第2章「エリート崩れの叫び」早坂杏理3

「まあさん、杏理のお店だけ行ってずるーい。マユリに会いに来てくれたっていいじゃん!」


 マユリは、十八番おはこの上目遣いで、シェーカーを振るまあさんをじっとみつめながら甘ったるいブリブリボイスで、ぷうっと頬を膨らませた。馬鹿な男だったら99パーセント位の確率で堕ちるのだろう。自分のことを“マユリ”と呼ぶ彼女を見るたびに、杏理は、いつも心の中で「死ねばいいのに」と思っている。しかし、そんな、マユリのあざとい作戦も、まあさんくらいのハイレベルな男には通用しない。


「えっ、俺、『ma couleurマ クールール』にも行きましたよ」

 “ma couleur《マ クールール》”というのは、マユリが働いているショップの名前だ。お洒落なルームウェアと雑貨を豊富に取り揃えているお店で、アウトレット内で1、2位を争う売上と店舗面積を持つショップだ。


「マジで? いつ来てくれたのぉ? マユリ、まあさんに会えなかったじゃんっ!」

 杏理と喋る時より1オクターブくらいマユリの声が、杏理の耳に障った。


「先週の火曜日ですよ。お昼ちょっと過ぎくらいに行ったら、三条さん店頭に見当たらなくって。丁度近くに居た背の高い女性のスタッフさんに尋ねたら、三条さんお昼休憩に出たばかりだって言われました。その方、なんか、モデルさんみたいな方でしたよ。顔立ちも……ハーフかクウォーターなのかなって感じで……」

 マユリのぶりっ子フェイスが一瞬凍てつくのが、薄暗い店内にあってもはっきりと分かった。まあさんも気付いたらしく「しまった!」という表情をしているのを見て、杏理は思わず、可愛いと思ってしまった。


「ああ、その人、“クリステル”ですよ」

 杏理は、マユリの心情を理解した上で、わざと彼女が触れられたくない話題に触れた。

「クリステル?」

 まあさんは、不思議そうに訊き返し、マユリはセッターメンソールに火を点ける。


「滝川クリステルだよ」


「アナウンサーの?」


「そう、そう。けっこう似てるでしょ? 彼女、高嶺たかみねアリサっていうんだけど、イギリス人と日本人のハーフなんだよ。『ma couleur《マ クールール》』の店長で、美人で頭が良いんだ。うちの店長なんて、店長会に行くたびに鼻の下伸ばして帰って来て、デレデレしてるよ。子持ちのオッサンが何言ってるんだよって感じでキモイんだけど、そんな店長見て、不機嫌になるハイエナ見るのも面白っちゃあ面白くてさ……でも、そのあと、必ずハイエナに八つ当たりされるのが面倒くさいんだけどね。まあさんが知らないってことは、“クリステル”、まあさんがアウトレット辞めた後に配属されたのかな? 彼女元々は本社の人で、何年か現場経験したら本社に戻るみたいだけどね。ねっ? マユリ?」

「ああ、そうみたいね。早く本社でもどこへでも帰ればいいのに……あっ! ちょっと私電話かけなきゃだから、ごめん……席外すね」


 マユリは、不機嫌を隠すことなく席を立った。可愛くてモテる女は我が儘で在るべきというのが、彼女のセオリーらしい。

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