第16話 場末の酒場へ

 冒険者が集まっているという場所は、フィナンシェでも治安の悪いスラム街と呼ばれる地域だった。


 所狭しに建てられた建物は上へ上へと増改築が繰り返され、今にも倒れそうで見ているだけで恐怖を感じる。


 路上にはゴミが溢れ、野犬が群がり残飯を貪る姿がそこかしこで見受けられ、通りをうろついている人は、誰もが生気を失ったような顔をしてまるで幽鬼のようであった。


 辺りに立ち込める不快な臭いにロイは思わず顔をしかめるが、これも事件解決のためと腹を括り、フィナンシェのスラム街へと足を踏み入れる。



 大通りから一本路地に入ると、明らかに場違いなロイを値踏みするようないくつもの視線が送られてくる。

 そのどれもが友好的な視線ではなかったが、決してロイに近付くようなことはない。


 スラム街に現れた異物に対し警戒を厳にする、というのが共通の見解のようだった。

 独特の雰囲気に戸惑いながらも、ロイは教えてもらったスラム街の酒場を目指す。


「……あそこか」


 目指す酒場はすぐに見つかった。

 何故なら、店の周りに酒瓶を持って自堕落な姿を晒している男たちが何人もいたからだ。


 ロイは泥酔している男たちを踏まないように注意しながら進み、酒場の門を潜る。


「うっ……」


 中に入ると、外とは比べ物にならない程の強烈な酒の臭いに、酒が一切飲めないロイは立っているだけで酔ってしまいそうだった。


「おい、ここはガキが来る所じゃないぞ」


 ロイが入口で躊躇していると、奥からドスの効いた声が飛んでくる。

 目を向けると、眼帯をした中年の男がロイのことを睨んでいた。


「ここはお前のようなガキが来る所じゃないぞ。用が無いならとっとと出て行ってくれ」

「ま、待ってください!」


 ロイは顎を引いて覚悟を決めると、大股で店内を突っ切って眼帯の男の前に立つ。


「俺はここに冒険者が集まっているって聞いてやってきたんです」

「ああっ、冒険者だ!? 奴等がここにいるように見えるか?」


 そう言われて周りを見渡してみても、そのような人影は全く見当たらない。


 まさか、騙されたのか?


 ロイが愕然とした表情で立ち尽くしていると、後ろから小さく嘆息する声が聞こえる。


「冗談だ。連中は仕事で出払っているからいないだけだ。連中に何か用でもあるのか?」

「あの、冒険者に聞きたい事があって……」

「ということは情報か。俺でよかったら知ってることを話してやってもいいぜ」

「本当ですか? じゃあ……」

「おいおい、まさか何も支払わずに話が聞けるとでも思っているのか?」


 眼帯の男は唇の端を上げ、自分の後ろに背負った酒瓶の並んだ棚を顎で指す。


 ロイは棚を一通り眺め、


「わかりました。それじゃあ、ミルクをお願いします」


 腰に吊るした袋から一枚の金貨を取り出し「釣りはいいです」と言ってテーブルに置く。


 眼帯の男はロイが差し出した金貨が本物かどうか何度も天井に透かし、さらには歯で咥えたりした後「少し待ってな」と言い残して店の奥へと消える。


 次に眼帯の男が現れた時には、手に木製のジョッキを持っていた。


「ほらよ。山羊のミルクだが文句はねえよな?」

「勿論です」


 ロイはテーブルに置かれたジョッキを手に取ると、中身を勢いよく呷る。

 そのまま一気に飲み干すと、口についたミルクを拭ってジョッキを眼帯の男に返す。


「フム……それで、何を知りたい?」

「この街で最近、事件を起こしている怪盗ナルキッソスについて教えて下さい」


 ナルキッソス。その言葉をロイが口に下途端、空気が変わった様な気がした。

 泥酔状態で意識も朦朧としていたような男たちが、こぞって身を起こしてロイを睨む。


 しかし、剣呑な雰囲気に包まれてもロイは真っ直ぐに眼帯の男を見据える。


「…………ふぅ」


 全く物怖じしないロイを見て、眼帯の男がついに折れる。


「兄ちゃん、何でそいつを追いかけているんだ?」

「それは、ナルキッソスが悪事を働き、人々を困らせているからです」


 フィナンシェに怪盗ナルキッソスが現れ、好き勝手に暴れまわっている所為で人々は悲しんでいる。

 故に人々に笑顔を取り戻す為にナルキッソスを捕縛し、然るべき罰を受けさせようと思っているという、自分の想いをロイは熱く語る。


 その間、眼帯の男は余計な口を挟むことなくロイの意見を聞き続けていた。


「なるほどな。今、気付いたが……あんた、実直勇者だな?」


 眼帯の男からの質問に、ロイは顎を引いて頷く。


「やはりな。噂通りの真っ直ぐな男みたいだな。だが、勇者さんよ。あんた、一つ勘違いをしているぜ」

「勘違い?」


 何事かと顔をしかめるロイに、眼帯の男は諦観したように肩を竦める。


「いいか? ナルキッソスが現れて人々が泣いているんじゃない。人々が泣いているからナルキッソスが現れたんだ」

「え? それは、どういう……」

「悪いがこれ以上は喋る事はできない。俺が言っている意味、わかるだろう?」


 眼帯の男は「教えることはない」ではなく「喋る事はできない」と言った。その言葉の意味がわからないほどロイは愚かではない。


 それはつまり、これ以上喋るとロイだけでなく、眼帯の男の命も危ないという事だ。


 先程の言葉に一体どんな意味があるのかはわからないが、これ以上は酒場に止まるのは得策ではないようだ。

 事情を察してくれたロイに、眼帯の男は柔らかな笑みを浮かべて軽く手を振る。


「悪いな。別にあんたを嫌っているわけじゃないんだ。この問題は非常にデリケートなんだ。勇者さんも人に話を聞く時は、聞く奴を吟味した方がいいぜ」

「わかりました。情報、ありがとうございました」


 ロイは袋から金貨を適当に掴んで取り出すと、テーブルの上に置いて酒場を後にした。

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