第32話 真実を知った少女
憑き物が落ちたように肩を落とすグラースはを見て、ロイは微笑を浮かべて手を差し伸べる。
「どうする?」
「そう……だな」
グラースは顔を上げ、手を差し伸べた姿勢のままでいるロイに向かって口を開こうとする。
その時、
「兄さん、さっきこっちの方で大きな音がしたけど大丈夫なの?」
酒場の入口の扉が乱暴に開き、何者かが酒場に入ってきた。
「リリィ?」
酒場に入ってきた人物に、いち早く気付いたロイが驚きの声を上げる。
「ロイ!? 何でここに……」
そこまで言ったところで、リリィは室内の様子を見て顔をしかめる。
殴られたのか顔を腫らしているロイと、対面に座る包帯を巻かれた男は、グラースという名の男のはずだ。
グラースの後ろに控えるのは兄のクロクスと、名前も知らない男たち。
そして、近くのテーブルにはいかにも高価そうな宝石類と銀でできた聖母像……、
これだけ証拠が揃えば、ロイの目的を知っているリリィが状況を理解しないはずがなかった。
「まさか、兄さんがナルキッソスだったの!?」
「ち、ちがっ……」
咄嗟に否定しようとするクロクスだったが、その言葉は最後まで紡がれない。
最早言い逃れできない状況に追い込まれているのに、下手に嘘を吐いて余計に妹に嫌われるのが怖かったのだ。
黙り込むクロクスを見て、リリィの目にみるみる涙が溜まっていく。
「兄さんの馬鹿!!」
「――あっ、リリィ! 待て!」
ロイの制止の言葉を無視して、リリィは酒場を飛び出して行ってしまう。
「おい、何をしているんだ。早くリリィを追いかけるんだ!」
ロイは隠していた秘密がバレて真っ青になっているクロクスに向かって叫ぶ。
「で、でも……」
「でもじゃない! あんな状態のリリィを放っておいて平気なのか?」
「平気なわけないだろ……けど」
クロクスは吐き捨てるように言うと、顔を伏せる。
どうやら、これ以上は何を言っても無駄なようだった。
ロイはクロクスの説得を早々に諦めると、酒場の出口へと向かう。
「いいか? 俺が戻ってくるまでにどうするか、決めておいてくれ!」
「えっ? あ、ああ……わかった」
グラースが頷くのを確認したロイは「信じてるからな」と一言残して、リリィを追いかける為に夜のスラム街へと飛び出した。
※
夜の街をリリィは全力で駆けていた。
視界は涙でぼやけ、自分が今、何処にいるかですら定かではない。
目的地も何もない。
ただ、自分の体力の限界まで、それこそ命が燃え尽きるまでリリィは走り続けるつもりだった。
山賊によって両親を奪われたリリィたち兄妹は、自分の信じる正義の為、自由の為に冒険者になった。
残念ながらリリィたち兄妹には、冒険者としての才能はなかったようで、どれだけ命を張っても生活は楽にはならなかった。
それでも、リリィは兄との生活に不満を持ったことはなかった。
誰かの笑顔を守るという自分の信じる道を、兄と一緒に歩いている実感があったからだ。
だが、信じていた兄は、街の平和を脅かすナルキッソスだった。
自分たちが一番忌み嫌っていた、人の幸せを奪う最低な行為を兄は行っていたのだ。
「グスッ、兄さんの馬鹿、何でよりにもよって盗みなんて……」
信じていた兄に裏切られたリリィは、全てがどうでもよくなっていた。
「あ……」
リリィは自分が明るく賑やかな場所にいることに気付く。
いつの間にかスラム街を抜け、闘技場の辺りまで来ていたようだ。
走るのを止めたリリィは、光に誘われるようにふらふらと闘技場へと足を向ける。
あそこにいけば、辛いことを一時的にでも忘れられると聞いたことがあった。
「リリィ!」
「――っ!?」
自分の名前を呼ばれたリリィは、心臓を鷲掴みされたかのように硬直する。
おそるおそる振り返ると、心配そうにこちらを見るロイの姿があった。
「待ってくれリリィ、話を……」
ロイの話が終わる前に、リリィは再び駆け始める。
※
だが、今度はロイも簡単に逃がすつもりはなかった。
リリィの動きから逃げる方向を先読みしたロイは路地へ入り、壁を蹴って建物の屋根へと上がる。
身を低くし、足音をなるべく立てないように屋根の上を駆けたロイは、リリィが現れると思われる場所へと先回りする。
暫く待機していると、予想通り、顔を伏せて走るリリィの姿が見えた。
ロイは、そのまま息を殺してリリィが現れるのを待つ。
やがて足音が聞こえ、人影が目の前を通り過ぎようとした瞬間、
「捕まえた!」
ロイは物陰から飛び出して、背後からリリィに飛び付く。
「キャッ!? いや、放して!」
いきなり後ろから羽交い絞めにされ、リリィは混乱したように暴れる。
しかし、ロイは逃げられないようにしっかりと組み付く。
「リリィ、大人しくするんだ!」
「ロ、ロイ……ちょっと待って。胸、ボクの胸を掴んでるって!」
顔を真っ赤にしたリリィは、ロイの手が豊かではないが形のいい胸を鷲掴みにしていることを指摘する。
しかし、そんなことで動じるロイではなかった。
「だからどうした。それよりいい加減、暴れるのをやめてくれ!」
「え、ええっ!?」
ロイは力を緩めるどころか、さらに力を入れてリリィの胸を押さえつける。
「ちょ、いや……そんなに強く……揉まないでよ……あん」
「だったら、もう逃げないと誓うか?」
「誓う! 誓うから早くその手をどけてよ~!」
リリィが涙目で懇願すると、ロイはようやく手を放して彼女を解放する。
「はぁ……はぁ……ロイ!」
ロイの手から逃れたリリィは羞恥の表情で頬を赤く染めながら、不埒な行為を物ともしない女の敵の顔を叩こうとするが、
「――っ!?」
こちらを見ている彼の顔を見て、振り上げた手を止める。
「よかった……リリィが自棄を起こすんじゃないかと思って、心配したんだからな」
リリィの胸を散々弄んだはずの男は、心からリリィの無事を喜んでいる様子で微笑んでいた。
「ロイ……」
全く悪気のない顔をしているロイを見たリリィは、そういえばと噂で聞いた話を思い出す。
実直勇者は、幼少期からの徹底した教育により、ハニートラップをはじめとする女性からのアプローチを一切受け付けない、と。
ただの与太話かと思っていたが、どうやら噂は疑いようのない真実のようだった。
「はぁ……」
何処までも真摯な表情のロイを見たリリィは、何だか胸を触られていた事を気にしていた自分が馬鹿らしくなり、深い溜め息をついた。
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