世界を救った勇者のその後の伝説

第26話 やっぱりわからない

　暫く室内が静寂に包まれていると、部屋の入口が控えめにノックされ、お茶を運んできた女性が再び現れてカーネルに何やら耳打ちをする。

「……そうですか。わかりました」

　女性から話を聞いたカーネルは大きく頷くと、席を立ってロイへと向き直る。

「すみません。火急の用事ができてしまいました。大変申し訳ありませんが……」

「はい、大丈夫です。今日は……」

「いえ、お礼は結構です。それと、少しお耳を拝借……」

　そう言うと、カーネルはロイの耳元に口を寄せて何事か囁く。

「イリスさんの家がナルキッソスに狙われている！？」

「あくまで推察ですが、可能性は高いと思われます」

「……わかりました。貴重な情報、ありがとうございます」

「いえ、イリス様はわたくしにとって孫も同然……勇者様、どうか彼女の力になって下さい」

「わかってます。任せてください」

　ロイが力強く頷くのを見て、カーネルは嬉しそうに破顔する。

「ありがとうございます。そうそう、せっかくですからお茶を飲んでいって下さい。わたくしのとっておきでございますので」

　カーネルは立ち上がろうとするロイを手で制すると、にこやかに歩き出す。

　その途中、

「きゃっ！？」

　女性が可愛らしい悲鳴を上げて、飛び上がるようにしてカーネルから距離を取る。

　何かと思ったロイが目を向けると、カーネルが女性に「失礼」と言って、手を振りながら出て行くのが見えた。

　残った女性は顔を赤くして顔を伏せるだけで、カーネルが何をしたかはわからなかった。

　おそらくカーネルが部屋を出て行くとき、女性とぶつかったのであろう。

　ロイは勝手にそう結論付けると、カップに手を伸ばし、残っているお茶を堪能する。

　香りが強いのに味はまろやかで、咽にスーッと流れいく。カーネルがわざわざロイに勧めるだけあって、お茶はとても美味しかった。

　ロイがお茶のフローラルな香りを楽しんでいると、ふと視線を感じる。

　顔を上げると、顔を赤くした女性がこちらを見ていた。

「あっ……」

　目が合った女性が小さく悲鳴を上げるのを見て、ロイは身を硬くする。

　狭い室内に女性と二人きり。しかも、つい数分前に危うく命を奪いかけた相手だ。

　ロイが下手に動けば、それだけで女性は恐怖で失神してしまいそうだった。

「…………」

　とりあえず、さっきの事を謝ってしまおう。

　許してもらえるかわからないが、それでも誠心誠意込めて謝罪をすれば女性の不安を少しでも取り除けるかもしれない。

　そう思ったロイが、カップをテーブルの上に置くと、

「あ、あの……勇者様！」

　ロイが謝罪の言葉を口にするより早く、女性が声をかけてきた。

「少しお話してもいいでしょうか？」

「は、はい、なんでしょう？」

　女性の思ったより大きな声に、ロイは思わずたじろぐ。

「私、ネルケっていいます。勇者様のファンなんです！　握手してもらえませんか？」

「え？　あ、はい……」

　ロイが遠慮がちに手を差し出すと、女性、ネルケは手を伸ばして強引に手を取る。

　ネルケはロイの手を両手でしっかりと包み込むと、腕が引き千切れるのでは？　と思うくらい力強く上下に揺さぶりながら、興奮した面持ちで捲くし立てる。

「憧れの勇者様に襲われて、本気の殺気を全身に浴びる事ができて思わず昇天しかけました。あんな貴重な体験ができて私、本当に幸せです！」

「そう……なんだ」

　うっとりとした表情のネルケを見て、ロイは開いた口が塞がらないでいた。

「そういえば……」

　カーネルが、ネルケはロイのファンだと言っていたのを思い出す。

　しかし、例え相手が敬愛してやまない人物だとしても、命を取られそうになった相手に対し、好意を寄せることなんてできるのだろうか？

「……わからない」

「えっ、何ですか？」

「い、いえ、何でもないです」

　やはり女心というのはわからないなと思いながら、ロイは中々手を放してくれないネルケからどうやって解放してもらおうかと思案していた。