第43話 黒い計画
ようやく訪れた平和を打ち砕くような突然の魔物の襲来、しかもそれが希望を胸に抱いて土地を開拓していた冒険者が変異して引き起こされたという事態に、いつもは楽しげな声で賑わうフィナンシェの街は阿鼻叫喚の地獄絵図へと化していた。
冒険者全員が魔物化したわけではなかったが、いつ魔物に姿を変えるかわからない冒険者を街の人は恐れ、一部の者は殺られる前に殺れ、と数で冒険者に襲い掛かることもあった。
憲兵や騎士団が市民の避難誘導を行ったが、それもたいして意味を成さなかった。
人が突然魔物になったのだ。ならば、目の前の人が魔物にならないとどうして言い切れる。
誰もが疑心暗鬼に陥っている状況で、憲兵や騎士の話をおとなしく聞き入れる者は少なかった。
※
「この国が終わっていく声が聞こえる……」
満月の光が降り注ぐ闘技場の真ん中、円状の幾何学模様が描かれた中心で、両手を振りながら、外の喧騒に耳を傾けて静かに瞑目する者がいた。
その者の脇には灰色のフードを被った、燃えるような赤い目をした二匹の魔物、バンシーが天を仰いで叫んでいた。
しかし、その口から発せられるはずの声は何も聞こえない。
だが、その者にはバンシーの声が聞こえているのか、まるで歌う魔物たちを指揮するように優雅に手を振っていた。
そのまま悦に浸るように手を振り続けていたが、
「……来たわね」
小さく声を発し、闘技場の客席へと目を向ける。
※
「はぁ……はぁ……はぁ……」
そこには荒い息を吐きながらこちらを見下ろす勇者ロイと、彼の仲間の姿があった。
ロイは一息で闘技場の一番下まで飛び降りると、怒気をはらんだ声で叫ぶ。
「どうして……どうしてこんな事をするんですか。イリスさん!」
ロイからの糾弾を受けて、イリスは口に手を当てて上品に笑い出す。
「どうしてって……ロイ君は面白いことを聞くのね。フフフ、アハハハハハハ……」
何がそんなに面白いのか、イリスはお腹を抱えて子供のように無邪気に笑う。
国一つを未曾有の危機に陥れたにも拘らず、そのことをまるで気にしていない様子は、人として大切な何かがごっそりと抜け落ちてしまっているようで、どこか不自然に見えた。
「イリスさん。ちゃんと答えて下さい! この国の現状を憂い、ナルキッソスに情報を与えて少しでも格差を是正しようとしていたあなたが、こんな全てを壊すような事を……」
「あらあら、そこまで知っているのにロイ君は何もわかってないわね~。私は最初からこの国を壊すつもりだったのよ~」
「なっ……」
「冒険者にナルキッソスと名乗らせて貴族の館を襲わせたのも、街の人を攫わせたのも全部私がやってきたこと。全てはこの国を壊すためにね」
「ば、馬鹿な! 人攫いを指示してたのもイリスさんだと言うのですか?」
衝撃の告白に、ロイは思わず聞き返していた。
「そうよ。闘技場で戦わせる魔物の調達に、魔物になってもらう人が必要だったの。だから、金に困っている人間を集め、消えても騒がれない人を中心に人攫いを続けてきたの」
「それじゃあ、闘技場の魔物は全て……」
「そう、み~んな、元は人間だったのよ」
人間の魔物への変身……それこそが魔物研究の第一人者であり、闘技場を経営するブルローネ侯爵家の悪魔の研究、竜王の庇護下になくても活動できる魔物の正体だった。
「考えられる? ブルローネ家では十年以上も前から金に物を言わせて国民を攫い、闘技場の魔物を補充し続けていたのよ。だけど、国にその事実が知られることはなかった」
「な、何故?」
「ロイ君も既に知ってるでしょ? この国は親しい人間がいなくなっても誰も関心を持たないからよ。そんな人に優しくない国なんて、滅んでしまえばいいと思わない?」
嘲笑を含んだイリスの言葉に、ロイはすかさず反論する。
「そんな事ないです! 人にはそれぞれ生き方や考え方があるんです。他人に興味を持っていない、人に優しくないからなんて理由で、その人自身を否定していいはずがない!」
他人に積極的に関わり、献身的に尽くす事に喜びを感じる人も当然いるはず。
一部の自分勝手な人間を見て、全体を判断するのは早計過ぎる。
ロイの必死の訴えに、イリスは鷹揚に頷く。
「ええ、充分承知しているわ。私も国を壊すとは言ったけど、この国に住む全ての人を殺すつもりはないわ。それに、本当はこんなに早く事を起こすつもりはなかったの」
イリスの計画では、怪盗ナルキッソスを効率的に使い、悪徳貴族の財産をゆっくりと、真綿で首を絞めるように搾り取り、力を失った所で一気に国ごと転覆させるつもりだった。
しかし、途中で予想外もしなかった出来事が起きる。
人攫いが起きた現場で、ナルキッソスの犯行を示すカードが発見されたのだ。
「ナルキッソスは悪徳貴族を懲らしめる正義の義賊だったのに、人を攫っているなんて悪評が広まった所為で、ただの悪党に成り下がってしまった。しかも、これまで事件に興味を持たなかった王が解決を願ったことにより、とある人物に依頼するまでになったのよ」
その人物が誰であったかは言うまでもない。
「…………」
イリスからの憎しみの篭った視線を受けて、ロイは構えるように顎を引く。
しかもロイは、イリスの予想を超えて優秀だった。
今まで誰も捕捉する事ができなかったナルキッソスのコンタクトに成功したのだ。
「それもこれも、連中が私の家を勝手に標的するからよ。誰の差し金か知らないけど、金の為なら誰にでも尻尾を振る。そんなプライドもないクズみたいな考えだから、ロイ君にあっさりと見つかるのよ」
ロイはナルキッソスと王の会談の場を設け、一気に問題の解決を図ろうとした。
もし、この会談が上手くいけば残る問題は人攫いだけとなる。
そうなれば、イリスに手が回るのも時間の問題だった。
故に、イリスは計画を一気に前倒し、全てを壊す決断をした。
「本来なら、国が衰退したところで関係ない人を国外に逃がすつもりだったんだけど、ロイ君が全てを台無しにしてくれたからね。今日、罪もない人が死んでいくのは、全てロイ君が悪いんだよ?」
イリスは口に手を当てると、声高々に笑い声を上げる。
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