第17話 チェイス!チェイス!チェイス!

 酒場を出たロイは、足早にスラム街を進む。

 決して後ろを振り返らず、前へ前へと歩を進み、狭い路地を右へ左へと曲がる。


「……やっぱり」


 何度か角を曲がった所で、何かに気付いたロイが歩き続けながら小さく呟く。


 酒場を出てからずっと何者かがロイの跡をつけているようだった。

 何者かはわからないが、後ろから感じる気配は決して友好的とは思えなかった。


「撒くべき……だろうな」


 ここでの厄介ごとは避けるべきだと、ロイは角を曲がると同時に一気に駆け出す。


「――っ!?」


 突然走り始めたロイに気付いた追跡者が後ろで何か叫んでいたが、当然ながら無視する。


 背後へ気を配りながらロイは無心でスラム街を駆ける。


 適当に移動していたので、自分が何処にいるのかはわからなくなったが、とりあえず追っ手を撒く事を最優先に考えて移動し続ける。


 結果として、その考えは間違いだった。


 追跡者に気を配りながら前へ前へと進んでいたロイは、


「なっ!? しまっ……」


 角を曲がった先でそびえ立つ巨大な壁を見て、急制動をかけてぶつかる直前で止まる。


 壁を登るのは無理だと判断したロイが引き返そうと後ろを振り向くと、追跡者たちが立ちはだかるように立つ。


「へへっ、この場所に誘われているとも気付かず必死に走り回って、ご苦労なこった」

「クッ……」


 逃げているようで罠に嵌められた事を知らされ、ロイは悔しげに歯噛みする。


 追跡者は、まるで木の棒かと見紛うほどのひょろりとした長い手足が特徴の猫背の男だった。


「ナルキッソスについて嗅ぎまわっている奴がいるって聞いたが、まさかこんなガキとはな」


 下卑た笑みを浮かべた猫背の男は、手にしたナイフを起用に弄びながらロイを牽制する。


 どうやらロイが救世の勇者とは気付いていないようだった。


「おい、クソガキ。誰に頼まれたか知らねえが、世の中には知らないほうが幸せなことがあるっていう事を知るべきだったな」


 そう言うと猫背の男は、首に下げていた笛を咥えて思いっきり息を吹き込む。

 笛から耳を劈くような甲高い音が鳴り響いたかと思うと、猫背の男の背後からぞろぞろと男たちが集まって来る。


 気がつくと、ロイは十人以上の男たちに囲まれていた。


「こいつか? 死にたがりの馬鹿って奴は」

「何だよ。ただのガキじゃねえか」

「だが、そんな事は関係ない。邪魔する者は死、あるのみだ」


 それぞれが思い思いの武器を手にロイを威嚇し、睨みつけてくる。



 一見すると絶体絶命の状況に見えるが、


「……やれやれ」


 これだけの人数に囲まれても、ロイは全く動揺していなかった。


 ロイからすれば、男たちは精一杯虚勢を張る幼児程度にしか見えない。

 武装こそしているが、構えも隙だらけで無力化するのは簡単だった。


 しかし、ここで大立ち回りを演じてしまえば、男たちは面子を守る為にさらに躍起になるだろう。


 下手をすれば、他の関係ない人たちにまで被害が及ぶ可能性がある。


 被害を最小限にするには、男たちを徹底的に叩きのめして二度と歯向かわないようにしてしまうのが一番なのだが、それをしてしまえば彼等から情報を得るのは永遠に叶わなくなるので、ロイは何とかして穏便に切り抜けようと思った。


「えっとですね……これには深い理由があるんです」


 ロイは前へ進み出ると、和解しようと男たちに向かって手を差し伸べる。

 すると、


「こっち!」


 突如として物陰から現れた人影がロイの差し出した手を握り、男たちの僅かに開いた隙間から包囲網を突破してみせる。



「え? え?」

「いいから! そのままボクに付いて来て」

「わ、わかった!」


 ロイは慌てて頷くと、繋いでいた手を離して前を行く人影に追従する。


 人影はロイより頭一つ小さい少女だった。


 スラム街の内情に詳しいのか、少女は長い三つ編みの髪を振りながら狭い路地を右へ左へと迷いなく進む。


 しかし、それはロイを追いかける男たちも同じで、かなりの速度で逃げているにも関らず、彼我の距離が開いた様子はない。


「チッ、しつこい……」


 どちらかが力尽きるまで走り続けるしかないのかとロイが思っていると、前を走る少女から声が飛んでくる。


「あそこから屋根の上に登るけど行ける?」


 少女が指差す先を見やると、壊れて穴が開いた壁や、何かの看板がかけられていたのであろう鉄の棒が見えた。


 どうやら、それらを足場として、建物の屋上へと上がるようだった。


「早く答えて! 行けるの? 行けないの?」


 ロイが足場を確認していると、前を行く少女から怒鳴り声が聞こえてくる。


「で、どうなのよ!?」

「大丈夫だ。行けるよ」


 ロイが頷くのを確認した少女は、満足そうに頷く。


「よーしっ、いっくわよ!」


 少女は気合の掛け声を上げて地面を強く蹴り、近くの壁へと足をかけてさらに高く飛ぶ。

 続けて穴の開いた壁に着地し、次の鉄の棒へと飛んで少女はあっという間に屋上へと駆け上がってみせる。


「さあ、あなたも」

「わかってる」


 ロイも少女の後に続き、道なき道を伝って遅れることなく屋上へと上がった。


「ヒュ~、やるぅ」


 ロイの鮮やかな身のこなしを見て、少女が感嘆の声を上げる。



「おい、上だ! 上に登ったぞ!」


 ロイたちが屋上に上がったのに気付いた男たちが仲間に声をかけ、その中で身軽な者たちが同じように屋上に上がろうとする。


「クソッ! 本当にしつこい奴等だ」

「大丈夫。あそこまで行けば逃げ切れるから」


 焦るロイに、少女は快活な笑顔を見せて屋上の端を指差す。


「あそこまで行ったら、何も考えずに全力で飛ぶの。いい?」


 そこには見た所、特に変わった様子は何もなかった。


「わかった。全力で飛ぶんだな」


 そこに何があるのかという疑問は尽きないが、少女の言葉を信じて進むしかなかった。


 もうそろそろ屋上の端へと到達しようというところで、少女から「飛ぶ時は下を見ないで」と注意されたので、ロイは無言で頷く。



 屋上の端へと辿り着いた少女はロイを一瞥した後、その身をひらりと宙へ躍らせる。

 続くロイも少女の言いつけを守り、真っ直ぐ前を見据えたまま屋根の端を蹴ってその身を宙へと躍らせる。


 ロイが飛ぶと同時に、少女とロイの間に小さな光の玉が発生する。


「危ないから目を閉じて!」


 光の玉に目を奪われそうになると、少女から叫ぶような指示が聞こえ、ロイは反射的に目を瞑ると、間を置かずに目の前が真っ白に染まった。


「――っ!?」


 一体何が起きたのか理解するより早く、次の衝撃がロイを襲う。

 地面に落ちたのか、全身が何か柔らかい物に包まれた。


「ぐわっ!? ペッ、ペッ、な、何だ?」


 慌てて身を起こすと、どうやら大量の干草を固めて造った草のベッドの上に着地したようだった。


 打ち所が悪かったのか、少し痛む肩を擦りながら干草から出ると、干草が積まれているのはロイと少女が落ちたごく一部分で、それ以外は石畳が剥き出しになっているのに気付いた。


 見上げれば、五階建て相当の高さに自分が落ちてきた屋根が見えた。


「あれだけの高さから落ちたのか……」


 思ったより高所から飛び降りた事実に、ロイは背中に冷たいものが走るのを自覚する。


 もし、先に下を見てしまっていたら、あそこまで思い切って飛べただろうか?


 そして、全力で飛ばなければこの干草の上には落ちてこられなかった。

 万が一地面に激突しても死にはしないだろうが、それなりの怪我を負ったことだろう。


 ロイは改めて体に異常がないことを確認し、安堵の溜め息をつく。


「ぷはっ! 着地成功」


 ロイに遅れること数秒、少女が草のベッドの中から顔を出し、快活な笑顔を見せる。


「ん? どうしたの? 何処か怪我でもした?」

「いや、問題ない」


 ロイが無事を告げると、少女は「そう」と素っ気なく返事をして外へと這い出ると、着地の衝撃を和らげてくれた草のベッドを縛っていた紐を引っ張って解く。


「これで、あいつ等は万が一にもあそこからは追いかけて来れないでしょ」


 バラバラになった干草のベッドを見て少女はニヤリと笑うと、ロイを手招きしてさらに先へと進んだ。

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