第38話 理想と現実

 最初は肉薄していると思われた両者だったが、互いに実力の差が出始める。


「よっ、ほっ、とぅ!」


 ロイはプリムローズが繰り出した攻撃を、華麗な足捌きでいとも簡単に回避し続ける。


「どうした? いつものキレがないんじゃないのか?」

「……煩い」

「おおっと」


 ロイはプリムローズが唸りながら繰り出した突きを紙一重で回避すると、一気に距離を詰めてエストックを握っている手を掴んで動きを封じる。


「なっ!? は、放せ!」


 唇が触れそうな距離で睨みあう事になり、反射的に顔を真っ赤にしたプリムローズはロイから逃れようと必死に暴れる。


 だが、ロイは掴んだ手を放さず、真摯な眼差しでプリムローズに話しかける。


「プリム、もう気付いているんだろう? 今回の件、どう考えても騎士には義がない」

「そんな事ない! 正義は騎士団にある」

「ならば何故、話し合いに来たナルキッソスに剣を向けるような真似をした」

「そ、それは命令だから……」

「命令だと? 王ではない、公爵の暴走とも取れる命令でも、言われれば喜んで人を殺すことが正義だとでも言うのか?」

「う、煩い! 煩い! 煩い!」


 プリムローズはロイの視線から逃れるようにいやいやとかぶりを振り、腕をめちゃくちゃに振り回して束縛から逃れる。


「ロイ、お願いだ。もうあたしを惑わせないでくれ。何も言わず大人しく縛についてくれ」

「悪いがそれはできない。知っているだろう? 俺は過ちがあれば見過ごせない性質なんだ」


 ロイは木剣を正眼に構え直すと、よく通る声でこの場にいる者に語りかける。


「民を守る為の騎士が、話し合いに来た人間に刃を向ける。そんな騎士道から外れた蛮行を、フィナンシェ王知ったらどう思うか考えた事があるのか? 自分の行いに少しでも後ろめたさがあるならば、おとなしく剣を引け!」


 ロイの言葉に、騎士たちの間に明らかに動揺が広がる。


「だ、黙れ! 今、この国で一番偉いのはボクチンなんだ! そこの庶民の言葉に惑わされるな。とっとと全員でかかっていい加減に黙らせるんだ!」


 フロッシュ公爵が地団太を踏みながら、ロイを始末するように命令する。


 だが、その命令に動く者はいなかった。

 勇者と侯爵、どちらを信じたらいいのか迷っているようだった。


 動かない騎士たちに、フロッシュ公爵は唾を撒き散らしながら喚き散らす。


「お、お前たち、一体誰がお前たちに金を払ってやってると思うんだ。ボクチンの命令を聞かないと、来月から金に困る羽目になるぞ?」


 その言葉に、騎士たちは顔を真っ青にして互いの顔を見合わせる。

 騎士たちがフロッシュ公爵の言葉に従うのは、彼に金の行方を握られているからのようだった。


 呆れた事実を知ってしまったロイは、悲しげにプリムローズを見やる。


「プリム、これが君の目指した騎士の姿なのか?」

「――っ!?」

「泣いている人を一人でも多く助けるために、騎士を目指したんじゃなかったのか?」

「黙れ! そんな事はあたしが一番よくわかってる!」


 プリムローズはロイの言葉を遮ると、堰を切ったように叫ぶ。


「あたしだって現状が間違っているのは理解している。だけど、現実は甘くないんだよ! 生きる為にはお金が必要なんだ。家族があたしの稼ぎを当てにしているんだ。民を守る為に騎士になったけど、あたしはそれ以上に家族を守らなきゃいけないんだ!」


 プリムローズは滂沱の涙を流しながら叫び続ける。


「ロイ、あたしはあんたほど純粋になれなかった。理想を夢見て騎士を目指したのに、結局、現実に負けて金持ちの言いなりに成り下がってしまった。こんなダメなあたしを笑いたければ笑えよ!」

「…………笑わないさ」


 ロイは木剣を構えたまま、プリムローズに優しく語りかける。


「プリムは家族の為に戦うって決めたんだろ。充分立派な理由じゃないか。そんなに自分を卑下する必要はないさ。俺としてはむしろプリムの本音が聞けて安心したよ」

「ロイ……」

「だって、これで遠慮なくプリムを叩きのめせるだろ?」

「んなっ!? そこは折れたりしてくれるんじゃないのか?」


 思ってもみなかったロイの解答に、プリムローズは泣くのも忘れて目を丸くする。


「そんなわけないだろ。お互い譲れないものの為に戦っているんだ。なら、どうするかなんて語るまでもない。俺たちはいつもそうやって解決してきた。そうだろ?」

「……全力でぶつかって、白黒ハッキリさせる」


 プリムローズの言葉に、ロイは微笑を浮かべて首肯する。


 いくら議論を尽くしたところで、お互いに道が交わる事はないのだ。

 ならばいっその事、殴り合いで解決してしまったほうが手っ取り早い。


 負けた者は勝った者に従う。


 乱暴な解決法を示されたプリムローズは、苦笑しながら乱暴に涙を拭ってエストックを構え直す。


「わかった。負けても言い訳なんかするなよ」

「それはお互い様だ」


 武器を構えたまま、ロイとプリムローズは頷き合う。


 プリムローズは大きく息を吸うと、腰を落としてエストックを顔の横に構える。


「ロイ……行くぞ!」


 掛け声を上げ、プリムローズは一気に前へと出る。

 体を低くし、駆けながら限界まで引き絞った腕を、全体重を乗せて素早く繰り出す。


「くっ……」


 これまでとは比較にならない速度で繰り出される刺突攻撃に、回避は不可能と判断したロイはどうにか木剣で攻撃を受け止める。


 しかし、プリムローズの攻撃はそれだけでは止まらなかった。


 ロイに攻撃が弾かれると同時に素早くエストックを引き戻したプリムローズは、間髪を入れずに再び早い刺突攻撃を繰り出す。


 その攻撃も弾かれるが、それでもプリムローズは攻撃の手を休めることなく次々と刺突攻撃を繰り出し続ける。


「いくぞロイ! これがあたしの全力だ!」


 烈火の叫び声と共にプリムローズが放つ刺突の速度がさらに増す。

 刺突のバリエーションも豊富になり、正中面を中心に狙っていた攻撃が左右へと散りばめられ、ロイの行動を阻害する。


「必殺剣、エトワール・フィラント!!」


 まるで天を埋め尽くさんばかりの流星群を思わせる圧倒的攻撃量は、相手の行動に制限をかけ、さらには反撃に出る間も与えない。


「クッ、こ、これは……」


 ロイは必死にプリムローズの攻撃を捌き続けるが、全てを防げるはずもなく、肩に、足に、致命傷だけは何とか避けるが、それでも少なくない怪我を負っていく。


 さらに、木剣にかけられた強化魔法が凄まじい攻撃によって剥がれかかっているのか、剣から悲鳴にも似た甲高い音が聞こえ出す。



 そして幾度目かの刺突攻撃を弾くと同時に、


「しまっ!?」


 ロイの手の中で、木剣が粉々に砕け散る。


「これで、終わりだああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」


 ロイの手から得物が無くなったのを確認したプリムローズは、これまでより一歩多く踏み込んで重い攻撃を繰り出す。


 至近距離から放たれた回避不可能の攻撃にロイは、


「――っ、まだだ!」


 目を見開き、攻撃の軌道を予測して左手を突き出す。

 次の瞬間、鈍い音を立ててロイの手の平をエストックが貫いて鮮血が舞う。


「……くぅ!」


 痛みに顔を歪めながらもロイはさらに自分から手を突き出し、その先にあるプリムローズの手を掴む。


「なっ、馬鹿な!?」


 強引過ぎる方法で必殺剣を止められたプリムローズの顔が驚愕に歪む。


 ロイはプリムローズの手を掴んだまま、無事な右手を彼女の鎧の上に当てると、犬歯をむき出しにして獰猛に笑う。


 その笑顔を見て、プリムローズの顔が再び真っ赤に染まる。


 ――ああ、やっぱりあたしはロイの事が好きなんだ。


 改めて自分の気持ちを確認したプリムローズは、微笑を浮かべてロイに思いの丈を告げる。


「あたし、ロイのことが好きだ。愛してる」

「俺もプリムの事を仲間として好きだし信じているよ。だが、悪いな。この勝負、俺の勝ちだ」


 ロイは密着状態から短く息を吐くと、鎧に当てた右手を肩から突き出すように伸ばす。


 一見するとただ押しただけ。そう見えたロイの突きは、プリムローズの体を十メートル以上も吹き飛ばした。

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