第41話 少女の慟哭

 その後も、ロイは必死に狭い室内を駆け回って致命傷を避け続ける。


 だが、クロクスが三次元の素早い攻撃を仕掛ける度、ロイの体に新しい傷が刻まれる。

 クロクスも一気に勝負をつける気はないのか、決して深追いはせず、獲物が弱るのをじっくり眺めるようにロイを嬲っていく。


 そしてついに……、


「あぐっ!?」


 とうとうクロクスの攻撃がロイの体をまともに捕らえ、彼の体が易々と宙を舞う。

 吹き飛ばされたロイは、派手な音を立てて檻へと叩きつけられる。


「ガハッ! ゴホッ……ゴホッ」


 背中を強打したロイは、肺の中身と一緒に大量の血を吐き出す。


「し、しまっ……」


 頭も強く打った所為で意識が朦朧とし、目の前にいるはずのクロクスの姿さえまともに見えなくなってくる。


「ガルル……」


 クロクスは悠然とした足取りでロイの目の前まで辿り着くと、止めを刺すべく両手を組んで頭の上で構える。


 丸太のように太い腕を振り下ろし、ロイの頭を潰すつもりなのだろう。


「そう簡単に……俺を殺せると思う……なよ」


 絶体絶命の状況に追い込まれても、ロイは生きる事を諦めてなかった。


 これまで似たような状況はいくらでもあった。


 死を覚悟した回数だって一度や二度ではない。


 だから、どうにかする……どうにかしてみせる。


 ロイは定まらない視点のまま、振り下ろされる手を、歯を食いしばって睨み続けた。



 そんなロイの想いが実を結んだのか、


「ガ、ガオオオオオオオオオン!!」


 突如としてクロクスがくぐもった悲鳴を上げ、苦しげにのた打ち回る。


「な……に?」


 何事かと思っていると、クロクスの背中に三本の巨大な氷柱が突き刺さっているのが見えた。


「ロイ、大丈夫!?」


 懐かしい声が聞こえ、ロイが目を向けると杖を構えたエーデルが現れる。

 どうやらクロクスの背中の氷柱は、エーデルの唱えた魔法が原因のようだった。


 しかも、現れたのはエーデルだけではなかった。


 エーデルの後ろから二つの影が颯爽と現れ、牢屋の鍵を開けると一人はクロクスに立ちはだかる様に武器を構え、もう一人はロイの傍に跪くと、回復魔法を唱える。


「先程は失礼しました勇者様。今度はちゃんと助けますから、私を信じて下さい」

「ネルケさん……助かります」


 ロイは気にしていないと、ネルケに向かって微笑む。


「見ててね、ロイ。ボクだって冒険者なんだからね」

「リリィ、待っ……ゴホッ、ゴホッ!」

「い、いけません、勇者様。どうかお静かに!」


 今にもクロクスに襲いかかろうとするリリィを止めようとするロイだったが、咽からせり上がってきた血の所為でまともに喋る事ができず、ネルケに窘められてしまう。


「よくも、ロイを!」


 リリィは腰のダガーを抜くと、背中の氷柱を抜こうともがくクロクスの死角に入って、円を描くように動いて隙を伺う。


 クロクスは背中の氷柱を抜こうと必死で、リリィの事など眼中にない。


 身を低くし、滑るように移動したリリィは、クロクスの左側面から近付いて手にしたダガーを鎖骨目掛けて突き刺す。


 そこまで来たところで、リリィの接近に気付いたクロクスが手を振り上げるが、


「やあっ!」


 手が振り下ろされるより早く、ダガーが鎖骨下の隙間へと突き刺さる。


「ギャアアアアアアアァァ!!」


 叫びながら繰り出された爪を回避したリリィは、後退しながら背後に向かって叫ぶ。


「エーデルさん!」

「わかってる。ライトニングボルト!」


 リリィが呼びかけると同時に、既に詠唱を完了していたエーデルが魔法を発動させる。


 エーデルの杖の先が黄色く光り、一条の閃光となって部屋を光で満たす。


 フロッシュ公爵に向けて撃ったライトニングボルトとは全く違う、全てを消してしまいかねない光の帯は、途中から意識を持っているかのように一点へと集まる。


 そう、リリィがクロクスに突き刺したダガーへと……、


「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 ライトニングボルトを受けたクロクスは、ダガーを通じて体の内部から電撃に焼かれるという苦しみに絶叫を上げる。

 魔法から逃れようと必死にもがくが、まるでエーデルが持つ杖と、クロクスに突き刺さったダガーが、一本の強い糸で繋がれているかのように互いを強く結んで放さない。


 地下牢に満ちた暗澹たる空気を吹き払う眩い迅雷に焼かれ続けたクロクスは、閃光が尽きると同時に地面へ倒れる。


「……ふぅ」


 人狼が完全に沈黙したのを確認すると、女性陣は揃って安堵の溜め息をつく。


 しかしただ一人、人狼を倒した事を喜べない者がいた。


「ああ、リリィ……なんてことを……」

「……ロイ?」


 ネルケの制止を振り切り、ロイは這うように前へ進む。

 リリィが怪訝な顔で見守る中、黒こげになった影のすぐ脇へと移動したロイは、腹の下に手を入れてうつ伏せに倒れていた影を仰向けにしてやる。


「――っ!?」


 その瞬間、リリィの息を飲む声が聞こえた。


 仰向けになった人狼は、全身の毛が抜け落ちてその中、クロクスの顔が露わになっていた。


「に、兄さん。どうして……」


 兄の姿を認めたリリィは、血の気を失った顔を両手で覆いながらその場に崩れる。


 自分でも何が起きているのか、理解できていないようだった。


「…………こ……は?」


 すると、意識を取り戻したクロクスが蚊の鳴くような声で呟く。


「自分に何が起きたかわかるか?」

「君は……そう……か……僕は……」


 ロイの顔を見たクロクスは、それだけで全てを悟ったのか静かに目を閉じる。


「兄さん! ボク、ボクは……」

「リリィ……どうしてお前まで……」

「兄さんとロイを助けに来たんだよ。でも、まさか兄さんが魔物になっているなんて知らなくて……ボクが……」


 それ以上は言葉にならず、リリィは嗚咽を堪えるように口を押さえる。

 クロクスはリリィの目から流れてきた涙を拭ってやると、弱々しく微笑む。


「リリィが悪いんじゃない……全ては僕が……僕が弱かったから……」

「そんなことはない! 兄さんはいつだって……」

「すまない……リリィ。今は……それどころ…………ない」


 クロクスは泣き叫ぶリリィの言葉を遮ると、ロイへと視線を向けると何事か呟く。

 何か伝えるべき事があるのだろうと察したロイは、クロクスの口元へと耳を寄せる。


「…………」

「っ!? まさか!?」


 驚愕に目を見開くロイに、クロクスは静かにかぶりを振る。

 ロイがどう思おうとも、それが真実だとクロクスの目が語っていた。


「…………わかった。後は任せろ」


 ロイが頷くのを確認したクロクスは、後を任したとロイの胸を軽く小突いた。


 続いてクロクスは、呆然と立ち尽くすリリィと視線を合わせる。


「リリィ……頼みが……ある」

「な、何?」


 リリィはクロクスの手を握り、一言一句も聞き逃さないようにと身を乗り出す。


「最後に……笑顔を………………」

「え?」


 思わずリリィが聞き返すが、クロクスは既にそれに応える余裕すらないのか、虚ろな目で浅い呼吸を繰り返すだけだった。


「リリィ……クロクスの最後の頼みだ。叶えてやってくれ」


 悲しげに目を伏せて吐露するように吐き出されたロイの言葉に、リリィの目から堰を切ったように涙が溢れ出す。


「嘘……だよね。ねえ、嘘だと言ってよ……そうだ。あの人に回復魔法かけてもらえば……」


 リリィはネルケに縋るように視線を送るが、


「ごめんなさい。回復魔法はその人の持っている、治そうとする力を高める効果しかないの。だから、その力を失っている人にはもう……」


 成す術はない。ネルケにそう断じられ、リリィは力が抜けたようにその場に崩れる。


「リリィ……何処…………んだ……」


 もう目が見えていないのか、クロクスが何もない虚空を掴むように手を伸ばす。


「兄さん!」


 ロイが何を語りかけても無反応だったリリィだが、クロクスの言葉に反応し、彼が伸ばした手を強く握って震える声で叫ぶ。


「ボクはここにいる。兄さんの目の前にいるよ! だから、お願い。死なないで……」


 滂沱の涙を流しながら、リリィが縋るように懇願する。


「リリ…………わら…………て」


 しかし、クロクスは消え入りそうな声で「笑って」と繰り返すばかりだった。


「…………わかったよ、兄さん」


 リリィは溢れ続ける涙をどうにか拭い、無理矢理口角を上げて笑う。


「ボク、兄さんのことが大好きだよ」

「ああ……リリィ…………ありが………………とう」


 リリィの笑顔を見たクロクスは、お礼の言葉を口にして笑うと、静かに息を引き取った。


「…………兄さん?」


 力を失ったクロクスに、リリィが呼びかけるが何の反応を示さない。


 手を握り、肩を揺さぶっても、クロクスが目を開けることは二度とない。


 それどころか、クロクスの全身が魔物を倒した時のように溶けていき、後には金塊だけが残った。


「いや……兄さん……にいさああああああああああああああああああああああん!!」


 リリィは金塊を胸に抱くと、人目も憚らず大声で泣き続ける。


「リリィ……」


 ロイはそっと手を伸ばしてリリィを抱き寄せると、彼女が壊れてしまわないように背中を優しく撫で続けた。

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