第27話 貴族の役目

「私の家がナルキッソスに狙われているの~?」


 その日の晩、ロイからの報告を聞いたイリスが、いつもの間延びした調子で尋ねる。


 場所はイリスの屋敷三階にあるサロン。イリスの趣味の部屋とも称される部屋で、壁一面に多数の魔物の絵がかけられていた。

 飾られている絵は、闘技場で過去に行われた大会のチャンピオンになった魔物だという。


 まるで人間の様にポーズを取っている魔物の絵をちらと見た後、ロイは神妙な顔で切り出す。


「はい、カーネルさんが言うには、近日中にイリスさんの家がナルキッソスに狙われるのではないかと」

「そうなの? う~ん、ウチに盗られて困る物なんてあったかしら?」


 ナルキッソスに狙われていると聞かされても全く動じる様子のないイリスに、ロイはどう答えていいものか思案していた。


 世間では余り知られていないようだが、ナルキッソスは悪徳貴族から金品を奪い、スラムに住む貧しい人に分け与える義賊だ。


 つまり、ナルキッソスが狙うターゲットは悪、ということになる。


 これが意味することは……、


「どうしたの。顔色が悪いわよ?」

「え? うわっ!?」


 気がつけば、イリスの大きな瞳がロイの目を覗き込んでいた。


「うあっ!? って酷いな~。私、そんなに怖い顔してた?」

「いやっ、その……すみません」


 頬を膨らませ、子供のように拗ねるイリスからロイは気まずげに視線を逸らそうとする。


「な~に、その態度は?」


 しかし、イリスはロイの顔を両手でがっちり掴んで逃がしてくれない。


「そういう態度をとられるとお姉さん、凄く傷付くんだけどな~。ロイ君は一体何を隠しているのかな~?」

「何も隠してませんって!」

「いいえ、絶対何か隠しているわね。こうなったら、話してくれるまで、絶対に放してあげないんだから」

「だから、隠している事なんてありません!」


 食い下がるイリスの手を払いのけ、ロイは席を立って退出しようとする。



 すると、


「ロイ君、私を思って隠しているなら、舐めないでもらいたいわね」

「えっ?」


 突然、人が変わったかのように雰囲気を変えるイリスに、ロイは息を飲む。


「私はこう見えてブルローネ侯爵家を任されている人間よ。ロイ君より人生経験は豊富だし、それなりに修羅場をくぐってきたわ。だから、どんな秘密を打ち明けられたとしても、私は絶対に動じはしないわ。それとも……」


 そう言うとイリスは口の端を吊り上げ、嘲笑するように鼻で笑う。


「ロイ君は私に秘密を打ち明けるのがそんなに怖いの?」

「そ、そんなわけ…………あっ!?」


 反射的に返事をしてしまった事をロイが後悔するが、既に遅かった。

 顔を上げると、にんまりと満面の笑みを浮かべたイリスと目が合う。


「そんなわけないのなら、当然、話してくれるわよね~?」


 最後だけいつもの調子に戻ったイリスを前に、ロイは完全にしてやられたと天を仰ぐ。


「はぁ……わかりました」


 イリスに根負けしたロイは、仕方なくナルキッソスについて打ち明ける事にした。




「なるほどね~。ナルキッソスにはそんな秘密があったんだ」


 イリスは何度も頷きながら追加で淹れたお茶へと手を伸ばす。


「つまりロイ君は、私が世間で言うところの悪徳貴族なんじゃないかと思ったわけね」

「……はい」


 できればそうであって欲しくない。そう思いながらロイは頷く。


「う~ん」


 イリスはおとがいに手を当てて暫く考え込んだ後、いつもの間延びした口調で尋ねる。


「ところで、悪徳貴族ってどういうのを言うのかしら~?」

「…………えっ?」


 意外すぎる一言に、ロイの口から間抜けな声が漏れる。


「じゃあ聞くけど、ロイ君は悪徳貴族と言ったらどういう人だと思うの?」

「どういう人って……毎日贅沢三昧な暮らしをして、罪もない民から略取の限りを尽くし、さらには自分の欲を満たす為に商人たちから賄賂を……」


 そこまで言って、ロイはある事実に気付く。


「気付いた?」

「はい……」


 数日この屋敷でお世話になって気付いたが、イリスの生活はとても質素で、世間から悪徳貴族と揶揄されるような豪勢な生活は一切送っていない。


 出される食事は初日こそ豪華だったが、二日目以降はむしろ質素で、庶民と変らないのではと思うほどだった。


 イリスは雇われている召使いに無理な仕事を押し付けることなく、家族同然として扱ってくれることに誰もが感謝していた。


 とてもじゃないが、彼女がナルキッソスに狙われるような悪徳貴族には思えなかった。


「少なくとも我がブルローネ家は、分相応の生活を送っているつもりよ~」


 自信満々に宣言するイリスの言葉に、ロイも異論はない。

 なら、どうしてカーネルは、イリスがナルキッソスに狙われていると言ったのだろうか?


「それって街の人たちのイメージが原因じゃないかしら?」


 ロイの疑問に、エーデルが口を挟む。


「イリスさんは闘技場の運営で大金を取り扱っているから、相当儲かっていると思われているわ。大金があるからナルキッソスが狙うと思っているんじゃないかしら?」

「そ、そんな勝手な理由で?」

「イメージなんてそんなものよ。ロイだって充分理解してるでしょ?」

「……そうだな」


 かつてロイも、周りの勝手なイメージで数々の苦労を味わった。


 救世の勇者として世間に認識されていたロイは、行く先々で助けを求められた。


 それは別に構わない。人を助ける事はロイにとっては使命であり、人に頼られるのは皆が勇者として認めてくれているようで素直に嬉しかった。


 しかし、結果が自分の意にそぐわなかった時、途端に態度を急変させる事が度々あった。


 勇者として育てられたロイだが、彼とて一人の人間だ。

 全ての物事を誰もが望む形で解決できる能力を持っているわけではないし、時には判断ミスもする。


 勇者が間違いを起こすはずがないと思い込んでいる人は少なからずいて、幾度となく人々に落胆されてきた。


 その度にロイは自分も一人の人間である事、決して勇者も万能ではない事を誠心誠意尽くして説明し、どうにか誤解を解消していった。


 どうやらイリスも置かれた地位の所為で人々に勝手な想像を抱かれ、果ては世を騒がす怪盗にまで狙われる始末だ。


 有名税という言葉があるが、これではイリスがあんまりだった。


「わかりました。ナルキッソスが来るというのなら、俺が迎え撃ちます」


 ならばせめて、ロイはイリスの味方であろうと思った。


 だが、


「ううん、その必要はないわ~」


 イリスが申し訳なさそうに、ロイの申し出を断る。


「ど、どうしてですか?」

「う~ん、ロイ君は、ノブレス・オブリージュって言葉知ってる?」

「ノブ……何ですか?」

「ノブレス・オブリージュ。貴族が特権的地位を維持する為には、追うべき義務があるという意味の言葉ね。要するに、貴族でいたいなら民が満足する仕事をしなさいってことよ~」

「……つまり?」

「つまり、貴族の仕事を全うしていれば何の心配もいらないってこと。もし、それでナルキッソスが来るならば、私の仕事がまだまだってことなの。だから今回は諦めて、皆が認めてくれるように精進するわ」

「……イリスさんはそれでいいんですか?」

「仕方ないわ。それに、ロイ君は大切なお客様ですもの。いくらナルキッソスを捕まえるのが目的だとしても、私の家で危険な橋を渡らせるわけにはいかないわ~」


 だから、くれぐれも危険な真似はしないでね。とイリスはウインクして微笑む。


 そんな年相応の大人の女性の微笑を浮かべるイリスから、ロイは目が離せなかった。


「フフ~ン、どうしたの。私の顔に何かついてる?」

「い、いえ、なんでもない……です」


 イリスに見咎められ、ロイは気まずげに目を逸らす。


 何故こんなにもイリスが気にかかるのかロイには検討もつかない。

 ただ、イリスのことを守りたいと思う気持ちだけは嘘ではない。


 その後もロイは、楽しそうに談笑する輪の中で、イリスに気付かれないように彼女に向かって熱視線を送り続けた。

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