第2話 勇者と幼馴染
緑豊かな森の中、土を固めただけの簡素な道を、黒髪の青年が肩を落としてトボトボと歩いている。
引き締まった体を包むのは黒のチュニックに膝の破れたパンツ、足元は皮製の編み上げブーツという庶民の間では珍しくない、いかにも平民然とした格好をした少し冴えない印象のある青年が、世界を救った救世の勇者とは到底思えなかった。
「はぁ……」
力なく歩くロイは、街を出てからもう何度目になるかわからない溜め息をつく。
救世の旅が終わり、両親の待つ故郷の村へ戻って来たまではよかったが、それから始まった普通の生活が問題だった。
勇者として生きてきたため、これまで一度も学校に通っていなかったロイは、故郷へ戻ると迷うことなく就職する道を選んだ。
少しでも身銭を稼いで両親の支えになれば、と思ったのだ。
救世の勇者であるロイを雇ってくれるところは多く、それこそ最初は引く手数多だった。
だが、いざ仕事を始めると、ロイの性格が災いすることになる。
実直勇者と呼ばれるように、理想の勇者としての教育を受けてきたロイは、良い意味でも悪い意味でも真面目過ぎたのだ。
最初は鍛えに鍛えた力を利用して大工に弟子入りしたのだが、家を建てる基礎工事で杭を打ち込む際に、棟梁から思いっきりやれと言われたロイは、言葉通り思いっきりハンマーで杭を打ち、用意されたハンマーを全て壊すだけじゃなく、杭全てを地面へと埋没させてしまった。
次は道具屋で働いたのだが、店主が商品管理を怠り、痛んだ商品を販売しようとしたのを客の目の前で告発し、信用を失った道具屋を廃業まで追い込んだ。
他にもいくつもの店で働いたが、日常的に行われていたちょっとした不正、怠惰な行動を逐一言及したロイは、その度に居場所を失い、職も失っていった。
今日もようやくありつけたウェイターの仕事の最中に、一人の客がウエイトレスのお尻に触ろうとしたのを見つけたロイは、声だけで注意すればいいものを、わざわざ客の腕を締め上げて注意してしまったのだ。
客を注意するのに暴力に打って出ただけでなく、しかも相手が店にそれなりのお金を落としてくれる上客の常連だったのがいけなかった。
店のウエイトレスたちはロイを擁護してくれたが、常連客は怒り心頭で、とてもじゃないが彼を無罪放免にできる状況ではなかった。
結局、喫茶店のマスターは世界を救った勇者とはいえ、入って一日の新人より、確実にお金を落としてくれる常連を取ったというわけだった。
申し訳なさそうに何度も頭を下げるマスターに、ロイは自分も軽率だったから気にしなくていいと言って、今日のところは岐路についたのだった。
「はぁ……本当、これからどうしよう」
度重なる解雇に、ロイの心の中に焦りが生まれ始めていた。
ロイが産まれた小さな村では雇ってくれるところはなく、仕方なく近くの町まで出稼ぎに来ているのだが、そろそろあの町でも仕事に就くのは難しいだろう。
それほどロイの悪評は、町中に広がってしまったのだ。
こうなると次はさらに遠い町まで足を運ばなければならないが、その場合は日の出と共に出かけ、帰りは夜遅くなるのは否めない。
だが、そんな問題よりもロイには気がかりな事があった。
それは長年自分の胸の中にあった熱く燃えるような情熱が、殆ど感じられなくなっている事だった。
心境の変化が原因なのか、最近は以前よりどうでもいいことが目に付き、それが原因で新たなトラブルを生んでいる様な気がした。
「旅をしていた頃はこんな気持ちはなかったな……はぁ」
「ほら、溜め息ばっかりついていると幸せが逃げるわよ」
溜め息と共に洩れたロイの呟きに、可愛らしい声が応える。
ロイが声のした方に顔を向けると、フード付きの黒いマントをすっぽり被った女性が、木の陰からこちらを見ていた。
顔が見えなくても女性とわかるのは、マントの上からでもはっきりとわかる女性特有のふくらみが見て取れるからだ。
声の主はロイの前に立つとフードを外し、中から現れた整った顔立ちの口角を上げてにんまりと笑う。
「その様子だと、また仕事をクビになっちゃったみたいね」
「エーデル……」
ロイは目の前に立つ、同い年ぐらいの少女を見て苦虫を噛み潰したような顔をする。
流れるように美しい栗色の髪を後ろでまとめた、街で見かけたら思わず振り返ってしまうほどの美貌の持ち主の少女はエーデル・ワイス・リベルテ。ロイと共に竜王ドラグーン討伐の旅に出た仲間の一人で、彼とは幼馴染に当たる。
マントの下から覗く衣服は、足元と胸元が大胆にカットされた緋色のワンピースで、格好だけ見れば踊り子のようだが、エーデルは世界で五指に入るほどの実力を持った魔法使いとして知られていた。
世間では最強の大魔法使いと称され、時には畏怖の対象ともされるエーデルだが、そんな異名とはかけ離れた年相応の笑みを浮かべると、ロイの腕を取って自分の腕と絡める。
エーデルは豊満な胸をロイの腕に押し付けると、頬を上気させて潤んだ瞳で問いかける。
「ねえ? 私、また胸が大きくなったんだけど、どう?」
「知らん。それよりあんまりくっつくなよ」
エーデルのあからさまな誘惑に、ロイは迷惑そうに顔をしかめる。
だが、ロイに冷たくあしらわれても、エーデルは一向に気にしない。
「いいじゃない。私とロイの仲でしょ。それより、これで何回目? ロイってば本当に仕事、長続きしないよね」
「クッ、辞めたくて辞めてるわけじゃないんだよ」
ロイは気まずげにエーデルから視線を逸らすが、彼女からの追求は続く。
「これじゃあ、ロイのお父さんとお母さんに楽をさせてあげられないね」
「言われなくても痛感してるよ」
「他のおいしい話をわざわざ蹴ってまで帰ってきたのに、これじゃあ何の為に帰って来たのかわからないよね?」
「…………言葉もないです」
矢継ぎ早に繰り出されるエーデルからの厳しい言葉に、ロイは力なく肩を落とす。
「フフフ……」
今にも消えそうなくらい小さくなっているロイを見てエーデルは笑みを零すと、彼の耳元へ口を近づけて囁く。
「よかったら私が現状を打開する良い方法を教えてあげようか?」
「本当か!?」
ロイが大声で尋ねると、エーデルは任せろと謂わんばかりに鷹揚に頷く。
「それは一体どんな方法なんだ?」
「簡単よ。私と結婚すればいいのよ」
「…………は?」
ロイは間近でニコニコと満面の笑みを浮かべている幼馴染の顔を呆然と眺める。
「どうしたの?」
ロイからの冷たい視線を受けたエーデルは、可愛げに小首を傾げる。
どうやらこれ以上は何も話してくれなさそうなので、ロイは嘆息してエーデルに質問する。
「それのどこか現状を打開する方法なんだ?」
「わからない? ロイは私の夫として幸せな家庭を築くの。それで私は幸せになるし、ロイだって幸せになる。仕事なんかしなくても私は一向に気にしないわ」
「いや、俺が言いたいのは……」
「心配しなくても家事なんかは家のメイドにやらせるから安心して。それに、ロイの両親も一緒に住めばいいわ。ちゃんと全員の面倒をみてあげるから……」
「そうじゃなくて!」
ロイは自分の右腕に寄りかかっているエーデルを引き剥がすと、真剣な表情で話す。
「俺は自分の力で金を稼ぎたいんだ。真っ当な仕事に就いて、日々汗を流し、例え多くなくても人に喜んでもらって、頑張ったねと言ってもらって給金を得たいんだ。エーデルの家がとんでもない金持ちなのは知っているけど、俺はエーデルに養ってもらうつもりはない」
「う~ん、別にそういうつもりじゃないんだけどな……」
「エーデルが俺を心配してくれるのは非常に嬉しいけど、今は俺のやりたいようにやらせてくれ。俺はまだ、何一つとして諦めるつもりはないんだ」
腰を九十度に折り曲げて謝罪の言葉を口にするロイを見て、エーデルは苦笑して肩を竦める。
「まっ、いっか。ロイがそう言うなら尊重してあげるのが妻の役目よね。それに、ロイのそうやって簡単に諦めない所、好きよ。愛してる」
「ありがとう。俺もエーデルのことを仲間として好きだし頼りにしてる。それと、せっかく久しぶりに会えたんだ。よかったら家に寄って行ってくれ」
ロイはエーデルに礼を言うと、我が家へ向けて歩き出す。
「も~う、相変わらず連れないのね。でも、そんなロイも素敵よ」
背筋を伸ばして堂々と歩く背中を見てエーデルは頬を染めると、うっとりした表情でロイの後に続いた。
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