな。最後まで話を聴け」


 眉を深く寄せ、凄みのある目つきで詰め寄りかけた氷室を、伊織は鷹揚な仕草で宥めた。


「話の続きの前に一つ問う。お救いの小屋の男衆に見覚えはないか?那邦の大社に仕えていた者か、城館に出仕していた者か」


 氷室の静かな怒りが瞬時に消えると共に、切れ長の瞳が物憂げに伏せられる。


「わからない。わずかな狭い隙間から全員の顔かたちの確認はしたが……。あたしの記憶にある那邦の者は血縁を含め、ほとんど死んだ」

「……そうか。辛いことを思い出させた」

「別にかまわん。昔の話だ。ただ……、側室腹の幼いあたしじかに接する者、特に男となると……、数は限られてくる筈。それでも覚えていない、ということは」


 氷室の形の良い細眉が、再び顰められた。


「何か思い出したのか?」

「……否、何でもない。此度の件に関わりないだろう上に、あたしにとって物凄く面白くないことだ」

「其方がそう言うのであれば、訊くのはやめておこう。……問いの前の話に戻す。これもまた、儂の私見に過ぎぬのだが。那邦の生き残りたちは南条が滅んで欲を起こしたのかもしれぬ」

「欲?」


 伊織は両腿を同時にポンと叩き、少し前のめりになる。

 伊織の顔が近づいたことで、氷室の背も反射的に少しのけ反った。


「那邦の再興じゃ」

「那邦の、再興だと……?」

「従属せざるを得なかった南条は滅びた。尾形に対する恨みはないものの、いずれは領地の一部を奪い、新たに国を興す気でいる。だが、おそらく人数自体は少ない。ゆえに資金調達も、違法賭博やお救いの小屋経由などの地味な方法なのであろう。南条の名を騙る理由は、情報撹乱し、我らにしなくてもいい残党狩りをさせ、計画実行までの時間を稼ぐため。そんなところではないかのう」


 淡々と語ったのち、伊織はさりげなく氷室の顔色を窺う。

 伊織の私見に気分を害した様子もなく、能面顔は変わらず。感心半分呆れ半分でこう言ってきた。


「よくまあ、そのような分かった口を叩けるものだ。でも、お主の私見はすべて真実まことだと思わされる」


 悔しいことにな、と、とどめに嘆息までされてしまう。


「え。それ、儂、褒められてる?貶されてる?どっち?」

「さあ?好きなように受け取るが良い。で、明日あす以降どう動く?あたしは今宵中にもう一度お救いの小屋へ戻ればいいか?さすれば、また化粧せねばならぬな」

「否、戻らなくてもいいから化粧を落とさせた。夜が明ける前までにやってもらいことがあってな」

「まだ働かせる気か。人遣いの荒いあるじめ」

「まことにすまぬのう。だが、今度は儂も一緒じゃ。共に夜を明かそう」


 スッ……と、手本のような美しい所作で、伊織は静かに立ち上がる。

 伊織の足元で燈明の炎が大きく揺れ、掻き消えそうになった。


 小袖一枚の軽装なのに、伊織は打刀うちがたなを帯刀している。

 格子窓から朧に月光が差し込む。儚い光に美しさよりも嫌な予感を覚えた氷室へ、伊織は懐から女物の懐剣を投げ渡す。


 どすりっ、どすどすっ!

 氷室が懐剣を宙で受け取った直後、茅葺の屋根に鈍い衝撃が走り──、二人の鼻先を続けざまに三本の火矢が掠めていく。


「おぉっとぉおお!?」

何奴なにやつ!!」


 氷室は声を荒げ、手にしたばかりの懐剣を抜き、構える。

 外だけならともかく中の火矢は……、格子窓の枠間隔の広さが仇となったようだ。

 外からも内からも焦げ臭さが立ち込め始める。


あるじ!早くここから出ろ!あと、家人たちを……!」

「落ち着け。郷長一家や下男下女たちならすでに別所に退避させてある。後程、紫月様に願い出て、彼らのために新たな屋敷を作っていただかねばならぬのう」

「お主まさか……、襲撃を予測して一人になっていたのか?」


 壁に移った炎は少しずつ燃え広がっていく。

 氷室の問いには答えず、伊織はのんびりと壁に突き刺さった矢を強く握り、抜き取ろうとした、が。


「あっつぅ!」

たわけ!半分近く燃えた矢に触れる阿呆がいるか!とにかく、煙に巻かれる前に早く!!」

「わかっておる。わかっておるが」


 伊織はしゃがみ込むと、足元に転がる茶器を手に取った。

 そんなもの捨て置け!と氷室は叫びかけ……、叫ぶ前に畳の下から突き出た刃から身を翻す。


「危ないっ、のう!!」


 続け様に足元から繰り出される刃に突かれそうになりながら、伊織は叩き折る勢いで切っ先を茶器で受け止める。横からぶつける形だったため、茶器は大きく欠け、刀身に罅が入った。

 思わぬ反撃と刀に入った罅への動揺か、狼藉者の動きが大幅に鈍ったが、畳に突き刺さった刀を放り出し、床下から駆け去っていく。


「主!今の内に!」


 懐剣を持たない方の手を伸ばし、氷室は伊織の腕を強引に掴んで上がり框から三和土へ飛び出し。戸口を力任せに蹴倒し、伊織と共に屋外へ脱出──、するなり、夜闇に紛れ、二人に狙いを定めた矢が飛んでくる。氷室は懐剣で、伊織は鉄扇で、襲い来る矢をすべて払い落とす。


 どの郷でも共通するのは、低い土地で隣近所同士密接に固まる他の民家と違い、長始め有力者の屋敷は見晴らしの良い高い土地にある。


「郷長たちは逃がしたが、他の郷人たちは無事かのう」


 またいつ矢が飛んでるか、もしくは暗闇から斬り込まれるかの非常事態なのに、伊織は心配げに眼下の家々を順に見下ろした。


「まあ、いざという時のために樹に郷を守るよう頼んでおいたが……、おおう?!」

「まずはこの状況を打開しろ!」


 止んだかと思った矢が再び二人に向けて飛ばされる。

 秋の夜空に浮かぶ星まで焦がさんと、炎と黒煙が二人の背後で渦巻いていく。

 流れ込む熱波と灰に軽く咳き込みつつ、二人で矢を払い落としながら、まだ炎が届いていない厩へ回り込む。


 厩の中、伊織の愛馬は暴れこそしていないが、うろうろ、うろうろと動き回り、しきりに鳴き声を発していた。伊織の姿を認めると、恐怖と不安を訴えるように柵越しに身を寄せてくる。


「どーどー、どーどー、黒緋くろあけ。落ち着け。落ち着くのじゃ」


 怯える愛馬を抱き寄せるように首を撫で、低く優しく声を掛ける。

 その間も飛ばされる矢は氷室が一つ残らず懐剣で叩き落とし続ける。


「黒緋はまだ落ち着かぬか?!火の手が厩まで回りそうだ」

「そういう訳じゃ、黒緋。すまぬ。怖ろしいだろうが、そろそろ儂らを乗せてくれぬか」


 伊織が鼻先をぽん、と軽く叩くと、黒緋はぶるるっと小さく首を振り、前脚でそっと柵を蹴る。

『乗せてやるからここから出せ』という意思表示だと察すると、伊織は速やかに黒緋を厩から連れ出し、颯爽と背に乗る。飛矢を警戒しつつ、氷室も黒緋の背に騎乗する。


「主。黒緋に乗ったはいいが、今からどうするつもりだ」

「城下へ戻る」


 今から城下へ向かったとて、どんなに馬を走らせても明日の早朝以降にしか到着できない。そもそも何のために。

 紫月に噂の真相を報せるためにしても、ただ噂の真相を報せるだけ、具体的な対策もなしに?


 それよりも襲撃者と真っ向から対峙し、討ち取るべきではないのか──、などと、心中で悶々としつつ、氷室はあえて口にはしなかった。

 伊織は無駄なこと、意味のないことはしない。必ず考えあってのことだと信じることにした。


 馬は夜目が効かないというのは間違いで、人よりもはるかに広く優れた視野を持つ。

 加えて、黒緋は領内でも五指に入る駿馬。真夜中にも拘らずよく走り、あっという間に追撃の手から逃れ、半刻もしない内に城下町へ繋がっていく広い街道へと出た。

 昼間は絶えず人が行き交い、両の道沿いに軒先を並べる様々な店が賑わう街道も夜の静寂しじまに支配されていた。


「主!郷はとっくに出た!そろそろ真意を教え」

「まだじゃ。郷は出たけれども、まだ終わっていない。むしろ、これからじゃ。氷室。南条が戦に強かった理由は分かるか?」

「は?何故、急に南条が出てくる。今問題なのは那邦の生き残りについてだが」

「だーかーらー、話を聴け?南条の最大の強みは優れた弓兵きゅうへいの大部隊。敵に間合いを詰められないためでもあり、逆に敵を射程内に誘い込み、弓で皆殺しするため。先程の弓の射者、人数までは把握できぬが、相当腕が立つと見たし、火矢の矢羽に鷲の石打尾羽根の1番外側が使われておった。そのような最上級品、近隣諸国で使っていたのは南条だけ」

「まさかと思うが、南条の弓兵部隊に元那邦の生き残りが所属していた、とでも?」

「その通り。あくまで予想だがの」


 認めたくないけれど、伊織が言うとやはり真実まことに思えてきてしまう。

 氷室自身、南条の忍びの元で得た戦闘や諜報の力があるからこそ、伊織の腹心的立場にいる訳で。


「にしてものう。南条に従属していた那邦の生き残り、想定以上に多そうじゃあ」

「あたしとて想定外だ」

「案外、郷の有力者や奉行所の中にも紛れておったりして……、おおう?!」


 黒緋が突然鋭くいななき、後ろ足で立ち上がる。

 街道沿いの店の裏手から、刀を手にした複数の影が現れ、二人を取り囲んだからだ。

 氷室は素早く鞍から飛び降り、息つく間もなく初手に繰り出された一撃をするりと躱し。続いて繰り出される斬撃も、蝶が舞うように、ひらり、ひらひら躱していく。


「この女!ちょこまかと!!」

「主!早くね!」

「そうはいかぬわ」


 伊織は鞍から降りると、「黒緋!行けっ!」と愛馬の尻を強く叩いた。

 黒緋はもう一度高くいななくと、闇の中、伊織たちが進もうとしていた城下の方へ駆けて行く。


「主!貴様、まことの阿呆か!!何をしている!!」


 次々と繰り出される刃を懐剣で受け止め、横へ受け流し。

 隙を見ては間合いを詰め、目潰しや蹴り技など体術で応戦しながら、氷室は伊織を怒鳴りつける。


「いやあ、何をって?」


 頭をがしがし掻き、答えあぐねる伊織の背後から三人、白刃煌めかせ飛びかかってくる。


「遅い」


 三人分の刃が届くか届かないかの瀬戸際。

 伊織は低く冷たくつぶやき、振り返りざまに抜刀──、と同時に三人を容赦なく斬り捨てた。

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