昔がたり・弐(四)(☆)

 一夜明け翌日、辰の刻から未の刻に変わる頃午前九時~十時頃

 濡羽城評定の間に置いて、紫月と数名の重臣が集まって会議を行っていた。


 畳を敷き詰めた大広間に集いし家臣団には、出仕用の大紋家紋や旗印の入った礼服を着用した樹、周、伊織の姿も含まれている。

 堅苦しい場が苦手でめんどくさそうな樹を、隣の席で周が時折気にかけるように横目で様子を窺い。伊織はというと、二人より上座に座り、さりげなくくそわたを擦りながら、本日の議題を説明する。その内容は……、他国から相次いで寄せられた縁談話について。つまり、紫月の正室選びの話し合いだ。


 昨日とは打って変わり、伸ばしかけの髪を隠す頭巾を被り、赤と黒の片身替わりの胴服長羽織と絹の小袖を着て、紫月は最上座に用意された高座で話し合う家臣たちを眺める。


 縁談話が舞い込んだ場合、適当に、もとい、角が立たない理由をつけてすべて断れと、祐筆役の伊織に命じていたのだが──、主になって会議を進める伊織をちら、と見やる。平素はへらっと情けない笑みを常に湛えているのに、今日の彼の顔からは笑みが消え、疲労が明らかに滲んでいた。

 他国と結婚は同盟と同義。国の先行きを左右する重大事項となると、さすがに伊織一人で決めるには荷が重かったようである。


 ほんの少しだけ、伊織に悪いことをした、と反省しつつ、踊ってはいても遅々として進まない会議には正直うんざりさせられる。軍議や評定であれば紫月自身も積極的に会議に参加し、時に家臣たちと意見を戦わせたりなどするのだが……、こと、己の縁談となると、口を挟む気にもなれない。


 伊織が懸念したように、紫月は同盟のための婚姻を最も厭う。

 姉・杜緋が同盟(と見せかけて、相手国の領主暗殺)目的で四度も婚姻繰り返し、嫁ぎ先が変わるごとに心を閉ざしていったからだ。

 姉への個人的な心情を抜きにしても、婚姻による同盟など不安定で宛てにならない。


「……様、御館様!皆の話を聴いておられましたか?!」


 会議が始まってから一言も発しない紫月へ、最年長の老臣が業を煮やし、呼びかける。この者はかつての紫月の傅役。上の空でまともに話を聴いてなかったことなどとっくに見抜かれていた。


「すまぬ。何も耳に残っておらん」

「御館様!!!!」


 包み隠さず正直に伝えると、案の定、ほとんどの家臣がいきり立つ。

 憤らなかったのは、やっぱりねぇ、と肩を竦める周と、脱力しつつ更に胃を強く押さえる伊織くらいである。


「紫月様よぉ、おめーは先代や紅陽よりは賢いし、決してうつけなんかじゃねぇ。何か考えがあっての上で話を聴いてなかったんだろ?」


 樹が平静をどうにか装い、ぎらついた目つきで紫月へ問う。

 すかさず口の利き方が無礼だと叱責があちこちから飛んできたが、かまわず、「俺たちも暇じゃねぇ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれよ」と樹は続ける。


「……たしかに、言わなければ伝わらないな。では、皆に正直に話そう」


 ざわついていた大広間が瞬く間に静まり返る。

 家臣団全員が姿勢を正し、紫月に注目した。


「同盟を兼ねた結婚は砂上の城のようなもの。脆く、頼りなく、あっけなく破棄される例は後を絶たぬ。一時の間は国への脅威が減るだろうが、未来永劫ではない。妻に迎えた姫が私の命をひそかに狙うことも有り得る。そこまで至らなくとも、尾形家や領内の情報を実家に逐一知らせかねない他国の姫は信に置けぬ。立て直しを始めてまだ日の浅い時に、信頼できぬ者を妻に据える気になど私はなれん。我が室に迎えるとしたら、私は自国の娘が良い」


 他国の姫ではなく自国の娘を妻と定める。

 我ながら武家の常識から外れたことを口にしている。

 家臣団も、特に年配の者は、信じられない、非常識だ、と言わんばかりの顔で紫月に厳しい眼差しを向けてくる。


「お、おそれながら……、側室ならまだしも、大名が自国の娘を正室に迎えるなど、前例がありませぬ」

「だろうな」

「だろうな、では……」

「そう考えるのも妻に迎えたいと心に決めた者がいるからかもしれないが」


 評定の間に大きなどよめきが巻き起こり、再び騒がしく……、否、先程よりも騒がしさが増していく。


「御館様!成りません!庶民や下級武士ならいざ知らず、大名たるもの野合当人たちが勝手に恋愛結婚するにて正室を迎えたいとは前代未聞!許されることではありませぬ!!」

「自国の者を正室などに据えれば、此度縁談を申し込んできた各国にも示しがつきませぬ!」

「御館様、どうかお考え直しを!何卒、お考え直しを!」

「皆様、皆様~。一旦落ち着きなされ」


 会議を続けるどころじゃない程、収拾つかなくなりかけた時だった。

 場にそぐわない、伊織の気の抜けた声が喧騒を通り抜けていく。


「紫月様のことじゃ。単に好いた惚れただけで、ご内室様をお迎えしたい訳ではありますまい」

「しかしながら」

「紫月様、不躾を承知でお訊きします。どちらの家のご息女をお迎えしたいと考えていらっしゃいますか?」

「蘇芳だ」


 伊織は思いきり首を捻ると、「もう一度ご確認よろしいでしょうか?」と再び同じ問いを繰り返す。紫月は静かに、けれども、はっきりとその名を口にした。


「蘇芳だ。樹の異母妹の」


 再び、広間の喧騒がぴたり、止む。

 伊織が自席を離れ、樹の隣席の者と入れ替わる。元から樹の隣席の周の顔つきも変わる。

 二人の行動によって、樹がいつ暴れ出してもおかしくないと、家臣団の間に緊張が走る。


何故なにゆえ、蘇芳様をご内室に迎えたいと?」


 樹の動向を横目で気にしながら、伊織は淡々と問いを重ねていく。



『幼い頃から彼女を好いている』



 そう答えられれば、どれだけ楽か。

 だがしかし、一番許されない答えでもある。

 かと言って、嘘などもっと言える筈がない。


 紫月は数瞬、考えを巡らせたのち、ゆっくりと口を開いた。



「理由は三つ。一つ、有力かつ敵に最も回したくない家臣との結束を強固にするため。二つ、蘇芳殿には出産経験があり、確実に子を望めるため」


 二つ目の理由を伝えた段階で、樹が奥歯をがきり、鳴らす音が紫月の元まで届く。彼の両隣の伊織と周の表情が益々強張っていく。


「最後、三つ目。蘇芳殿の息女・桔梗殿を尾形の姫として育てたい。かの娘御の立場は非常に複雑だ。今後その立場につけ込み利用し、尾形に仇なそうとする輩が現れないとも限らない。易々と利用されないためにも、尾形家の庇護下に置きたいが、母娘の間を引き裂きたくもない」


 樹は黙って話を聴きながら、身体を震わせ、血走った目で紫月に睨みを利かせてくる。殺気がかった視線を、紫月は真っ直ぐ受け止める。


「樹。私では役不足か?」

「…………」

「蘇芳殿の夫、桔梗殿の父となるには役不足か?」

「…………」


 この場の誰もが、紫月と樹の動向から目を離せないでいる中、樹はさっと立ち上がった。大小二本は畳に置かれたままだが油断はできない。周と伊織は益々警戒し、腰を浮かせる。


「……紫月様よぉ、今話したことは本音か?本当に、心の底からの本音で言ってんのか?」

「…………」

「答えてくれ。他の奴等がどう思おうが関係ねぇ。俺は紫月様の嘘偽りない本心が聴きてぇんだ」


 上座と下座の違いはあれど、主君を見下ろすなど家臣にあるまじき行いだが、誰一人樹を咎めようとしない。咎める空気ではなかった。

 紫月は目を伏せ、再び思案する。長い睫毛の陰が憂い顔をより儚く美しく見せていた。


「……皆にあらかじめ言っておこう。今から私が話すことは領主としてではなく、一一人の男子おのことしての言葉。樹以外の者は聴いたその場で忘れて欲しい」


 伏せていた目を、顔を上げ、樹を今一度見上げると、紫月は大きく息を吸い込んだ。


「正式な妻は蘇芳殿以外有り得ん!蘇芳殿を娶れないのであれば……、私は一生妻帯せぬ!!」


 立場も尊厳もかなぐり捨て、想いの丈を吐き出せば、思いの外、羞恥よりも晴れやかさが勝った。

 樹は言うと、滅多に大きな声を出さない紫月が声を張り上げ、恥ずかしげもなく義妹への愛を叫んだことに呆気に取られ、ぽかんとしていた。が。


「は……、はああああぁぁぁぁああああ?!?!んなっ……、ま、ちょ、はああああ?!?!お、おい、って、おお?ああ?!って、いってぇ!!」


 我に返るなり、樹は畳に脚を滑らせ、弾みで己の大小につまづき、派手にすっ転んでしまった。


 樹の卒倒ぶりに会議は中断せざるを得なくなり、紫月の縁談話の行方は結局有耶無耶に終わってしまった──、かに思えた。



















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る