第40話 囚われの身

 冷たい空気が肌を撫でる感触と、鼻につく悪臭にロイの意識は覚醒する。


「う……くぅ……」

「気が付いたか?」

「あ、ああ……」


 声に反応してロイが顔を上げると、檻を隔てた向こう側の空間にクロクスの姿が見えた。


「……ここは?」

「城の地下牢だ。僕たちは捕まったんだよ」


 そう言ってクロクスは、自分を縛る檻を恨めし気に睨む。


「地下牢……」


 ロイが首を巡らせると、地下牢は石でできた大部屋を、鉄製の檻で区切っただけの部屋だと気付く。


 正面だけでなく、左右の部屋すらも檻で区切られているので、隣に入れられているクロクスとの会話も苦労はしない。

 入口は一つだけだが、室内は四隅に焚かれたランタンのお蔭で見通しはかなり良い。


 壁の代わりに檻が置かれているのは、少ない照明で部屋全体を照らせるように、という配慮からかもしれない。


 それぞれの檻には木でできたベッドと、トイレと思われる異臭を放つ汚れた壺があるだけで、プライバシーというものは一切存在しなかった。


 ロイは鼻を摘んで壺からできるだけ距離をとると、クロクスへと話しかける。


「ここに入れられてからどれくらい時間が経った?」

「わからない。ただ、君が目覚める前に夕食だって食事が運ばれてきたから、もう夜になって……クッ」


 会話の途中、クロクスは突然苦しげな声を上げて蹲る。


「お、おい。大丈夫か?」

「……問題ない。どうやら薬の副作用が出たようだ」


 冒険者の間で出回っている妖しげな薬は、一定時間個人が持つ能力を上げてくれるのだが、効果が切れると、反動で全身に激しい痛みが走るのだという。


「だから……そんなに心配そうな顔をするな……」

「何を言っているんだ。どう見ても大丈夫じゃないだろう!」


 クロクスの顔色は青色を通り越して土気色になり、顔中に玉のような汗をかいている。

 大量の汗をかいているのに寒気もするのか、体を抱くようにして小刻みに震え、歯をガチガチと鳴らしていた。


「おい、しっかりしろ! 待ってろ。今すぐ人を呼ぶ」


 クロクスの尋常でない様子に、ロイは檻に張り付いて外に向かって叫ぶ。


「誰か! 誰かいないのか!」


 しかし、ロイがいくら声を張り上げても返事が返ってくることはない。


「クソッ、何で誰もいないんだ」


 ロイが絶望に打ちひしがれている間にも、クロクスは苦しげに唸り、痛みでのた打ち回る。


「止めろ! その耳障りな歌を今すぐに……あ、ああああっ!」

「歌? 歌なんて聞こえないが……」


 耳を澄ましてみるが、ロイに聞こえるのはクロクスの呻き声だけで、誰かが歌っている気配は微塵も感じられなかった。


 檻さえなければ今すぐにでも助けに行きたい。ロイがそう思いながら檻を握り締めていると、クロクスの体に変化が訪れる。


 苦しげに胸を掻き毟っていたクロクスの手が着ていた衣服を引き千切り、中から激しく脈動する血管を覗かせる。


「が、あ……がああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 叫び声を上げながら跳ね起きたクロクスの体が突然倍近くに膨れ上がり、髪の毛をはじめとする全身の体毛が著しく成長して体を覆う。


「な、ななっ……」


 目の前で起きている衝撃的過ぎる出来事に、ロイは二の句が告げないでいた。


 そうしている間にも、クロクスの体に次々と変化が訪れる。


 口が前へ突き出るように巨大化し、歯が鋭くなり牙となる。

 爪が伸び、どんな物でも引き裂ける鋭利な刃と化す。


「アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」


 変化を遂げたクロクスが、獣の遠吠えを上げる。

 クロクスの姿は見間違いようもない。その素早い動きを活かした狡猾な攻撃で冒険者を苦しめる強力な魔物、人狼(ワーウルフ)そのものだった。


 人狼となったクロクスはロイの姿を認めると、ロイに向かって体当たりをする。


 だが、当然ながらロイとの間には鉄製の檻があり、檻に体を強かに打ちつけることになる。


「おい、何をしてるんだ。正気に戻れ!」


 ロイの呼びかけには一切応じず、クロクスはひたすら檻に向かって体当たりを続ける。

 その威力は凄まじく、巨体が檻にぶつかる度に部屋全体が揺れ、天井から細かな埃が落ちてくる。しかも、子供の腕ほどの太さがある鉄製の檻が、一撃、また一撃とぶつかる度にその威力に負けて歪んでいく。


「ガアアアアッ!」


 何度目かの体当たりの後、クロクスは歪んだ檻を掴んで力任せに引っ張ってこじ開けてみせる。


 クロクスは開けた穴を悠然とした足取りで抜けると、ロイと対峙する。


「クソッ、そんなんでリリィはどうするつもりなんだ!?」


 一縷の望みを信じてロイがリリィの名前を出して呼びかけるが、クロクスは何の反応を示さない。


「グルルルル……」


 クロクスは舌なめずりをすると、地を蹴って天井へと張り付く。


「シャアアアアアアアアッ!」


 矢の様に飛び出したクロクスの突進を、ロイは横に飛んで回避するが、人狼は着地と同時に地を蹴って壁へと張り付き、壁を蹴ってさらにロイへと襲い掛かる。


「クッ、早い!」


 この攻撃も身を捻ってどうにか回避するロイだったが、完全には回避できずに鋭利な爪で腕を切り裂かれ、牢屋の中に鮮血が舞う。


「チッ、やはり狭い室内では……」


 クロクスの三次元の動きが早過ぎて、まともに捉えることができない。


 しかも今のロイは武器を何も所持していない。


 素手でもある程度戦う事ができるロイではあったが、人狼となったクロクスの厚く、硬い毛皮の鎧を貫く程の攻撃力は持ち合わせていない。


 唯一、対抗できる技があるとすればプリムローズを倒した技、武道家から習った寸勁すんけいという技があるが、あの技は素早く動く相手に当てるのは至難の業だった。


 しかし、だからといってこのまま大人しく指を咥えているつもりはなかった。


「いい加減、目を覚ませえええええええええええええ!!」


 何回かの攻防の末、クロクスの爪を見切って紙一重で回避したロイは、カウンターで人狼の鼻を全力で殴る。


 次の瞬間、地下牢に鈍い音が響き渡る。


「ぐうぅぅ!?」


 しかしその結果、膝を着いたのはロイだった。


 ロイの拳は、クロクスの毛に覆われていない部分を正確に打ち抜いたのだが、それでも人狼にダメージを与えるには至らず、逆に彼の左拳の方が深刻なダメージを受けていた。


「クソッ! やっぱり駄目か……」


 ロイは折れた指をどうにか真っ直ぐに戻しながら、何事もなかったかのように攻撃を振るい続けるクロクスの猛攻を回避し続ける。

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