第2章「エリート崩れの叫び」早坂杏理1

――『cafe musicaカフェ・ムジカ』に19時。――


すでに約束の時間から、30分以上オーバーしている。


(マユリ、怒っているだろうな……)


 早坂杏理はやさか あんりは、息を切らしながら店内を見渡し、カウンター席に三条マユリさんじょう まゆりの姿を発見した。ブラッディ・マリーを片手にセブンスターメンソールを燻らせる彼女の背中からは、待たされることに対する苛立ちのオーラが漂っている。この女は、待たされるということが死ぬほど嫌いなのだ。


「遅くなってごめんっ!」


 振り返ったマユリの顔は、かろうじて笑顔を拵えていたが、目は明らかに笑っていなかった。彼女の人工的に創られた端正なマスクは、彼女の底意地の悪さをより一層引き出してしまっているように思えた。


「どうしたん? 帰り間際に客に捉まった?」

「いや、今日は超暇だったし、速攻上がろうと思ったんだけど、またバトっちゃってさあ……」

 

 杏理は、小動物のような人懐っこい顔でエヘヘと笑みを繕った。杏理の顔立ちは、マユリとは対照的で、美人とは程遠いけれども、親しみやすい笑顔と持ち前の愛嬌の良さも加わって、これまでの23年間の人生を随分得してきたように思える。実のところ、そのヴィジュアルとは裏腹に杏理は、かなりプライドが高く気難しい性格の持ち主である。しかし、彼女のそのヴィジュアルからその本質を見抜くことは至難の業だ。大抵の人は、杏理のことを明るく素直で人懐っこい、真っ直ぐな女の子だと思ってしまうのだ。彼女自身、そのことを充分に自覚しており、自分を偽り人々を欺くことに快感を覚えている。


「バトルって、例の“ハイエナ”と?」

「そう、そいつ! ハイエナ、ハイエナ! 顔合わせるたびにバトってるよ。いっつも、私が早番でハイエナより先に帰る日、帰り間際にケンカ売ってくるんだよね。あれ、絶対わざとやってるね。嫌がらせとしか思えない! 今日、翔と私が早番で、ハイエナと本田が遅番だったんだけど、私がハイエナにバックヤードに呼び出しくらっちゃったから、翔が上がれなくてさ……定時だいぶ過ぎてから本田が止めに来てやっと帰れたんだけど……もっと早く来いって感じだよね。今日、翔、彼女とデートだって言ってたのに……」


 杏理はマユリに、遅刻をしてきた一通りの言い訳をしたところで、カウンター越しの髭のマスターにカシスオレンジとチーズの盛り合わせを注文した。

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