第29話 夜の追走劇
ロイたちは平民街のレンガで造られた屋根へと着地すると、甲高い音を響かせながら前方を走る人影を追う。
「クッ……」
不安定な足場と暗がりで思い切って駆ける事ができず、通常の倍以上の体力と精神力が削られていくからか、プリムローズが弱気な発現をする。
「何て速さだ……奴はこの暗さが怖くないのか?」
「だが、条件は俺たちのほうが有利だ」
対するロイは、プリムローズとは対照的にどこまでも強気だった。
「地の利が向こうにあったとしても、こっちは向こうが通っている道をそのままトレースするだけでいい。それなら怖くないだろ?」
「なるほど、それならいけそうだ」
コツを聞いたプリムローズは、前方を注視しながら速度を上げる。
ロイたちが速度を上げたことによって、徐々に人影との距離が縮まっていく。
追いつくのは時間の問題かと思われたが、
「プリム!」
何かに気付いたロイが、プリムローズに向かって鋭く叫ぶ。
「わかってる!」
ロイの言葉を阿吽の呼吸で理解したプリムローズが速度を緩めずに身構える。
次の瞬間、ロイとプリムローズ目掛けて何かが風を切り裂いて飛来してきた。
「よっ!」「ハッ!」
飛んできた二つの飛来物を、二人は回避するどころか真正面からキャッチしてみせる。
飛来してきた物は、拳大ほどもある大きな石だった。
「俺は右を……」
「じゃあ、あたしは左だな」
お互いの標的を確認したロイとプリムローズは、二人同時に石を飛んできた方向へ向かって投げ返す。
石は矢のような勢いで飛んでいき、あっという間に闇の中へと消えていった。
「……やったかな?」
「さあな。だが、少しは牽制ぐらいにはなっただろう」
ロイの読み通り、暗闇からそれ以上の追撃は行われることはなかった。
ナルキッソスに仲間がいたのは予想外だったが、ロイたちの脅威になるほどの存在ではなかった。
引き続き前方の人影を追っていると、
「何だ?」
「わからない……けど、何かあるみたい」
ロイたちは前方に違和感を覚えが双眸を細めて睨む。
人影が何かした様子はない。どちらかと言えば変化があったのは、人影とロイたちとの間の空間だった。
前方、五メートル程の距離に指先ほどの小さな光が現れたかと思うと、ロイたちと距離を合わせるように移動する。
前方の人影から目を逸らすのは危険だと承知しているが、光はまるで意思を持っているかのように、器用に素早く空中に模様を描くように舞う。
「何これ、光る虫なの?」
摩訶不思議な動きをする小さな光に、プリムローズが見惚れた瞬間、
「――っ!?」
小さな光が爆発し、辺り一面に眩い閃光を放つ。
「うわっ!?」
目の奥まで突き抜けるような光の奔流に飲まれ、天地さえもわからなくなる。
プリムローズは安全を確保する為、堪らず足を止めようとするが、
「うわっ、わわわわわっ!?」
地面を捉えたと思った足が空を切ってバランスを崩してしまう。
「ちょまっ……こ、こんなところで、落ちるわけに……はっ!」
万が一屋根から落ちるようなことがあれば、大怪我を負うことは避けられない。
まだ視界が回復しないプリムローズは慌てて手を振り回し、最初に手が触れた物に体を投げ出すようにして全力で抱きつく。
「あがっ!」
対象の大きさを把握せずに力一杯抱きついたので、顎を思いっきり強打してしまったプリムローズは涙を流しながら転げまわる。
途中、何度か屋根から落ちそうになりながら痛みと戦い、どうにか視界が回復したところで身を起こすと、自分が抱きついたのが煙突であったと気付く。
煙突に抱きついたので、白いシャツはすすで真っ黒になっていたが、そんな事を気にしている場合ではなかった。
「……ロイ?」
辺りを見渡してみても、何処にもロイの姿がなかったのだ。
「ロイ、何処だ? 返事をしてくれ」
もしかして屋根から落ちたのか? プリムローズは慌てて付近を捜索し、ロイの姿を捜す。
しかし、地面は疎か屋根の上にも、何処を見渡してもロイの姿はなかった。
「まさか……」
あの閃光に臆することなく人影を追ったのだろうか?
プリムローズがいくら目を凝らしても、既にロイの姿は何処にもなかった。
※
スラム街にある酒場は、二階部分を宿屋の客室として使われていた。
「はぁ……はぁ……」
ベッド以外は何もない簡素な客室に、一人の男が行きも絶え絶えといった様子で飛び込んでくる。
「ど、どうにか逃げ切ったぞ」
黒髪を短く刈り込んだ全身黒ずくめの男は、水差しの中身を浴びるように一気に飲み干すと、倒れこむようにしてベッドに飛び込む。
男の手の中には、イリスの館から盗み出した聖母を模った銀の像と、いくつかの小さな宝石があった。
「これさえあれば……皆、飢えずにすむ」
男は自分の成果を胸に大事そうに抱くと、安堵の溜め息をつく。
「……さん」
男がベッドに大の字になって息を整えていると、部屋の扉が控えめにノックされる。
ノックの音に反応して男は素早く身を起こすと、扉を凝視する
「誰だ!?」
「グラースさん俺です。クロクスです」
その声を聞いて男、グラースは肩の力を抜くと、扉の向こうに声をかける。
「おう、開いてるから勝手に入ってこいよ」
グラースが声をかけると「失礼します」の声と共に、黒のマントを頭から被った男、リリィ・リスペットの兄であるクロクス・リスペットが現れる。
「グラースさん、お疲れ様でした」
「おう、今日は助かったぞ」
グラースが笑顔で拳を突き出すと、クロクスも拳を突き出して合わせ、互いを労う。
「はぁ……やれやれ、参ったぜ」
すると、盛大な溜め息と共に新たな人影が二つ、部屋の中に入って来る。
その内の一人は額から血を流し、意識を失っているようだった。
「お、おい、大丈夫なのか?」
「ええ。気を失ってるだけです。ただ、スリングショットから放たれた石を投げ返すという、常人離れした技を持つ奴相手に、この程度で済んだのだからむしろ幸運でした」
そう言って男は、壊れたスリングショットを取り出す。
男が無事だったのは、石がスリングショットに当たったお陰だったようだ。
「クソッ、魔法の外套を失うし、さらに負傷者が出てしまうとは思わなかったぜ」
仕事は成功したが、満身創痍になってしまった。
グラースは苛立ちを紛らわすかのように、爪を噛みながら唸る。
「しかし、俺を追いかけてきた奴等は誰なんだ? 冒険者である俺たちに引けを取らない……いや、確実に俺たちより強かった」
「あれは……」
グラースの質問に、クロクスが答えようとすると、
「なるほど、やはり全員がグルだったというわけか」
部屋の中にグラースたちではない声が響く。
「だ、誰だ!?」
見知らぬ声に全員が身を硬くして、声がした窓へと目を向ける。
そこには二階であるにも関らず、窓から颯爽と室内へ足を踏み入れるロイの姿があった。
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