第3話 家に帰ると待っていたのは?
ロイの生まれたトルテ村は、はっきり言うと何もない村だ。
申し訳程度の簡素な門を抜けると、広大な麦畑と小さな商店兼宿屋という建物が一つあるだけで他には何もない。
この建物は行商人が開く臨時の売店だったのだが、ロイが救世の勇者となったお陰でトルテ村にも観光客が訪れるようになり、慌てて商店を増改築して用意した宿屋だった。
ただ、一時は観光客で賑わったトルテ村だったが、村には観光名所のような目ぼしいものは何もないので、ブームが去った今では辺鄙な村を訪れる酔狂な人間はいるはずもなく、もはや宿屋部分は無用の長物となっていた。
営業すらしていない無人の商店を抜け、虫の大合唱に耳を傾けながら農道を進み、数少ない民家を越えて小高い丘を登ると、ようやくロイの家が見えてくる。
ロイの家は丸太を組み合わせて造ったログハウスで、決して大きくはないが、家族三人が暮らす分には充分だった。
鍵のかかっていない扉を開けると、鼻孔を刺激する夕餉の芳しい香りが二人を迎える。
「……ただいま」
「お邪魔しま~す」
ロイが扉を閉めると、奥からからパタパタと足音を立ててエプロン姿の女性が顔を出す。
「おかえり、ロイ。仕事は……その様子じゃ、またクビになっちゃったのね」
穏やかな笑みを浮かべたロイの母親は、息子の申し訳なさそうな顔を見て全てを察し、小さく嘆息する。
「ゴメン! 母さん、俺が至らないばかりに……」
「まあ、それはいつものことだから気にしちゃいないけど、そんなことより……」
母親は頭を下げているロイの後ろに立つエーデルの元へ駆け寄って彼女の手を取る。
「エーデルちゃん、久しぶりね。元気にしてた?」
「ご無沙汰です、おばさま。お陰さまで元気にやってますよ」
「フフ、本当にそうみたいね。ウチに来たということは、ご飯食べていくでしょ?」
「いいんですか?」
「モチロンよ。今日は他にもお客さんがいらしてるから、お母さん張り切っちゃうからね」
「「え?」」
母親の何気ない一言に、ロイとエーデルの言葉が重なった。
「やあ、ロイ。お邪魔させてもらってるよ」
ロイたちが居間に顔を出すと、テーブルで優雅にお茶を飲む来客の姿があった。
肩まで伸ばした眩いブロンドに、猫を思わせるような切れ長の目をした、可愛らしいというよりは凛々しいという言葉が似合いそうな女性はプリムローズ・コルテーゼ。ロイ共に竜王討伐の旅をした仲間の一人で、パーティの前衛を務めた凄腕の女戦士だ。
「客ってプリムだったのか。どうしたんだ? 元気だったか?」
エーデルに続いて久方ぶりに見る仲間の姿に、ロイの顔に自然と笑みが浮かぶ。
「元気さ。今日はたまたま仕事でこっちに来る事があってね」
「仕事? プリムの仕事って……」
「実は祖国のフィナンシェで騎士をやっているんだ」
「本当か!? それじゃあ、子供の頃からの夢を叶えたんだな。おめでとう」
「ありがとう。ロイならそう言ってくれると思ってたよ」
ロイからの称賛の言葉に、プリムローズは柔らかい笑みを浮かべる。
「それじゃあ、今日は騎士の仕事でこっちに?」
「それもあるんだけど、何より……」
「何より?」
「…………ロイに会いたかった」
「え? ごめん、よく聞こえなかった」
「はえっ!? え、あ……ゴメン。何でもない」
プリムローズは顔を真っ赤にして慌てて否定すると、恥ずかしげに顔をカップで隠す。
花も恥らう可愛らしい仕草に、男なら誰でも見惚れてしまうと思われたが、
「あ~あ、ねえ、ロイ。私、疲れちゃった。もう一歩も動けな~い」
突然、エーデルがロイの背中にもたれかかり、猫なで声で話しかける。
「むっ、それは気付かなくてすまない」
「ダ~メ、許さない。許して欲しかったら今日のご飯は私をお姫様抱っこして、食べさせてくれる?」
「ええっ!? なんでだよ!」
「疲れてもう食器を持つ余力も無いの……だから、お願い」
子犬のような瞳で見つめられ、ロイは諦観したように嘆息する。
「はぁ、わかった。今日のところは……」
「待て待て待て待て、待て~~~!!」
やり取りを聞いていたプリムローズがカップをテーブルに叩きつけて立ち上がると、エーデルを抱え上げようとしているロイに待ったをかける。
「ど、どうしたんだ。何かあったのか?」
「何かあったか、じゃない! ロイはどうしてそう簡単にエーデルの嘘に騙されるんだ」
「え? 嘘だって?」
プリムローズの言葉にロイは驚きに目を見開くと、無邪気な笑みを浮かべているエーデルに話しかける。
「そうなのか?」
「そんなはずな~い。もう一歩もうごけないの。だから早く抱っこしてよ」
「このっ、まだ言うか!」
プリムローズはカップの中身を一気に飲み干すと、ロイに抱きつこうとしているエーデルに向かってカップを思いっきり投げ付ける。
「ちょっ!?」
プリムローズの突然の凶行に、ロイはエーデルを庇う為に動くが、
「エアリアル」
それより早く、エーデルが呑気な声を上げながら右手を軽く振るう。
すると、エーデルの顔目掛けて一直線に飛んで来たカップが、まるで水の中に飛び込んだようにゆっくりになり、程なくしてその場に停滞する。
エーデルは手を伸ばして空中で制止しているカップを手に取ると、口を尖らせてプリムローズを睨む。
「ちょっとそこの貧乳、私とロイの熱い蜜月の邪魔をしないでよ」
「何が蜜月だ。どう見てもエーデルの独り相撲じゃないか。それと貧乳言うな!! あ、あああ、あたしは鍛えているから仕方ないんだ。スレンダーなんだよ!」
プリムローズは顔を真っ赤にさせながら、上着に隠された控えめな胸を隠すようにしてエーデルを睨む。
「そう言うエーデルの体は何だよ。竜王討伐以降、碌に運動していないだろ。最後に会った時と比べて明らかに太ってるぞ。マントで隠しているつもりだがわかるからな」
「なっ、ななっ……」
プリムローズの言葉に、今度はエーデル慌てふためく。
「ち、ちち、違うわよ。これは栄養がおっぱいに集まって体重が増えただけだから、決して太ったわけじゃ……」
「じゃあ、ちょっとあたしにそのお腹を触らせろ」
「嫌よ……キャッ、ちょ、ちょっと、近付かないでよ!」
手をわきわきさせながらにじり寄るプリムローズを見て、エーデルは慌てて逃げ出す。
狭い室内で二人の女性が物を蹴散らしながら駆け回るので、近くの物が壊れないように先読みして動いていていたロイは、
「お~い、ホコリが舞うからほどほどにしてくれよ?」
呑気に感想を言いながら、二人の喧嘩を何処か懐かしむように穏やかな目で眺めていた。
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