第7話 夜の侵入者(一人目)

 明日の予定を決めた後、ロイは客であるエーデルとプリムローズに風呂を勧め、二人が風呂に入っている間に冒険が終わった後でも欠かさず行っている剣の修練へと出かけた。


 たっぷり時間をかけて剣の型を一通りこなして家に戻ってきた時には、居間以外の部屋の明かりは落とされ、母親から既に寝ているというメモがテーブルに残されていた。


 メモを見たロイは、なるべく物音を立てないように風呂に入って汗を流し、お茶を淹れて居間の椅子に腰を下ろすと、濡れた髪をタオルで拭きながら一息つく。


「ふぅ……」


 今日は色々な事があった。


 新しい仕事をいきなり解雇され、これからどうしようかと悩んでいた時にかつての仲間から助けを求められた。

 久方ぶりの誰かから必要とされるという事態に、ロイは胸に空いた大きな穴に僅かな火が灯るのを自覚する。


 どうやら自分が思っていた以上に、今の生活に馴染めていなかったようだ。


 そんなロイの心中を察してか、プリムローズを助けたいという申し出に、両親はフィナンシェ行きを快諾してくれた。


 両親の優しい笑顔を思い出し、ロイは大きく嘆息してかぶりを振る。


「このままじゃ、ダメ……なんだけどな」


 困っている人を見つけて各地を奔走するような、王から依頼を受けて魔物を討伐するような生活はもう終わったのだ。


 これからは真っ当な職に就き、普通の人として生きていくと決めたはず……だった。


 しかし、目の前で困っている人がいたら手を差し伸べられずにはいられないのは、一生変えられそうに無い。


 もはや自分自身の根底に染み付いた性分なのだ。


「でも、これで最後にするから。この事件が解決したら今度こそ……」


 勇者という肩書きを捨て、普通の人として暮らしていく。


 ロイは心の中で自身の決心を反芻すると、明日に備えて寝る事にする。

 部屋の明かりを消し、手探りで家の中を進んで自分の部屋を目指す。


 真っ暗闇でも迷うことなく自分の部屋に辿り着いたロイは、部屋の隅に置いてあるベッドまで歩いて中へ入る。


 すると、


「あんっ、ロイの足ってば冷た~い」


 ベッドの中から、艶っぽい声を上げながら身をよじる何者かがいた。


「なっ!?」


 敵襲かと思って身構えそうになるロイだったが、声が聞き覚えのあるものだったので、落ち着きを取り戻して布団をめくる。


「エーデル、そこで何をしているんだ?」

「何って、ロイを待ってたの」


 毛布を手にしたエーデルは顔を半分だけ出して、上目遣いでロイを見上げる。

 子犬のように愛らしい大きな瞳に見つめられた男は、思わず彼女の虜になってしまう程の可愛らしさがあった。


 だが、ロイは光彩を失った目でエーデルを見下ろすと、毛布に手をかけてエーデルごと剥ぎ取る。


「やんっ」


 勇者の力に抗えるはずもなく、エーデルは可愛らしい悲鳴を上げながら床を転がる。


「あ~あ、何をやってんだよ。せっかくのシーツが皺だらけになっちゃったじゃないか!」


 ロイは転がったエーデルを無視してシーツの皺を丹念に直していく。


 転がったエーデルは、胸元が大胆に露出している薄いキャミソールタイプの下着のみというとても扇情的な姿をしていた。

 床に落ちた時にぶつけた白い滑らかな足を擦りながら、これだけの格好をしても自分を全く見ようとしないロイを恨めしげに睨む。


「もうっ、ロイのいけず!」

「誰がいけずだ」


 エーデルの行動が理解できないロイは、頭痛を堪えるようにこめかみに手を当てて嘆息する。


「どっちかって言うと、俺の安眠を妨害しようとしているエーデルの方がよっぽどいけずじゃないか。一体何がしたいんだよ!」


 ロイに怒鳴られたエーデルはビクッと体を震わせると、気まずげに視線を逸らす。


「…………もん」

「え? 何だって?」

「怖かったって言ったの! いつもと違う枕で、しかも一人で寝るなんてずっとなかったから……寂しくて、怖くてたまらなかったの!」


 顔を真っ赤にし、目に涙を溜めたエーデルがロイの胸に勢いよく飛び込む。


「……エ、エーデル?」

「うぅ……ロイ……」


 ロイは自分の胸の中で幼子のように泣きじゃくるエーデルをどう慰めたらいいのかわからず、両手を上げて狼狽える。


「ねえ、ロイ……」


 エーデルは手を伸ばして狼狽えているロイの手を取ると、自分の豊かな胸へと持っていき、ゆっくりと押し付ける。


「……あん」

「おい、変な声を出すなよ」

「フフッ、ごめんね。ロイの手が温かくて……とっても気持ちよくて」


 頬を赤くさせたエーデルは、ロイの手をさらに胸に押し付けて潤んだ瞳で見上げる。


「ねえ、ロイ? 私の胸、とってもドキドキしてるでしょ?」

「あ、ああ……」

「さっきまで怖くてドキドキしてたんだけど、今はロイと会ってるからドキドキしてるの」


 エーデルはロイ手を離して彼の胸に顔を埋めると、くすぐるような声で囁く。


「ロイ……私の事、抱きしめて」

「えっ? な、何で?」

「そうすれば、きっと怖くなくなるから」


 そう言うと、エーデルはロイの背中へと手を回して体をさらに密着させる。

 豊かな胸をロイの胸板にぐいぐいと押し付け、肩幅に開いた足の間に自分の足を差し入れたエーデルは、人差し指をゆっくりと舐るように彼の体の上を這わしていく。


「お、おい!」


 エーデルの甘えるような行動に、ロイが溜まらず悲鳴のような声を上げる。


 しかし、そんなロイの訴えなど意に介した様子も見せず、エーデルは彼の胸に「の」の字を書きながら彼の耳元へ吐息を吹きかけるように囁く。


「お願い、強く抱きしめてくれたら自分のベッドに戻るから」

「ほ、本当か?」

「うん、約束する」

「………………わかったよ」


 ロイは不承不承といった感じで頷いて、体を密着させているエーデルを見下ろす。

 胸にぴたりと顔を寄せているエーデルは、頬を赤く染めて幸せそうな顔をしている。


 どうしてエーデルは幸せそうな表情をしているのだろうか?


 この行為に、一体どのような意味があるのだろうか?


 色々考えを巡らせてみても、ロイの思考回路には抱擁が幸福へと繋がる……ましてや、恐怖の打開に直結するとは思えなかった。

 だが、エーデルを強く抱きしめれば、彼女は自分のベッドに戻ると言っているのだ。


 明日はフィナンシェへの移動の為、日の出と共に起きなければならない。


 十分な睡眠の為にも、とっととエーデルを抱いてしまおう。


 そう結論付けたロイは、エーデルの精巧なガラス細工の様な細い肩へと手を伸ばす。

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