第39話 老獪な紳士

「がはっ!?」


 轟音を上げて壁に激突したプリムローズは苦しげに息を吐き、吐血して意識を失う。


 ロイが殴った部分を見やれば、白銀の鎧が拳の形にひしゃげており、威力の凄まじさをものがたっていた。


「――っつぅ~!」


 ロイは勝利の余韻に浸る間もなく左手に刺さったエストックを引き抜くと、袖の一部を引きちぎって穴の開いた手に応急処置を施す。


 何度か手を閉じたり開いたりを繰り返して状態を確認したロイは、木剣の代わりにエストックを構える。


「まだやる奴は……いないようだな」


 辺りを見やれば、既に全員が戦意を喪失していた。

 これ以上は放っておいても、ロイたちを追撃するような輩はいないようだ。


「クロクス、行こう」

「あ、ああ……」


 ロイに促され、正気を取り戻したクロクスは彼の後に続く。


「ま、待つんだ。こんな事してただで済むと思っているのか?」


 ロイが立ち去ろうとすると、フロッシュ公爵が脅しをかけてくる。


「いくら勇者でも、ボクチンは許さないよ。こうなったら、お前の家族を……」


 がなり続けるフロッシュ公爵に、ロイは手の中のエストックを無造作に投げる。


 エストックは目にも留まらぬ速さで飛び、


「うぴっ!?」


 フロッシュ公爵の顔、僅か十センチ隣に刺さった。


「あんたが俺をどう思おうが勝手だが、俺の家族に手を出すならその時は、容赦しないぞ!」

「……あ、ああ…………うきゅぅ……」


 本気で怒ったロイに殺気の篭った目で睨まれたフロッシュ公爵は、失禁した後、白目を向いて後ろに倒れる。



「……フン」


 フロッシュ公爵が静かになったのを確認したロイは、今度こそ退出しようとする。


 しかし、


「申し訳ございませんが、そうは行きません」


 いつの間に現れたのか、穏やかな笑顔を浮かべたカーネルがロイのすぐ後ろに立って進路を塞いでいた。


 カーネルの足元を見やれば、意識を失ったクロクスが倒れている。


「ああ、安心してください。こちらの方には少し眠っていただきました」


 ロイの頭をよぎった最悪の展開を、カーネルはすぐさま否定する。


「勇者様。よければわたくしと、少し遊んでいってください」


 そう言うと、柔和な笑みを浮かべた老紳士は拳を突き出してくる。


 まさか、徒手空拳で戦うつもりか?


 どう見てもまともに戦えるように見えないカーネルの真意がわからず、ロイは困惑する。


 だが、口で言ってもカーネルは退いてくれる気配はない。


「……わかりました」


 ロイは神妙な顔で頷くと、腰を落として拳を突き出す。



「おや、勇者様。怪我をしていますね」


 すぐに戦うかと思われたが、ロイの怪我に気付いたカーネルが待ったをかける。


「……大丈夫です。この程度の怪我、何ともありませんよ」

「いえいえ、それはいけません。万全の状態でない勇者様と戦っても意味がありません」


 カーネルは両手を掲げると、小気味の良い音を立てて手を鳴らす。

 すると、ロイのファンだという憲兵の女性、ネルケが現れて笑顔で詰め寄る。


「さあ、勇者様。お手をどうぞ」

「あっ、いえ、大丈夫ですから」

「いけません!」


 遠慮するロイに、ネルケは息がかかるほど顔を近付けて捲し立てる。


「このまま放っておけば後遺症が出てしまうかもしれません。そうなれば世界の損失、私としても絶対に認められません。さあ、早くお手を!」

「わ、わかりました」


 ネルケの迫力に押されたロイは、おずおずと左手を差し出して治療を受けることにする。


「清浄なる水の精霊よ……」


 滑らかな口調で魔法の詠唱を唱えたネルケは、ロイの手に杖をかざして回復魔法を施す。


 ロイの左手を緑色の暖かな光が包み、手の平に開いた傷口がみるみると埋まっていく。


 どうやらネルケの回復魔法士としての才能はかなり高いようだった。



 このままではあっという間に完治するのではないか。

 そう思われたが、


「あれ……」


 ロイは目の前が急激に暗くなっていくのを自覚する。


「ちが……う…………」


 これは暗くなっているのではなく、自分の目が勝手に閉じようとしているのだ。

 異常に気付いたロイがネルケの手を払いのけようとするが、既にその力すらなかった。


 そのまま後ろへ倒れようとするロイを、柔和な笑みを浮かべた老紳士が抱き止める。


「申し訳ありません勇者様。搦め手を使わせていただきました」

「なに……を……した?」

「単純な話です。回復魔法と睡眠魔法を合成したものを唱えさせました」

「…………」

「状態異常魔法への耐性がある方でも、回復魔法への耐性はまずありませんからね」


 饒舌に語るカーネルだったが、既にまどろみの底へと沈んでいるロイに届く事はなかった。

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